【夢を語れリレーブログ】人と話すことができなかった僕がゲストハウス夢を語れを作る(準備中)までの話
どーも!夢を語れ宮崎代表のまっつんです!
いきなりですが
6月から、夢を語れの代表たちによるリレーブログ!
その名も「ユメカタリレーブログ」始めます!!!!
今回の企画は
全国各地の夢を語れに訪れた時に
皆さんをお出迎えするであろう代表や店の顔のメンバーのことを、もっと皆さんに知ってもらいたい!
という目的で立ち上がった夢を語れ有志によるリレーブログです!
【簡単な自己紹介】
中高とうまく人と喋れない→浪人→大学デビュー→自信をつけるために日本や海外を旅する→就活でなりたい職業が分からず悩む→就活を諦める→自分のやりたいことを探すため日本一周→夢を語れに出会う→宮崎に帰りゲストハウス出店→心からやりたいこと(夢)を見つけたい人の力になりたい
これまでの生い立ち
僕はADHDです。注意欠陥多動性障害と言われ、今では有名になってきた言葉ではありますが、
「不注意」と「多動・衝動性」を主な特徴とする発達障害の概念のひとつです。
この言葉は、大学の発達心理学という講義で知ったのですが、セルフチェックの項目で全てが当てはまり、クラスの友達が『これ松下やん!』と口を揃えて言われたのと、病院で診断も簡単に受けているので間違いないです。
今は、自分自身の癖を理解しているので、大きなミスはしなくなりましたが、昔はそんな自分が嫌いで、全く自信がありませんでした。
僕は名古屋出身ですが、小学校6年生までは、親が転勤族で、名古屋→福島→新潟→名古屋と引っ越しを移動が多い家庭でした。
小学校の頃は、わんぱくで誰とでも仲良くなれる性格でしたが、小学6年生で新潟から名古屋に転校をし、周りの雰囲気に馴染めず、クラブ活動にも参加していなかったため、うまく友達と喋ることができなくなっていきました。
その頃から、徐々に『自信を失くして』いったのだと思います。
本当は話したい気持ちがあるのに人を目の前にすると言葉が出てこない。そんな状況が高校卒業まで続きました。
高校ではラグビー部に入り、3年間続けました。本当にラグビーが好きで、大学でも続けたいなと思ったのですが、希望の大学に行くための学力が足りなかったため、『浪人』することを決意し、ひたすら勉強に打ち込みました。
大学生で何があったのか?成功体験
大学は、浪人中の努力が実り、見事国立大学の、宮崎大学に行くことができました。
大学生で教育学部保健体育科に入った僕は、初めから教師を目指すというよりかは、
『大学4年間でやりたいこと全部やって、一番自分に合う職業を見つけよう』と考えて
何をするにしても全力で取り組んでいきました。
大学一年生の夏休みに自転車で九州一周に
大学生で初めてのチャレンジでした。ずっと貯めていたお年玉で、ロードバイクを購入し、九州を周る計画をたて、8日間かけて達成することができました。
あの時、見た景色、出会った人は今でも忘れないし、8年間連絡を取り続けている方もいます。
大学二年生で実家の名古屋まで自転車で帰る
旅の魅力を知り、次の年の夏休みは、宮崎から名古屋まで1000キロくらいの道のりを自転車で行きました。
この頃から、もっといろんな景色や世界を見たいと思うようになります。
ただ一見明るく見えますが、
心のどこかではどこかでは『自信がない自分』がいて
行動することによってその穴を埋めていたのだと、今は思います。
休学を決意 オーストラリア一周へ
もっと広い世界を見たい!もっといろんな経験をしてみたい!!まだ足りない!!
どうしても抑えられない『好奇心』という欲求がどんどん溢れて、
大学の教授に何度も頭を下げて、僕はオーストラリアのワーキングホリデービザを取得し、バイトも毎晩大学の授業が終わったらして、40万近く貯め、オーストラリアに行きました。
ここで僕の人生は、良くも悪くもガラッと変わっていきます。
出発前は、英語も全く喋れず、ワクワクと期待と不安で、ずっとソワソワしていました。
オーストラリアで人生最大の挑戦!1000人に英語で夢を聞く!
人生最大のチャレンジ。
ここで人生を変えずにいつ変えるんだ!!
大学卒業後やりたいことを、ここで見つけたい!!
