2021/4/11 読書について

約2ヶ月ぶりの更新。というか、まだたった2回目の投稿。

読書が趣味と言えるくらいに本を読むようになって、半年ほど経つ。今のところペースに乱れもなく、案外続けられるものだな、と思う。まあ、好きなものだけ読めばいいのだから至極当然ではあるのだけれど。

半年前までは、1年の間に読む本の数なんてそれこそ片手の指の本数にも満たなかった。まだ辛うじて朝読書で毎日小説を読んでいた高2の頃から数えれば(高3の時、朝読書の時間は朝自習の時間に変貌してしまった)、読書から離れていたのはもう9年になる。恐ろしい。そんな断絶があるせいか、今更になっていろいろと弊害が出てきた。

第一に、読んでいる小説の中で昔の文豪(もしくはその作品)のとりわけ有名なエピソードが出てきた時に、なかなかピンと来ない。芥川はああだ、太宰だからこうだと言われて、共感できないのはなんとも悲しい。子供の時に読んでいたにしても、正直覚えているのはあらましだけで、まして子供ながらの浅い作品理解だけで、皮肉的なパロディを楽しむには知識が乏しいのだと思う。多分にそれらは子供のころから間断なく小説を読んできた人からすれば一般常識なのだろうし、それらが読み手を考えない独りよがりなパロディネタとは一線を画すであろうことも見事に効いてしまっている。

第二に、読みたい小説が多すぎる。約10年間の断絶は大きく、高校生の頃はまだ数巻しか出ていなかったシリーズも気づけば20巻を超える連作になってしまっていた。しかも、その面白さに今更気づいてしまったのだから質が悪い。まるで過去から未来にタイムトラベルしてしまった人のように、早く今に追い付こうと必死に読み漁っている始末。試しに、今読みたいと思っている本達がいつまでに読み終えられるかちょっと計算してみた。概算で週に2冊は読み終えるとして、どうやら、あと4ヶ月はかかるらしい。さらにその隙間には新参の「読みたい本」が都度乱入してくるので、とてもキリがない。もしかしたら、読み終えた時には数年経っているのかもしれない。

最近は京極夏彦の小説を読んでいる。「姑獲鳥の夏」や「魍魎の匣」とか。ジャンル的には怪異小説のような推理小説と言えるのだと思う。数年前は小説を読んだとしてもそのほとんどがSF小説だったけれど、今は和的なミステリにハマっている。SFと怪異では作品のジャンルが全く違うと思われがちだけれど、どちらも虚構をまことしやかに見せるという点では共通しているように思う。明らかに現実ではないものを読者に信じ込ませる、納得させるということ。一見非現実的なフィクションなのに、物語としてのリアリティがあるところが好きなのだと思う。

そんなこんでつらつらと書いたけれど、実のところ、今は昨日深夜に即日配達で頼んだとある本が届くのを今か今かと待ちわびている。紙でしか売っていない本の到着が待ち遠しくなってしまうのは、どうやらkindleに慣れてしまった弊害らしい。

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