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映画備忘録「メアリと魔女の花」

今回は不思議な気分で書いています。
思いついたことを書き並べるだけになると思います。
それでは本編へどうぞ

※ここから先、本編ネタバレを含んだ感想文となります。
まだ観ていない方は気をつけておすすみください。

読み返したら、書き忘れとか変なところあったので加筆しました。
(2023/2/17)

あらすじ

その森にしかなくて、七年に一度しか咲かない花 ≪夜間飛行≫
それはかつて、魔女の国から盗み出された禁断の"魔女の花"だった。
一夜限りの不思議な力を手にしたメアリは、雲海にそびえ立つ魔法大学"エンドア"への入学を許可されるが、メアリがついた、ひとつの嘘が、やがて、大切な人を巻き込んだ大事件を引き起こしていく。
しだいに明らかになる"魔女の花"の正体。メアリは魔女の国から逃れるため、すべての魔法を終わらせようとする。しかしそのとき、メアリはすべての力を失ってしまう―。

Filmarksより

感想

 この映画が公開されたのは2017年ですがその年は色々忙しくて見に行けないまま数年の月日が流れていました。最後に映画館で見たジブリ映画は2014年の「思い出のマーニー」でまだ中学生だったから今作は大人になってはじめて見た新しいジブリ映画ということになります。
 なんでこんな話をしたのかというと今作を見ながら今の私がみているところと子供の頃に見てたところが変わったなあという話をしたかったからです。

子供が見るジブリ、大人になってみるジブリ

公開5年後にしてやっと見た「メアリと魔女の花」これを7歳の私が見たなら魔法学校の先生を怖がって泣いたり、不思議な生き物に目を輝かせながらこの先どうなるんだろうと考えたかもしれません。でも本当にそうかはわからないです。
 今の私がみると、同じこの先がどうなるかでも全く違う目線で見ていました。結果を予想しながら見ているといったら良いのでしょうか。
 キャラクターの過去や映画の中の世界の決まりごと、他にも自分が知っている知識が頭をよぎるのです。魔法と化学のこと、赤髪はなぜ強い魔女だと言われるのか、このシーン描きたかったのかなあとか。なんで魔法を使い切ったメアリたちは最後ほうきに乗って帰れるんだろう。なぜ昼の地上には魔法が持っていけないのだろうとか、ない頭振るって考えようとする自分がいた時になんとなく昔とは見るポイントが変化しました。

化学と魔法

観ている途中でふと思い出した言葉があるのでメモっておきます。

十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。

クラークの三原則より

これも何かの本か映画で聞き齧った言葉です。
物語に登場する魔法学校エンドア大学では魔法と同時に化学の研究をしていました。作中に登場する魔法は「ハウルの動く城」や「魔女の宅急便」に登場するような不思議な(ファンタジーな)力としての魔法だけではなくて、なぜ雷は起きるのか傷を癒すにはどうしたらいいのかといった物事の仕組み、道理といったものが混ざった魔法なのです。(「平成たぬき合戦ぽんぽこ」でも化学(ばけがく)と言ってたぬきたちが化ける練習をしていますよね。感覚としてはあれに近い気がします。)ファンタジーだけの魔法ではなくて、技術としての魔法の話があると思ったらなんとなく思い出しました。だからなんだという話ですね。それだけです。

赤髪の魔女

 魔法学校の人たちはやたらと赤髪を特別視していました。理由は「赤い髪の魔女は強い力を持っているから。」赤髪の魔女=強い魔女はどこからきた考えなのでしょうか?気になって赤毛について調べてみたら色々想像できそうだったのですが、ここでは最初の直感だけお話しします。
 これを読んでいる人は「ハウルの動く城」を覚えていますか?
主人公ソフィの髪色は元々は深い茶髪、おばあさんになってからは銀髪へと変化していました。しかし原作ではちょっと違うのです。これをみてください。

これはハウルの原作表紙です。真ん中にいる赤髪の女性、じつはこれが原作のソフィなのです。そう、ソフィは元々は赤毛でしかも”魔女”として描かれているのです。細かいところは忘れてしまいましたが、違う作品でもルーツ的なところでつながっているのかもしれないと考えると楽しくなってきますね。
 ここで語れないの悔しいので今度原作全部読もうと思います。全3巻あって学生の頃に読んだのですが、最後の一冊がなかったか、ずっとだれかが借りてて読めずに学校卒業してしまったんです。(後者なら面白かったのはわかるけど本はちゃんと図書館に返しなさいね。)

変わりたい少年少女

物語の主人公メアリと彼女の友達のペーターはそれぞれにどうしようもない悩みを抱えています。その悩みから今の自分とは違うなにかに変わりたいと願っていて”違う自分になりたい”それが今作の軸にあたるような気がしています。
悩みについてほぼ推測になるんですけど並べてみますね。

