2021/07/23(ガープ-p.107)


『スーパーヒーロー戦記』を観てきた。たまたまなんだけど時間的に午後の、いちばん子供が多そうな時間になった。ヒーローものの主人公は子供たちだからもっと「がんばれー!」とかお父さんお母さんに話しかけたり、ワーキャーいいながら観てもいいんだけど、みんな静かに観ていた。Gロッソは応援しても大丈夫な雰囲気だけど、映画館だからなかなかそうもいかなかったのかもしれない。コロナのせいじゃない。コロナなんか関係なく子供は大きい声を出したいときには大きい声を出せばいい。

『スーパーヒーロー戦記』はヤバかった。完全にどーかしてた。ネタバレもクソもないんだけど、冒頭、誰のセリフだったかは忘れてしまったけれど、
「別の世界には、誰も悲しまない『ゼンカイジャー』という物語があるらしい」
 というセリフにプッと吹き出すというか、嬉しくなるというか、本当にゼンカイジャーって悲しまないの。介人は飄々としていて、今までのヒーローは敵にやられて悔しーい! その悔しさをバネに! みたいなのが王道だったんだけど、もちろんゼンカイジャーもまだ20話なので今後「悔しい!」みたいなことを言ったり、誰かが悲しんだりするのかもしれないけれど、それはそれでいいんだけど、別に悲しくならなくったっていいじゃん、とも思う。
 いや、ほんとに素晴らしくて、僕のココ観てポイント、これから『スーパーヒーロー戦記』を観るあなたにココ観てくれ!ってポイントを、まったくネタバレ関係なしに上げると、
①ライダーマンの目の位置
②デンジマンの走り方
③ヒーローの見本市
 この3点なんだけど、まず①ライダーマンの目の位置は、ライダーマンは正直これまでもずっと目の位置が怪しくて、いっちばん最初の、『仮面ライダーV3』に出ていたときのライダーマンの目の位置はとっても上手に隠れていて、中の人の目の位置がバレないというか、「あっ、ココで見てるな?」ってのが分からないぐらい自然にカモフラージュできていて、それは『ストロンガー』の最後の全員集合のときまでちゃんと隠れているんだけど、「ライダーマン 唐沢寿明」で検索すると出てくるけど、もう完全に目が出ちゃってて、しかも黄緑色のセロファン紙みたいな、本家はちゃんと黒で面積もギリギリに抑えてるんだけど、でも黄緑セロファンのライダーマンを断罪しているわけではなくて、「そこがいいんじゃない!」というか、そういうところも含めておもしろいしネタになるから楽しいんだけど、今回の映画では、下から煽られて、もう完全に目が出てた。マスクは黒くて、面積も小さく収めようとしていたけど、完全に出てた。黒の下から中の人のが、出てた。だから『V3』でライダーマンの役をやってた山口豪久の顔のパーツの位置がちょうどよかったのかもしれない。なんでみんな最初みたいにならないのかな、と思うんだけど、顔はみんな違うんだから最初のようにいかなくても不思議じゃない。
 ②デンジマンの走り方。歴代のレッドがずらーっと登場して、まず、いつもは遠くの端っこの方にいる『タイムレンジャー』が今回はどうしてか『ジャッカー電撃隊』のうしろ、すごい目立つところに立っていて、いつもは、僕は『タイムレンジャー』が大好きなので、
「なんでいっつも端っこなんだよ」
 と憤慨していたんだけど、今回の映画みたいに目立つところに立っていると、逆に不安になる。なんかあったんだろうか……と思う。で、いよいよ敵にみんなで向かっていくって時に、ずらっと並んだレッドがぶわーっと走っていくんだけど、そのときのデンジマンの走り方が、坂を駆け下りていくような走り方というか、オードリーの春日が漫才の時に胸を張っているけれど、胸を張ったまま走っているような、太った力士みたいな走り方で、普通は身体は走るとき前傾姿勢になると思うんだけど、海老反りみたいな恰好で走ってて、「そこがいいんじゃない!」がまた出た。
 ③ヒーローの見本市。さあ、そんなこんなでみんなで戦いましょう、ってなったときにみんなで戦うんだけど、とにかく全スーパー戦隊、全仮面ライダーを紹介してくれるんだけど、たくさんいすぎて全然終わんないし、その紹介の仕方もちょっとアホっぽいというか、ずっとやっているからおかしくてしょうがなかった。『キラメイジャー』から『ゼンカイジャー』もなんでもアリで、そんなの反則じゃん!(笑)ってこともどんどんやるから多少は慣れているつもりだったんだけど、映画はテレビドラマの何倍も「なんでもアリ」になっていて、どーかしてた。ラスボスに全仮面ライダーでライダーキックをするシーンは爆笑だった。

 こういうことを書くと、こいつは『スーパーヒーロー戦記』をバカにしているんじゃないかと思われるかもしれないけれどそんなことはなくて、とにかく素晴らしくて、どうなんだろう、僕の場合は考え始めると複雑でちょっとむずかしかった場面もあって、ちょっと「子供たちはついて行けてるのかな?」と思ったけど、となりの子供たちは寝てなかったし、最後までちゃんと観てたから、理屈で考えると行き詰まるけど、子供たちはちゃんと感覚的に分かっているんだと思う。メタフィクション要素満載で、「現実ってなんだ?」「虚構ってなんだ?」みたいなことを登場人自身が考えたりするんだけど、そうか、だから『セイバー』は小説家の設定だったのか、とか、こういうメタフィクションの要素がヘンなところに刺さったりしちゃう子供がいたら将来が楽しみだな、とかって思ったりしてた。

 小ネタ満載、『ゼンカイジャー』同様、ギャグ満載でバカバカしくてたのしい映画なんだけど、メタっぽいところはもうちょっと観たいし、まだ見逃している小ネタもたくさんあるはずだから、また観に行きたい。

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