2021/01/28(未明-p.332)


 誤解しまくっている。『未明の闘争』p.325、ずっと猫の話をされつづけて「猫、かわいい」と思いながら読んでいて、突然、村中鳴海が出てきて、
「そうだ、そうだ。この人と喫茶店かどっかにいたんだ」
 と思い出した。村中鳴海と私が喫茶店にいる場面が書かれていたはずなのにいつの間にかブンとピルルとチャーちゃんの話になっていて、そもそも私と村中鳴海がどんな関係だったかも忘れてしまって、突然、
「このままどっか旅行に行こうか?」(p.325)
 と誘えるということは2人はそれだけ親しい仲なんだろうけど、どうして親しいのか、どういう知り合いなのか、この喫茶店(でも、2人がいる場所が本当に喫茶店なのかどうかも僕は覚えてない)にはなんで来たのかことごとく忘れてて、他の人の小説なら、
「あれ? 村中鳴海とはどんな関係だっけ?」とか、
「あれ? なんで喫茶店に来たんだっけ?」って思ったら、忘れたらページを戻って「ああ、会社の同僚だった」とか「むかしの恋人とのたまたま会ったんだった」みたいなことをするんだけど、保坂和志の小説だしそんなことはどうでもいい、山下澄人が、
「保坂さんの小説はこの先どういう展開が待っているかとか、どういう結末になるかとか、そんなことはどうでもよくて、読む、「そのとこ、そのとこ」が面白い」
 って、YouTubeに挙がっている「書く気のない人のための小説入門」で言ってて本当に「そのとこ、そのとこ」が『未明の闘争』は面白い。
 さいごに伏線が回収される悦もあるけど、回収してもらうためにはそれまで伏線を覚えておかないといけなくて、ずっと「ストーリーを忘れちゃいけない…」みたいな緊張感があるからリラックスして読めない。退屈というより、読むたびにその疲れが増していくから読みたくなくなる。

 この先どうなるか、とか、今まで誰とどんな話をしてたか、とか、伏線とか、そういうものはまったく気にせず、「そのとこ、そのとこが面白い」ってことだけを頼りに気軽に、猫の話になれば「猫、かわいい」としか思わないで読んでるんだけど、講談社の『未明の闘争』を紹介するウェブサイトで、『未明の闘争』が「群像」に連載されていたときの編集者の感想のなかに、
「村中鳴海、エロいっすね」
 みたいな感想がたしかあったことを「村中鳴海」の文字がでてくる度に頭にチラついて、このあとどんな展開になるのかなんてどうでもいいと思いつつ、これからどんなエロい展開になるのか楽しみでしょうがない。

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