メアリの悩み
・何をやっても失敗してしまう
・周りとは違う赤髪のコンプレックス
ピーターの悩み
・子供の自分には母を助けられない、大人になりたい。

映画の冒頭はとにかくメアリのおっちょこちょいなところや、赤髪へのコンプレックスを見せてきます。ボサボサでまとまってくれないし「赤毛のサル」と言われるしメアリにとって赤髪はマイナスなモノでした。でも自分の性質や髪色のような生まれつきのものはそう簡単に変えることができなくてい。それこそ二人からすれば魔法でも使えなきゃ変わられないどうしようもない悩みだと言えます。
(だからこそはじめて魔法学校に行った時、周りが褒めてくれる、認めてくれる環境に喜んでいました。ここは別の項目で深掘りしたいのでここまでにしておきます。)

ピーターの悩みについては次の2つのポイントから考えてみました。
①彼には働かないといけない理由がある。
 他の子供が夏休みで遊びに行っているなかでピーターは一人だけ新聞配達の仕事をしています。遊びたい盛りの子供が働く理由は色々あるでしょうが親の稼ぎだけでは生きていけないか、親が働けない状況にあると考えられます。
②周囲の心配→自分だけでは解決できない悩みをもっている。
劇中で「お母さんは大丈夫?」と周りの大人から心配されたり、終盤で「魔法で大人にしてくれればよかったのに(省略)変わりたいのはお前だけじゃない。」とメアリに心情を明かすシーンが見られました。このことからピーターは働けない母のために働いている。しかし子供にできる仕事と稼ぎでは母の助けになれない。だから早く大人になって母を支えたい→子供をやめたい。そんな願いがあったのではないでしょうか。

まとまりないですがとにかく二人とも自分では簡単に解決できない悩みを持っていて変わりたいという共通点がある。そんなふうに見えたことだけ伝われば嬉しいです。

なぜ昼の地上には魔法が届かない?

私の勘違いかもしれないのですが映画をみていて気づいたことがあります。
それは地上には魔法が届いていないということです。作中には登場しない言葉を使う予定なので少し説明しますね。

昼の地上=メアリたちの住む街
魔法世界=魔法学校エンドア(雲の上にある不思議な場所)

え?メアリが最初に魔法を使ったのは昼間の地上だったじゃないか!!
しかもなぜ昼限定なのか?

言いたいことはわかります。でもまずは聞いてください。
メアリが魔法を使えたのは何があったからでしょうか?そう”魔女の花”です。彼女はこれがないと魔法が使えません。またそのあと校長先生が魔法を使ってメアリにメッセージを送りますがこれは夜、しかもメアリにしか見られていません。よって魔法が登場する条件は
①魔力を得るアイテム(魔女の花)があること
②夜であること
③他の人には見られないこと

③はいきなりでてきてびっくりしましたね。私もです。
書いていて思いついたのです。魔法世界以外でだれもメアリが魔法を使うところを見ていません。地上の叔母やお手伝いさんには内緒にしているし他の住人にも見せてはいません。メアリだけの秘密なんです。

じゃあなんで昼の地上は魔法が届かないのか…考えてみました。
地上には魔法が必要ないから。

よく見るとこの映画の舞台は現代に近いのです。
車もあるし、ゲームやテレビもある。つまり魔法がなくても生きていける世界なんですよ。科学でモノで生活に必要なものが賄(まかな)えている世界。
 だからこの地上の世界には魔法が入り込む余地がない。住人の多くが魔法を必要としていない。魔法は誰もみていない秘密の場所や時間(夜)じゃないと存在できないもの。もっと言っていいなら夢みたいなものだと思いました。

余談:秘密のチカラ
別作品の話になりますがこれを読んでいる人はハリーポッターを知っていますか?原作でも映画でも良いです。ネタバレ嫌な人はここ飛ばして読んでください。
作中で度々登場する「秘密の守り人」を覚えていますか?その名の通り彼らは秘密を守る存在として登場します。彼らが離さない限り誰もその秘密を知ることができない。ここで何が言いたいかと言うと、魔法にとって秘密であることが強力なチカラを持っているということです。(本編なにも関係なかったですね。)

魔法を使える人

最後まで見てこの世界で魔法を使えるのは魔法を必要としている人たちだけなんじゃないかと思いました。完全に直感です。
面白いのでちょっと考えてみましょうか。

ということで登場人物のなかで魔法が使えた人たちと使えない人をまとめてみました。

使える人たち
→悩みを解決したい。
・メアリ
→夢があった
・シャーロット(過去)
→夢を追いかけている
・マダム・マンブルチューク
・ドクター・デイ(一応)
・魔法学校の生徒たち

使えない人たち
・シャーロット(現在)
・バンクス
・ゼベディ
・ピーター

ついでになぜ魔法が使えるのかも書いてみました。

まず一緒に想像してほしいことがあります。魔法学校はじつはとても進んだ科学技術を持った秘密都市である。できましたか?
先ほどの「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。」という言葉、そしてドクターデイという科学者の存在。あそこで研究されているのは人類がまだ追いついていない未知の技術でありドクターたちはもっと文明をすすめるために、そして自分達の夢のために魔法を必要としていると妄想してみました。シャーロットも元は魔法大学にいたのなら途中までは同じ志があったのでしょう。

