日常に溶け込んでいるもの
今寝ようとしてる時にふと気づいちゃったことがありまして
考えない方がいいことを考えちゃったりしますよね
どんよりするテーマですが死について気づいたら考えてます
というのも今日は課題やらなきゃーと思いながら時間が経ってけっきょく期限ギリギリまでダラダラしちゃってました
それで、その間は買い物に行ったりYouTubeみたりしてたわけです
まずYouTubeですが、おすすめに出てくる動画を見てるとショッキングですが孤独死の清掃現場の動画や一見懐かしみのある国鉄のときの福知山線の線路動画をみてたんですが
孤独死って歳を召された方に多いのかもしれないですが若者も十分なり得る問題なんですよね。
一人暮らしで日常生活を送っている時急に亡くなってしまった方や人生に疲れて生きる気力をなくして最後を迎えた方
これって年齢関係なく起きるものだと最近思って、一人暮らしで仕事を頑張っている姉のことを思ったり、将来自分がするとなったときに自分もこうなっちゃうかもなあと無駄な心配(?)をしてみたりしました。
福知山線の動画では1984年のものだったのですが、駅のホームに50-60歳くらいの渋いサラリーマンが立っていて、今元気に生きてるのかな?と映像の中で出会ったばかりの1人に思いを寄せたりしました。
買い物に行ったのは、母がワクチンをうって副作用でしんどそうだったのでポカリとかアイスとかを調達するためです。
50代っていっても若く思えるけど、私を産んだ時は30代だったし、40代の母も見て育ったし、年々歳を重ねてることの実感が湧くようになって両親といつか離れる時が来るのかーと少し寂しくなったりしました。
60代は自分の中では昔のおばあちゃんの年齢だったから年寄り予備軍的な感じに思ってて、両親が底に近づいていっているのがなんだか勝手に辛いなー
自分の60代はまだ想像できないけど。
一日の中で死に関連すること考えすぎてこれ今後大丈夫かな?ってなっちゃいますね
たぶんメメント・モリって脳が語りかけてるんだろう。
おわり
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