2021/02/06(未明-p.12)


 普通二輪の検定が終わった。節分の夜に2回すっ転んで、5、6回エンストしたあとだ。
 トンデモナイ緊張だった。
 昨日の夜から憂鬱で、不安で、「考えてもしょうがない!」と心の中で何度も唱える。
 ほんとうに考えてもしょうがないのだ。やってみなきゃ分からないし、終わってみなきゃ分からない。そのときにならないと分からないことについて考えるのはよそう。漠然と将来に不安をもつのはやめようと思う。
 考える。
 以前のぼくならもっと漠然とした将来の不安にもっとビクビクしていたと思う。だんだんと訓練してる。
 みうらじゅんだ。
 みうらじゅんが「将来について考えてもしょうがないんですよね。不安に思ったら、
『不安タスティック!!』
って言うんですよ。石ころでも目の前にあると『この石で転んだらどうしよう……』とか考えちゃうんだけど、思いっ切り遠くに投げちゃえば考えないで済みますから」

 とにかく不安は遠くに投げる。不安で息ができなくなってきたら『不安タスティック!!』と言う。不安とファンタスティックの掛け言葉だ、みうらじゅんはこういう言葉を考えるのがうまい。
 みうらじゅんの話を聞いてちょっとずつ実践するようになった。だからと言ってまったく不安を感じなくなったわけではないけれど、不安を覚えたら、
「考えてもしょうがない!」
 とすぐ思うように訓練する、不安を無駄に膨らませないようにする。

 考えてみれば、不安を無駄に膨らませるのって、ほんとうに無駄だ。それでお金持ちになれるとか幸せを噛みしめる瞬間が倍増するとか欲しいものが手に入るとか、死ぬまで一瞬も不安を感じないで済むようになるならいくらでも不安を膨らますけれど、そんなことない。見返りはなにもない。こいつは俺を苦しめるだけで良いことは何もない。ほんとうに無駄だ。なら膨らませない方がいい。

「若いうちは苦労を買ってでもしろ」って言葉があって、俺はこの言葉を100%肯定することはできない。大人が若者に苦労を押し付ける口実になっているような気がするからだ。どうして若者はこんなに毎日、不安に滅多打ちに合わないといけないんだろうと思う。40代になると、不安を不安がるにも体力が必要なんだ、ということに気がつくらしい。40代になると体力が低下してきて、すぐ疲れちゃって、ほかのことがままならなくなるから、不安がってる暇もない。それは楽しみだ。若いうちは体力があり余ってるからいらない不安もどんどん考えてしまう。それは精神より体力だ。

 ただ、いい年齢(なにがいい年齢なのかわからないけど)になってから緊張するのは大変だから、若いうちに、体力のあるうちに緊張に体を慣らしておくってことはあるのかもしれない。
 不安は買ってでもしろ、?
 だから若いときにいろいろそういう行事があるのかもしれない。高校受験、大学受験もそう、就活もそう。でも大人になっても、40代には40代の不安があるっていうから何歳になってもそんなに環境は変わらないのかもしれない。変わらないんだろうなぁ、と思う。

『不安タスティック!!!』

 あっ、普通二輪受かったよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?