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当時の高野山の太元帥法は、本物!

さて、織田信長はどうして、殺されたのでしょう?

皆、色々、言っていますが、簡単です😎

信長は、比叡山を焼き尽くしましたが(実際は、
今も比叡山は回復していない程、燃やされました)、
次は高野山(弘法大師の霊廟がある山)でした。

1581年8月から信長軍は攻めましたが、
木食応其(もくじきおうご)上人が太元帥法で、
調伏し、1582年6月、信長、京都本能寺で死去。

太元帥法という調伏で亡くなったのは、
織田信長だけでなく平将門も調伏と同時
に亡くなっています。
また、元寇の時も修し、神風が来て、敵
は滅んでいます。

ちなみに、太元帥法は太元帥明王を本尊にして
修するわけですが、大日本憲法で軍人の最高位
を元帥、天皇を大元帥と呼んだのは、ここから
来ています😎

(*太元帥も大元帥も、ダイゲンスイと発音)

高野山が修した太元帥法は本物だったんですね😎

さすが、カタカムナの聖地、四国で修行した
弘法大師のお山ですね😎恐ろしいお力です😎

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