と思い、毎日本気で動きました。
英語も『ハロー』しか言えず、ろくに会話ができなかったので、宿に一緒に泊まっている、ヨーロッパの旅人たちと毎日話して、現地の図書館で映画を借りては見続け、日記も英語で書きました。
『オーストラリアで夢を1000人に聞く』というチャレンジを掲げ、たくさんの方に夢を聞きました。
農業をして働きながらさらにお金を貯めて、安く車を買いオーストリアを一周を始めます。
オーストラリアで価値観がぶっ壊れる
そうやって海外の人に出会っていく中で、日本人の
大学卒業→就職という
いわゆる『レールに沿った生き方』だけじゃないということに気づき始めました。
例えば、
最低限の収益を得て、あとは自由にのんびり暮らしてる人
教師を2年間休んで世界中を旅している人
ブログや投資で生計をたて、毎晩お酒を飲んでいる人
原住民族のアボリジニ人
マリファナ吸って毎日楽しそうな人ww
などなど、本当にいろんな種類の人がいました。
そんな人たちを見ながら、オーストラリアで建てた目標も達成して
オーストラリアから無事帰ることができました。
地獄の始まり 就職を諦めるまで
人生を変えてやろうと本気で思っていったオーストラリアですが
日本に帰ったら元の暮らしが待っていました。
始まる就活。(教師は教育実習を重ねながら、なんか違うなと思っていたので早くに諦めました)
とりあえず就職説明会にいき、とりあえず30社くらい応募し、とりあえず面接を受けてきましたが、
パッとする会社に巡り合うことができないでいました。
唯一、HUBというブリティッシュパブのお店を全国に展開している会社が気になっていて
たまたま3次面接まで通過しましたが、
『同じ場所にずっといられない』ことがネックでお断りしました。
そこで僕は、何にもやることが決まっていませんでしたが、就職を諦めました。
ただどうしても、とりあえずで入社してみるという妥協はしたくありませんでした。
なので、就職を諦めたことに後悔はありません。
日本一周に出発!
就職を諦めた僕は、日本一周に出ることにしました。
大きな決断をするときの判断基準として
『明日死ぬとしたら何をしたいか?』と自分に問い
今から日本一周がしたいと思ったからです。
その頃路上で路上パフォーマンスをして、稼ぐ術を身につけていたので、
現地でお金を稼ぎながら、旅をしていこうと思いました。
夢を語れとの出会い
路上パフォーマンスをしながら、日本一周を進めていく僕ですが、
北の方に行くにつれて人通りがそもそも少ない県もあり、旅を続けることが困難になっていきました。
そのせいで、心も苦しくなり、鬱状態になり、外に出ることすら出来なくなってきました。
そんな中、札幌で『夢を語れ』というラーメン屋をもともと知り合いだった、中村吏希くんが始めるということで、
そこで働かせてもらうことになります。
このお店では、二郎系のモリモリのラーメンを食べた後に、
お客さんが夢を語ることができます。
僕はその中で夢を聞いて、実際に何人もの夢が叶っていくところを見てきました、
・受験合格
・彼氏彼女ができる
・夢を見つける
などなど、本当にたくさんの夢。
そんな中で僕も夢を、勇気を出して語っていくうちに、少しずつ叶っていくようになります。
そしていつの間にか、僕は『夢を語れるゲストハウスをしたい』
と語っていました。
夢は語ると本当に叶う
夢は叶います。最近前澤さんが宇宙に行きましたが、ずっと諦めなければどんな夢も叶うと心から思っています。
これは、僕の実体験からもそうですし、たくさんの方が夢を叶えてく姿を見てきた経験から言えることです。
ゲストハウス夢を語れを起業します
僕は、夢を語ることで、人生が変わりました。
自信が無かった自分を変えることができました。
現在は、そんな経験を、たくさんの人に広めるために、夢を語れる宿を宮崎県に開業予定です。
これからどんな人生を生きたいの?
とにかく昔の自分と同じように、将来のやりたいことが分からない、漠然とした不安がある、そんな人たちに役立つことがしたいと考えて、『夢を語れ』をしたいと思うようになりました。
自分がなんのために生まれてきたのかを理解したい。
昔の自分のように現状を変えて、より良い人生を歩みたいと願っている人たちをサポートがしたい。
周りの人から言われたからという理由で仕事・勉強をやる人生を生きるのではなく、自分が心からやりたい事を一生懸命にやろう。
僕の場合それが、ゲストハウスであり、語ってくれた夢を叶えるためのサポートをすることに人生を捧げています。
人生を通して、好きな時間に、好きな人と、好きな場所に行くという新たな夢の真っ最中です。
これからも夢を全力で追いかける、そういう人生を生きたいと思っています。
これを読んでくれた皆さんがより良い人生を歩むことができますように。
終わり
はじめにも述べましたが
今回の企画は
全国各地の夢を語れに訪れた時に
皆さんをお出迎えするであろう代表や店の顔のメンバーのことを、もっと皆さんに知ってもらいたい!
という目的で立ち上がった夢を語れ有志によるリレーブログです!
今ある店はもちろん、これからできる店の代表も参加しますのでぜひともお楽しみに〜!
おつぎは東京代表ダンさんで!!
お願いします😊
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