2021/07/18(ガープ-p.107)


 先週まではたくさん書いていたんだけど、この3日間は書くのが面倒くさくって、自分に課している量しか書かなかった。

 私は射撃大会に出場した。私だけが零点に近い点をとった。私はねらいもせずにぶっ放したのだ。(小島信夫「小銃」『アメリカン・スクール』新潮文庫、p.138)

 はじめて「小銃」を読んだときは何がおもしろいのか、保坂和志は絶賛していたので読んだんだけど、何がおもしろいのかまったく分からなかったんだけど、夕飯時に自衛隊の特番をやっていて、特撮の音楽が急に流れたりして、スカイライダーの歌が流れたときに、華丸さんが、
「あっ、スカイライダー」
 と言ってたりして嬉しくて見ていた。
 高科工業学校とかっていう(名前は間違っていると思う。「高科」と打とうとしたけど全然変換されなかったので、たぶん「高科」って言葉はないんだと思う)高校生の年齢の子が入って自衛隊を学ぶ学校が紹介されていたときに、2年生になったら1人1丁ずつ「小銃」が支給されて、たしか2年生のうちに実弾射撃の訓練もある、と言っていた。1年生のうちはスマホを持つことが許されないので、毎日公衆電話から家族や恋人に電話をかける。母親に電話した子は、
「おかあさんが「がんばれ」って言ってくれたから明日からもがんばる」
 と言って泣いていて、そのぐらいの年齢の子って反抗期になるんだと思うけど、そもそも自分はそのぐらいの時どうだったのか覚えていないし、反抗期がないと大人になれないとか、親から離れて行こうとしているのはちゃんと大人になっているしるしとか、いろんな言説を聞くけれど、それって表面的な現象でしかなくて、オレも反抗期を表面的にしか知らないからこういうことしか書けないんだけど、公衆電話で母親に電話をかけて泣いているあの子も、表面的にはとても反抗期には見えないけれど、あれはあれで1つの「反抗期」なんだと思う。反抗しているから反抗期なんじゃなくて、もっと根本というか、もっとこう、という感じ。
 小銃っていうのはハンドガンというか、拳銃のことを言っていると小島信夫の「小銃」を読んでいるときは思っていたんだけど、その番組で高校2年生に支給される「小銃」は、僕は銃とかの知識は中学時代にハマって毎日やってた「メタルギアソリッド ピースウォーカー」の知識しかなくて、でも語れるほどの知識ではなくて、「小銃」というのは「メタルギア」ではアサルトライフルとかに分類されているものなんだな、と今日初めて分かって、それをわかった上で「小銃」を読みたくなって読んだ。

 私は、キラキラと螺旋をえがいてあかるい空の一点を慕う銃口をのぞくと気が遠くなるようだった。それから弾倉の秘庫をあけ、いわば女の秘密の場所をみがき、銃把をにぎりしめ、床尾板の魚の目ーー私はそう自分で呼んでいたーーであるトメ金の一文字のわれ目の土をほじり出し、油をぬきとると、ほっと息をついで前床をふく。この前床をふくという操作は、どんなに私の気持をあたためたか知れない。一つ一つ創歴のあるというこの古びた創口を私はそらで数えたてることが出来た。たとえば、右手の腹のここのところの鈍いまるい創、それから少しあがったところの手術あとのようなくびれた不毛の創口、左手の銃把に近いところに切れた仏の眼のような創、中でも、どうしたものか黒子のようにぽっつりふくれた、かげのところのボツ。それはたぶん作戦中、何か、あんずの飴のようなものでもくっついて、汗と熱気でにぎりしめる掌の中で、木肌の一部になったのかも知れない。こうして私は毎日いくどとなく、小銃のあそこここにふれた。その度に私はある女のことをおもいだした。おもいだすためにまた銃にふれた。
 私は二十一歳で内地をたつ時、二十六歳の年上の女で出征中の夫をもつ人妻に、あたえられ得る最大のことをのぞんだ。夫の子供をやどしている女を、実家へ送りとどける途中、行きあたりばったりの寒駅の古宿で、私はその七ヵ月にふくらんだ白い腹をなで、あちこちの起伏、凹みに顔をむせばせるだけで別れた。さわらせて、もう少しさいごだから、という私の声に、女は贖罪のつもりか、目をとじてあけず、用心深く私の手をにぎって自由にはさせなかった。漠然とした手ざわり、匂い、それから黒子が手がかりであった。
(同上、pp.124-125)

 この生々しい肉感というか、初めて読んだときにはわからなかった。

 小銃は私の女になった。それも年上の女。しみこんだ創、ふくらんだ銃床、まさに年上の女。知らぬ男の手垢がついて光る小銃。
(同上、p.126)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?