2020/12/26(未明-p.50)
小島信夫は「年上の女に可愛がられる男」というモチーフを長年かけて自分の中から発見したのではなく、ずっと若いときから「年上の女に可愛がられる男」について書きつづけていた。小説の内容は変化しても書いていることは一緒だった。ぜんぶの作品を読んだわけではないから断言できないけれど、なんとなく、そうなんじゃないかと思う。
いちど、はっきり書いておいた方がいい。それはだれにとっていいのかと言えばもちろん私にとってその方がいいと思うんだけど、
これは、「日記」です。小説ではありません。
いままでは、書くものすべてを「小説」と呼んできました。日記を書いても、
「今日も小説を書いた」
と言ったし、詩を書いても、
「詩もまあ、小説みたいなもんだ」
と言ってきました。
坂口恭平なら「これは小説だよ」って言ってくれるだろうみたいな安心もあったし、先頭に立ってそういう文章を書いていてくれたから心強くもあったんだけど、同時に、書いた文章を「小説」と言っておかないと「小説」だと思えないから強がるというか、自分をだますみたいに使っていた面もあって、諸刃の剣だった。
だから一度ここで、はっきり正々堂々と「これは小説です」「これは日記です」と言えるものを書いた方が自分のためにいいんじゃないか、と思いました。若干、自分の書く文章にすこし飽きてしまったというのもあります。
飽きたらまた新しいことを始めないといけない。
いや、飽きたんなら新しいことを始めたらいい。
小説家に限らずなにかものを作る人はよく「向上心が強いから、次の作品で新しいことを……、また次の作品で新しいことを……とずんずん進んでいく、向上心の鬼」みたいに語られることがあるんだけど、少なくとも私は、ただ飽き性なだけだと思う。前と同じ方法では飽きちゃうから、そのつど新しい方法を探すしかない。
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