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第2回生麦de事件まつりまで後41日

シルバーウィークも2日目ですね。
この連休明けに、いよいよ各店お祭りの内容を決定していく予定です!
さて、今日は昨日の続きの「生麦メモ」をご紹介しましょう

【生麦メモ8 結果、仲良くなった薩・英】
生麦事件薩英戦争は痛み分け。まさかこんなことになるとは予想できなかったイギリス。改めて交渉での平和的解決を薩摩藩に申し出ます。
交渉は難航しますが薩摩は最後までイギリスには屈せず、賠償金でなく、遺族への慰謝料という形で2万5000ポンドを江戸幕府に借りて支払います。そしてその借金はそのまま踏み倒しています(笑)

結局、生麦事件の犯人も、架空の人物が行方不明になったまま、と押し通しちゃいます。
薩英戦争で、イギリスの軍事力の高さを実感した薩摩藩。多くいた攘夷論者も攘夷を諦め、イギリスと友好関係を結ぶ方が絶対いいよねー!となっていきます。
イギリス側も薩英戦争とその後の交渉の中で薩摩を高く評価します。今回の生麦事件の対応でも微妙な対応だった幕府よりも、勇敢だった薩摩藩の方が全然信頼できるじゃん!仲良くなるならサツマ!という感じですね。

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大喧嘩をした後に、親密な関係を築いた薩英。まるで一昔前の青春マンガで、主人公がガキ大将と河原でボカスカ取っ組み合いの喧嘩をした後、お互いを認めあって友情が生まれたような話です!

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文化の違いや行き違いから起きてしまった生麦事件。それは、戦争まで引き起こしましたが、結果的に薩摩がイギリスと仲良しになり、日本が近代国家の一員となるきっかけだったのです。

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