ドクター達が夢として、メアリはどうでしょう。
魔法が使える理由は先ほど話したように、魔女の花があるから。
そしてこれとは別に昼の地上では解決できない悩みを抱えているから。
自分の容姿や性質(失敗ばかりしてしまう)を変えたいとメアリは願っていましたね。彼女には魔女の花というアイテムそれを使えば解決できるかもしれない悩みこの2つが揃っていたから魔法を使えたと言えないでしょうか?
さてここで、この物語にはもう一人変わりたい人物がいたのを思い出してください。そう、ピーターです。彼は魔法をかけられただけで魔法を使う描写はありません。(本当にそうかちょっと自信ないけど)この二人の違いはなんでしょうか?一度整理するのに次の言葉を使わせてください。

魔女の花=悩みを解決してくれる道具やチャンス

メアリにあってピーターにないものそれは魔女の花です。
魔女の花を悩みを解決してくれる道具やチャンスの象徴だと考えると、二人の境遇の違いが気になります。

メアリ→元魔女の大叔母がいて、守ってくれる大人がいる。
ピーター→周囲の大人は心配してくれるが、自分でなんとかしないといけない(と思っている。)

ピーターも魔法を使うシーンがあっていいと思うのですが、こうして二人の境遇の違いを見てみるとピーターは自分がなんとかしなきゃいけない。と思っていそうだなと考えました。自分がなんとかしないといけない→周りの力は借りられない。と思っているから魔女の花や魔法といったものはピーターにとって必要がない。だから使えない。

”自分がどうにかしないといけない”と思っている時ほど周りにSOSだせればすぐ解決することに気付けなくて助けの手を掴み損ねる。こんなこともあるよなあと思い書き殴ってみました。

逆にメアリにとって魔法=嫌いな赤髪や自分の行動を褒めてもらえる/認めてもらえる。物語序盤のメアリにとってとにかく人並みあるいは人よりできること→自分の価値を認めてもらえる物事が必要だった。それが魔法だった。
絶対にこれ!じゃなくて良いのだけれど褒められたことって嬉しくなって、ああこれが自分のできることなんだ。必要とされることなんだと思うことありませんか?私にはありました。だからこんな長ったらしく書いてしまったのかもしれません。

余談
さっき地上の世界に魔法が届かないのは魔法が必要ない世界だからと言ってたのに色々矛盾しそうw
思いつきですが「天空の城のラピュタ」でもラピュタ文明は大地を離れて空へ行きました。現実ではマチュピチュのような現代でもおそらく当時でも独自の文化を形成した文明というのは空にいくか、地下深く潜るか、とにかく常人がたどり着けない場所に行くのではないでしょうか。技術を他から隠すためあるいは迫害から逃れるために。そして地上は地上で自分達の文明を築いていくこんな構造なのではないかと思います。

と、いう考えに私はいまのところなりましたがこれ読んでる人はいかがでしょうかね。
これは本当に根拠のない私の想像です。でもこうやって進める想像楽しくないですか?これ読んで「え?これってこういうことなんじゃない?」と思った人は是非おしえてください。一緒に妄想楽しみましょう。

まとめ感想

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
映画を見終わって思ったのは、これまでのジブリらしくないジブリだったなでした。(全部見てないのに話すなというツッコミは抑えてください。)「借りぐらしのアリエッティ」までは宮崎監督が脚本という形で制作に携わっていたそうですが、今作は監督・脚本共に米林監督。何か毒気のようなドロッとしたなにかがが抜けた感じがしてこれまで見たジブリとは見た後の気持ちが違ったように思います。監督が変わったという先入観みたいなものがあったせいかもしれないし、大人になってから見たからかもしれません。

上記のような気持ちは拭えなかったものの、魔法が始まる瞬間のワクワクやメアリやピーターの変わりたいという気持ちそれらが伝わってきて見ていて楽しかったです。

余談

「思い出のマーニー」を経てなんだか登場人物や景色が観ている私たちにとても身近なものなった気もします。私の感覚ですが、ナウシカやもののけ姫は話のスケールが世界や人類、人一人の運命のような大きなものになっているのに対し、もっと個人的な話になっている。言い方を変えると話のスケール、物語の世界が狭まったという感じがします。港町とか、北海道ののどかな町とか、ヨーロッパの小さな村とか。学校とか。色々ありましたね。舞台が身近なものになってきた。だからこそストーレートに感情表現や物語の進み方を受け止められたし考えられた。そんな気がします。

最近ナウシカとかの解説動画を見ていて、多分この考察とか見当違いがとても浅いことばっか考えているのだろうなあと思いつつ結果楽しけりゃ良いと思ってます。今回は地上の世界に魔法がない理由考えてる時がとても楽しかったです。

はい!今回はこれで終わりです!!
見た人は是非お話しさせてください!
ありがとうございました!!


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