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タイギゴ (8)

㊗️杯

 8月12日(水)か8月13日(木)に小説を書き始めて、第1稿を2週間で書いた、それから推敲と原稿用紙に清書をして、清書した第2稿をポメラに打ち込みながらまた書き足したり削ったりして、とにかく退屈しないことだけを考えて、内容や整合性は後回しにして小説を書いた。

 その小説が今日終わった、今日の午前中、文芸誌の新人賞に応募した、その祝杯のビール、1位になれば小説家デビュー、ならなければまた来年。

 第1稿が原稿用紙約80枚、2稿が120枚、最終的に130枚の小説になった。

 たぶん、一次審査くらいは通過すると思う、さすがに1位にはならないと思う、逆になったら困る、まだそこまで技術がないし、もしデビューしてしまったら俺は一発屋で終わる、まだこの先も死ぬまで小説を書いている自分をイメージできないから。それは経験値の差。10年も書き続ければ習慣になる、習慣になればこっちのもの、プロフェッショナルとは毎日やっている人のこと、みんな食事と排便の達人、ウンチのプロ、インプットとアウトプット。

 もう次のは書き始めてる、いや書き終わった(書き途中?)ものが1個ある。それは今のところ第1稿で140枚なんだけど、モチーフが違うだけで今日新人賞に応募した小説とやってることが同じだから飽きて、放置してる。

 それとは別に違う小説も書いてる、英語で「ラクガキ」というタイトルの小説、保坂和志の『カフカ式練習帳』のもろパクリ、小説の短い断片をたくさん書く小説、こっちは2年くらいかかると思う、だからそれなりに長くなる、でもとっても短い物語(1行だけの物語もある)の断片の集まりだから、読めると思う。

 小説はつまんない、整合性とかオチを重要視するあまり、いま読んでるその一文の退屈さがないがしろにされてる小説はつまらない。どんなに「ドンデン返しがすごい」と言われても、その「ドンデン返し」に至るまでの文章がつまらないから、読んでて飽きるから読まない。小説を読まない人が悪いんじゃない。退屈な小説を書く方が悪い。自分の小説を買った人は最後まで読んでくれるだろうと甘えてる、だからつまらない。
「じゃあ、お前はどうなんだ? おもしろい文章を書けてるのか?」
「しらねーよ、ばーか」

 別にこの、今日応募した小説でデビューしたいとは思ってない、たぶん10年くらいかかる、10年間休まず、毎日小説のことを考えて毎日小説を書けばさすがにデビューぐらいはできる、できないかもしれない、慢心がある、でもできなければ向いてなかっただけ、小説を仕事にするのには向いてなかったけど、趣味として小説を書くのが楽しいからやってる、毎日机に向かって、うんうん唸りながら文章を書くのことそのものがたのしい、デビューできなくても構わない、仕事になったら素敵だとは思うけど、ならなくても構わない、野心があると落選したとき落ち込む、賞は獲れなくていい、小説を書いてる時間そのものが楽しいから書いてる。

 俺の死後、机の引き出しやら棚から、何十万枚何百万枚の原稿用紙が発掘される、吉村作治よろしく、遺族がだれかに人脈があって発表されてもよし、焼き捨てられてもよし、でも焼き捨てられないようにネット上にちょっとずつ、おもしろいものは挙げておく。

 1個、昨日書いてバツグンにおもしろいのがあるんだけど、さすがにちょっと挙げられないのがある。エッチな話。エッチの話。やっぱり、エッチな話を書くのがいちばん楽しい、でもそのうち、どうでもよくなった頃に挙げる。挙げなかったとしても親しい友達には送りつける。もしくは飲み屋の席で友達に言う、そして感想をもらう。
「笑った?」
「バカバカしかった?」
 教養や気づきがあるから小説はおもしろいんじゃない、文章そのものが読んでてたのしい、ラップを聴くように読む、ラップのような小説。

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