「ディア・エヴァン・ハンセン」を見てきたよ(ネタバレしない方向で)

この映画を見に行こうと思ったのは、音楽制作チームが「ラ・ラ・ランド」「グレイテスト・ショーマン」のベンジ・パセックとジャスティン・ポール(個人的には、「アナ雪」「リメンバー・ミー」のロバート・ロペスとクリステン・アンダーソン=ロペス夫婦と並んで、現在ミュージカルではツートップの音楽制作チームだと思っている)だというのもあるけど、この映画についての、趣味は若干違うけどその評価眼は信用している「人間食べ食べカエル」さんの以下のTwをみたから。

「人間食べ食べカエル @TABECHAUYO
11月24日
『ディア・エヴァン・ハンセン』試写で観ました。主人公エヴァンが窓の外を見ながら歌う冒頭から歌からいきなりクライマックスの様相。登場人物が思いの丈をぶつけるかのように歌う様がグサグサと胸に刺さる。中でも中盤のとある歌は本作のハイライト。あと、単純にどれも歌が良い。サントラ買います。」

https://twitter.com/TABECHAUYO/status/1463492886574428162

この評価に全くの間違いはなく、ミュージカルなんだから当然だろうと言われそうだけど、とにかく曲がよくて、しかも主役のエヴァンを演じているベン・プラットの歌が、ものすごく切なく、しかもエモーショナルなボーカルで、正直、ストーリーとかどうでもよくて、このボーカルのためだけにこの映画のサントラを買っても損はしない、そういうレベルの歌唱力。

そして、その上で。

これ、本当に映画オリジナルじゃなくて、ブロードウェイミュージカルの映画化なの? しかも、2017年初演? その頃のSNSの環境って、既にこうだったっけ?
そして、あまりにも残酷に描かれる、スクール・カーストと心を病むアメリカのハイスクール世代、いや、その親世代なども含めて、みんな心を病んでいる。で、ネタバレはしないけれど、この物語は、ショッキングな始まりから紡がれていき、決して、いわゆるミュージカル的な「ハッピーエンド」にはならない。バッドエンドかというとそういうわけではないんだけどね(,,゚Д゚)

とだけ書いても、なんのこっちゃになりそうなので、映画公式HP( https://deh-movie.jp/ )にある物語のイントロを引用しておくと。

エヴァン・ハンセンは学校に友達もなく、家族にも心を開けずにいる。ある日彼は、自分宛てに書いた“Dear Evan Hansen(親愛なるエヴァン・ハンセンへ)”から始まる手紙を、同級生のコナーに持ち去られてしまう。それは誰にも見られたくないエヴァンの「心の声」が書かれた手紙。後日、校長から呼び出されたエヴァンは、コナーが自ら命を絶った事を知らされる。悲しみに暮れるコナーの両親は、彼が持っていた〈手紙〉を見つけ、息子とエヴァンが親友だったと思い込む。彼らをこれ以上苦しめたくないエヴァンは、思わず話を合わせてしまう。そして促されるままに語った“ありもしないコナーとの思い出”は両親に留まらず周囲の心を打ち勇気を与え、SNSを通じて世界中に広がっていく。思いがけず人気者になったエヴァンは戸惑いながらも充実した学校生活を送るが、〈思いやりでついた嘘〉は彼の人生を大きく動かし、やがて事態は思いもよらぬ方向に進む—。

https://deh-movie.jp/

穏便な書き方にはなってるけど、エヴァンは「家族にも心を開けずにいる」という次元ではなく、抗うつ薬など(物語の途中に「ゾロフト」とか出てくる)を投薬され、セラピーを受診していて、「Dear Evan Hansen」から始まる手紙というのも、そのセラピーの一環で、自分にあてて、自信を持たせて励まして、と言うような内容を書いた手紙。それを学校でプリントアウトしたものをコナーに奪われて、エヴァンが腕にしていたギブス(その時エヴァンは腕の骨を折っていた。これが後々の伏線になるのだがそれは映画を見て)に悪ふざけで友達のように「CORNER」と名前を落書きする。要はスクール・カースト上位っぽいやな奴で、事実、妹のゾーイとの関係もよくはなく、自殺したあと、コナーの父親は現在の姿ではなく小さな頃の野球に夢中だった頃のコナーを、母親はヴィーガンや仏教(系のカルトっぽい。具体名は挙げてないけど)にはまって息子の今の姿を真正面から見ることなく「いい子だった」という思い込み、というか、そうであって欲しいという勝手に理想化したコナーを心に抱いて、自殺した時にポケットに入っていたエヴァンから奪っていた「エヴァンが自分に宛てて書いた手紙」を「エヴァンに宛ててコナーが書いた遺書」と勘違いして、エヴァンはそれを間違いと言えずに、詳細を聞かれて2人の昔話の記憶を「捏造」してしまう。
正直書いてしまうと、エヴァンは、まぁ思いやりがないとは言わないけど、どちらかというと、そうやって両親が捏造していった「私たちのコナー像」を否定するには、心を病みすぎていた、というのが正しい所。現実を見ない両親に対して、それを否定するというのは精神的にかなり負担が大きいし、あたしの経験上でもとてもそんなことはできない。
そんな中で、コナーの父母妹が、同じ歌詞を歌っているのに思っていることが全く違っている「Requiem」という曲(”I will sing no requiem tonight"という象徴的なサビがこの曲の聞き所。まさに3人共が全く違う意味でこのフレーズを歌っている)は、前半のこの映画の白眉。

