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ナチスは「良いこと」もしたのか 感想

話題の岩波ブックレットを読んだ。一言でいうと勉強になった。
ナチスとは何だったのかを大掴みで理解することができるし、巻末にブックガイドが付いているので、もっと深めたい人にとっても、価値ある一冊だと思う。


ナチスとは何か…を考えるきっかけは

高校生の頃、もう何十年も前のことだが、「ナチスって社会主義でしょ」と、同級生に言われたことがある。どんな会話をしていたかは、すっかり忘れてしまったのだけど、えっ…と思っただけで、何の反応もできなかった。ただこの言葉だけが宙に浮いたまま、折に触れ、思い出された。

後付けの知識で「ナチスは社会主義者や共産主義者も弾圧したんだよ」とか「第二次世界大戦でもっとも犠牲者が多かったのは、ドイツと戦ったソビエトだよ」と答えられたかな、と思い返すこともあったが、単に事実を伝えただけでは納得を得られなかったかなとも思う。そんな問題意識もあり、本書を手に取った。


知らなかったこと、よくわかっていなかったこと、間違っていたこと

最初に、本書を読み、私の気付きになった点をまとめてみたい。

▶︎ナチスは社会主義だったのか

さて、冒頭の「ナチスは社会主義だったのか」問題だが、ナチズムがどう訳されているかという大前提から考える必要がある。

ナチズム(Nationalsozialismus)の訳語は「国家社会主義」だと思い込んでいたのだが、今、研究者や高校の世界史の教科書では、「国民社会主義」と訳すことが多いそうだ。筆者は「国民」にこだわる理由を3点にまとめている。

1つ目は、「国家社会主義」という訳語は「国家主導の社会主義体制」という、まったく別の内容を意味してしまう点をあげている。「国家社会主義」という訳語にふさわしいドイツ語は、Staatssozialismus (Staat国家+Sozialismus社会主義)で、これはソ連や東ドイツのように、国家権力が生産手段を国有化する社会主義体制を指すそうだ。
2つ目は、国家ではなく、国民や民族を優先するというナチズムの本質を見誤ってしまうという点。
3つ目は、ナチスがヒトラーの上意下達の全体主義ではなく、国民の支持、協力、または黙認によって成立していたという事実を見えなくさせるという理由をあげている。そして、ナチズムを理解する上で「民族共同体」という概念が重要になっているという。

「社会主義」という言葉が入っているのだから「社会主義だ」という人々もいるが、そもそもマルクス主義的な意味で使われる「社会主義」は、資本家と労働者という階級があり、階級闘争や国際主義という概念を持つ。しかし、ナチズムのいう「社会主義」は、あくまでドイツ民族のための社会主義であり、歴史の動因を民族・人種間の闘争とし、階級の諸問題もこれらの前に解消してしまっている。ナチスが社会主義を名乗ったり、社会主義的な政策を進めた側面もあるが、それは本質ではないとしている。

私はなるほどと思ったが、どうだろうか。

▶︎アウトバーン建設が、ドイツを救った?

このブックレットを読むまで、ナチの経済政策は成功した面もあると思っていたが、どうやらそうでも無いらしい。
特にこのアウトバーン建設はモータリーゼーションの先駆けとして、フォルクスワーゲンとともに、もっと評価されるのかと思っていた。
しかし、雇用創出の効果は限定的で、アウトバーンも完成していなかったとは驚きだ。

▶︎ナチスと環境保護運動

意外だったのが、ナチスの環境保護運動だ。環境保護運動は、公害など企業と対峙するという点や行政に規制を求めていくという活動スタイルから、左派的な市民運動という面が強いと思っていたが…。
ドイツ・ナショナリズムー森こそドイツ人の心のふるさとというアイデンティティーという視点でみると、確かに環境保護とナチズムの相性は良さそうだ。

※ ※ ※

ブックレットでは、ヒトラーがどうやって権力を握ったか、プロパガンダ、経済政策、労働者政策、家族政策など、全般的な検証が行われてる。
ナチスが「良いこと」をしたとは思っていなくとも、プロパガンダそのままに理解していたことも多かった。さらに、ナチスの政策の多くがオリジナルではないということも、本書を読み初めて知った。


それでは日本は

もう一つ、読みながら考えたことは、それでは日本はどうだったのだろうかということだ。

▶︎戦前の日本を何と言えばいいのか

戦後、冷戦期までは、ナチとソビエトはイデオロギーこそ違えど、ともに民主主義に敵対する全体主義という立場から研究されていたそうだ。私も、ナチスが社会主義というのは違うと思うが、全体主義と言われれば、そうだと納得していた。
しかし、こうしたナチズム理解は批判され、もっと複雑な支配の実態に注目する研究が優勢となっていると言う。

さて、翻って戦前の日本を、どんな体制と理解すればいいのだろうか。
もちろん私なりの考えはあるが、本書の「はじめに」で説明されていた〈事実〉〈解釈〉〈意見〉という三層構造で説明された歴史学として考えたとき、どうなのか。
私は日本の近代史について、どれだけ説得力のある言葉を持っているだろうか。〈事実〉と〈解釈〉の上で、自分の〈意見〉を述べることができるだろうか。
本書を読み、このことが一番突き刺さった。

▶︎収奪という視点が突きつけるもの

ドイツはどうやって脅威的な経済回復を成し遂げたのか…筆者はその大きな柱の一つに、収奪を挙げている。
占領地からの、ユダヤ人からの収奪、外国人労働者の強制労働が、研究者によって違いはあるが、大きな比重を占めたと考えられている。

ここでも同じように考えてしまう。日本の戦争はどうやって賄われたのだろうかと。誰がその犠牲を払ったのだろうかと。きっと日本の研究者にも、数量的な計算をしている方もいると思うので、勉強してみたいと思う。

写真は、知人に見せてもらった史料だ。日本では、市民が様々なものが供出させられた。本の感想とは離れるが記しておく。

貴金属供出証書 昭和19年11月10日とある


▶︎「良いこと」もしたという言説は日本でも

この「良いこと」もしたという言説は、日本でも植民地とした韓国に対して言われている。「良いこと」も、どころか「良いことばかり」という主張もある。
この本のタイトルが、人ごとでないと感じるのは、まさに、私たち自身の歴史認識が問われているからだと思う。


まとめ

こうした言説が生まれる背景に、筆者はポリティカル・コレクトネスに対する反発、権威主義への中二病的な反感があるのでは、としているがどうだろうか。
そういう一面もあると思うが、私はちょっとモゾモゾしてしまう。
なぜなら「〇〇は良いこともした」「〇〇は嘘だ」という言説が、政権に近いところから、意識的に吹聴されていると感じるからだ。単なる表現の問題ではなく、もっと意図的なものとして、考えなくてはいけないと思っている。

兎にも角にも、この本が、文量的にもお値段的にも手に取りやすいブックレットというかたちで出版されたことに、感謝したい。


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