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昭和10年代初頭の日本人のカムに対する驕り


一昨日の写真を見て、疲れているねぇと心配して下さった方、
ありがとう。

確かに、2年前(膵管ガン、膵臓と肝臓の間のガンと同時に
右鼠蹊部リンパ癌という豪華三本立ての)ガンを患ったので、
再発すると大変で、特に右鼠蹊部のリンパ癌は再発すると、
侵攻が膵臓ガン並みに速い。

だからこそ、元気な間に最高のイヤシロを完成させ、配り、
道を作っておこうと、つい、無茶をするので、いささか、
生死のイタチごっこだわな😎

先日の疲れは、筋肉の疲れでなく、大本に行った疲れじゃ。

出口王仁三郎の無念と昭和10年大本、昭和11年岡山サムハラ
の徹底的破壊と、カムから見て、気の狂った昭和10、11年の
蛮行の報いが昭和20年の全国大規模焼夷弾、並びに二種類の
原爆人体大実験につながるのだ。

大本の弥勒殿には何もない!しかし、長生殿には今も、出口
王仁三郎が生きて、人々を守っていた(是非、奥まで入って、
無料でお祓いを受けるといい。きちんとした服装をしていき
なさい)。

とても、とても、気が重くなると同時に、彼が立教の原点に
なったのが、出雲大社と福知山の元伊勢なので、時間的に間
に合う元伊勢の外宮、内宮、天岩戸神社を訪れた。

戦いの勝敗は、戦う前に決まっている。

昭和10年代初頭の日本人のカムに対する驕りは、尋常ではなかった😎


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