そして、「コナーを記念する活動をしよう」と誘いかけてきたアラナ(彼女もまたいくつもの精神系の薬を飲んでいるし、そうやって何物でもない自分にならないように「森林破壊を防ごう」みたいなスピーチをしたり、いわゆる「意識高い系」的なことをしている、心を病んだ高校生なんすよね)に応えて、「捏造した記憶」を語る(あるいは騙る)エヴァン。その姿がスマホで撮影され、SNSで拡散され、そのエヴァンのスピーチが拡散されていくことでエヴァンは承認され心が癒やされ、エヴァンのスピーチの中に出てきた、今は閉鎖された果樹園を「コナー記念果樹園」として再開するためのクラウドファンディングが始まる……

というのが、公式HPには載っていない部分。これ以上の先の展開はさすがにネタバレになるので、まだ封切り1週目で書くのは控えるけど、SNSで拡散されていって、それに対する反応の動画や書き込み、わずかに残っているコナーについての想い出など、そういった様々な断片が集積されて、理想化された「コナー・マーフィー」が出来上がっていくというこの描写は映画ならではだし、逆にミュージカルでどうやってこのシーン(省けない重要なシーン)を描いたのか(,,゚Д゚)

そして、物語の結末は、ハッピーエンドでもバッドエンドでもない、あえて言えば「Life Goes On(されど人生は続く)」なエンディングであり、それはこの映画の一番いいたかったことでもあるし、エンドロールの最後に表示されるメッセージとも繋がっている。

うん、この映画は、病んだアメリカの現実を描いているし、決して何らかの解決策や「デウス・エクス・マキナ」がやってくる訳ではない。エヴァンも、ある結末を求めたけれど(ギブスは結局、その伏線だったのよね(,,゚Д゚))、結局は、地味に、でも少しずつ前に進んでいくしかない。なんか、70年代のニューシネマっぽい感じもあるかも知れないけど、でもあれほど絶望に満ちている訳でもない。

これがミュージカルでない映画だとしたら(邦画を例に挙げようとしたけど、それよりは「スリー・ビルボード」辺りの方がいいか。あれもやるせないとしか言いようがない映画だったよなー)、やっぱり見ているのはつらかったろうし、こんな物語でさえ、ブロードウェイミュージカルやこんなに豪華な音楽のミュージカル映画に仕上げてしまう。
どんな題材でも飲み込んで芝居にしてしまう歌舞伎に近いものが、アメリカのミュージカルの根底にはあるのかも知れない。

なんか、来週末(12/17)あたりから年末年始に、COVID-19禍で制作・公開が控えられていたブロックバスターな娯楽大作が続々と公開されるので、早晩この作品の上映は終了すると思う(今日の観客数からみてもそんな気がする。いくら平日昼とは言え新宿でこれだとなー(,,゚Д゚))。ただ、そんな感じで埋もれてしまうには、ちょっともったいない。Twではいい言葉が思い浮かばなくてつい「傑作」と安易な言葉を使ってしまったけど。うん、エヴァンの歌声が、心にぐざぐさと刺さってくる、そんな作品。それにはストレートプレイでなくミュージカルという「歌声」でないといけない、そして、その必然性を認識させるエヴァン役のベン・プラットの恐ろしく素晴らしい歌声。

この映画は、「ミュージカル」でないといけない、そして、「ミュージカル」の可能性の領域を広げる映画でもある。
うっかりまた「傑作」とかいう安易な言葉を使いそうになるけど、マジでおすすめ。なにより、ベン・プラットの歌をいい音響のシネコンのようなスクリーンで見ることができる、というだけで、この映画を劇場で見る価値がある。
COVID-19禍で映画公開が配信に移行しつつある今、劇場で映画を見る意味を再認識させる、まさにこの時期に公開されたのは、きっと何かしらの意味があると思う(,,゚Д゚)


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