2021/01/17(未明-p.230)


 ラジオパーソナリティーっぽい、と感じるときがあって、漫才は二人で「ボケ」と「ツッコミ」がいて「ボケ」の人が変なことを言ってそれを「ツッコミ」の人が突っ込むけれど、ひとりラジオパーソナリティーはそれをひとりでやる。ひとりでボケて、ひとりで突っ込む。
 それは「漫談」とは少しちがう。漫談は掛け合いっぽくない。あくまでひとり語り、という感じがする。これは僕の印象の話なので人によっては「そんなことないよ」と感じる人がいるかもしれないが、僕はそう思う。

 たとえば今みたいなことがそうなのだ。
 僕は「読者の中には僕の考えを共有できないと感じる人もいるだろうけれど……」というようなことを上に書いたけれど、そもそも、今、この文章を書いている私にはこの文章を読んでいる人、実在する読者の意見は僕の耳に入ってこない。(まず読む人の目に留まってすらいない。投稿する前の文章だから。)だから「僕の考えを共有できないと感じている読者」はこの世界に存在しない。なのに存在しているかのように書いている。ではこれは誰の意見/声なのかと考えると、自分の内側からでてきた声だ。つまり私自身の声だ。この時点でラジオパーソナリティーっぽい。

 伊集院光が「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」というラジオ番組にでてたとき、
「ラジオの醍醐味は、自分でキザなことを言ってしまったときに、
『まあ、キザなことを言ってしまったんですけどね(笑)』
 とツッコミができることなんじゃないか」
 みたいなことを言っていて、同じようなことを「山里亮太の不毛な議論」でも言ってた。
「自分の中に教科書持った自分がいて、『ラジオとはこうあるべき』みたいなことを言ってくるんですけど……」
「でもさ、それって誰だよ! って思わない?」

 不安の話もしてた。山里さんはパートナーと幸せな結婚生活を送れているけれど、いままで負の感情をエネルギーにしてきたから、幸せな生活を送れていることに不安を感じているんだけど、伊集院さんは、
「大丈夫、不安はまた形を変えて現れるから」
 と、エール? アドバイス? 呪い? を送ったらしい。

 昨日の夜も急に大きな不安に襲われた。ちょうど日付が変わった頃だったと思う。
「将来、どうなるんだろう……」
 と急に心に浮かんで、今は衣食住あるけどそれがなくなったらどうすんだ? と急に思った
 本を読んで眠気を待とうとしてたけれど、こんな精神状態で本は読めないし、そもそもこういう漠然とした不安は考えても仕方がなくて、切りキズみたいなもので、どんなに「痛くない…、痛くない…」と唱えても、皮膚は裂けて血が出ているんだからキズは痛くて、気持ちの問題でどうこうなるものじゃない。不安も「不安じゃない…、不安じゃない…」と唱えてもなんの効果もないから、寝るしかないから、本は読まないで寝た。
 そのせいか悪夢を見たのか今朝かけ布団はくしゃくしゃによれて寒かった。



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