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タイギゴ(20)

(20)
 気がついたら火が燃えていた。気がついたら、というか、寝ていたわたしが起きた。起きるときはいつも突然気がつく、というか起きる。だんだん意識がはっきりしてくるのではなくていきなり起きる。これまでに、わたしは26歳だから、365×26=9,490回、閏年があるからプラス6回くらい起きているけれど、今思い出そうとしても起きた瞬間のことを思い出せない。明日その瞬間のことを覚えておこう、と思っても覚えてない。覚えておくために観察しよう、と思っていたことも覚えていないから明日の目覚めも忘れる。でも起きてから一日がはじまる。日記もよく「何時に起きた」から始まる。起きて明るく、朝の日の光とは違う色で、わたしの部屋には十時から十一時までの一時間だけ日がさす。その一時間しかささない。いちばん陽の当たるところにヒヤシンスと豆苗を育てている。豆苗は陽の光の方に茎を伸ばしていて、この前刈り取って食べた。ヒヤシンスは去年の十二月から育てているが、北条泰時から取って「泰時」と名づけた赤のヒヤシンスは、だんだんと花の芽のところに色が着きはじめている。ヒヤシンスの花は上に茎を長く伸ばすが、成長のスピードが日が当たらないせいか遅めで、重さに茎が耐えられなさそうに曲がってはいる。しかしもうすぐ花が咲きそうだ。とくに写真を撮ったり、愛でたりしているわけではないけれど、なんとなく毎日目に入っているから気にしてる。見たら風呂場が燃えていた。起きたわたしが見たのは「炎」の光だった。起きて、わたしが起きはじめてどれぐらいの時間が経ったのだろう。で、今気がついて、「炎だ。燃えている」と認識するまでにどれぐらい経ったのだろうか。わたしはわたしだけれどわたしだからわたしを客観的に見ることはできない。カメラがあれば見れるけれど自分が寝ているところをカメラに収めたりなんかしない。なにか物音がしてバッ!っと起きることもある。ヒヤシンスの花の芽は「炎」という字に似てる。次にむせた。咳が、わたしは子どものころに同じような咳をしたことがある。喘息持ちで、よく夜にこういう咳がでた。苦しくて、母がとなりでわたしを見守っていたが、咳が落ち着くといなくなってしまってそれがいやで、わたしは咳き込んでいたにもかかわらずバタバタと暴れて、寝ている布団を蹴ったり叩いたりしていた。一度、あんまりひどいから病院に行ったことがある。水の入った機械の前に座らされて、わたしの方に噴出している水蒸気を、ノズルを口に咥えて吸い込むようなことをしていた。水蒸気は熱いから水蒸気ではなく、ミストだ。咳をするたびに肺の上の方と気管が轟くような咳。たばこを吸いすぎたジジイはよくこんな咳をしている。そんな咳をわたしもした。
「ひさしぶりにこんな咳がでた。小児喘息だった子どものころ以来だ」
 と思ったのは、救急隊員に救急車に乗るように言われたときだった。わたしは立って、自力で歩いて救急車に乗った。しかしそんなはずはなくてわたしは担架に乗せられて、横たわって乗せられた。母が骨盤を折って、深夜に激痛に耐えられなくなって救急車を呼んだとき、付き添いで父が救急車に乗り込んだ場面と自分の姿を重なっていた。そのあとのことはよく覚えておらず、起きたら病室で、わたしはそのとき昨日の夜に起こったことを思い出して、病院に運ばれたことも思い出して、そして寝ていたから見ていないはずなのに病室で看護師さんに検査をされている光景を思いだして、医者も女性で、どうしてこんなに女性ばっかりなんだろうと考えていて、そういえばわたしは施術台というところに寝かされていて、お互い全裸で、女性にマッサージをされている夢を見たが、その人は女性ではなく男性だった。
 家に戻ると家は跡形もなく、無くなってはいなかったが、ただ八畳ワンルームの部屋の、道路側にある窓のまわりだけがすこし生き残っていただけで、わたしの部屋のほとんどは燃えてしまっていた。というのも、この家は日当たりも悪く、だからヒヤシンスも豆苗も育たないのだけど、マンションの正面にある一通の道路のいちばん見えにくい奥にその窓があって、一通の道路にそのときどれぐらいの消防車や救急車がきたのか分からないが、広い道ではないのでぎゅーぎゅーだった。赤いサイレンが点灯している。音は鳴ってはいないが雨が降っていて、小雨だったが、傘をさすと傘に雨粒が当たってぱたぱたぱたと音がした。この前買ってきたビニール傘だ。救急隊員が走っていき、水たまりを踏んでばちゃん、という音がしたのを、夜中に何事かと起こされた、マンションの向かいの一軒家の右四軒となりの男が寝巻きにダウンを来て見ていた。末端が冷えるから靴下を履いて寝ていた。昔、不倫をして干されたテレビタレントが、
「靴下履いて寝るのはよくないんですよ。
 靴下の代わりに私はダウン着て寝てます」
 と言っていたのを男はテレビで観て、そのときも男は冬は靴下を履いて寝ていたからその日の夜は脱いでみたけれど、夜中に足が布団の外に出ていたみたいに冷たかったので、トイレに行った帰りに靴下を持ってきて、ベッドの上で足をさすって温めて履いて寝た以来、靴下は欠かさなかった。わたしがそのあいだを、わたしが乗っている救急車が、消防車の脇をゆっくりゆっくり通り抜けて行った。隣り近所の住人は火の粉が飛んできて、自宅の窓から高みの見物とはいかなかった。逃げて、自分の家に燃え移らないように、とそれだけを考えていた。私の家の方が風下になりませんように。吹くなら反対側に吹いてください。幸い、どこの家にも燃え広がらなかった。翌朝、燃えたわたしのマンションの、マンションというか、八世帯くらいしか住んでいない小さなアパートの、となりの一軒家の、ここには腰の曲がったおじいさんと、曲がっていないおばあさんが住んでいる。おばあさんは翌朝、庭に落ちている灰を拾っていた。その日の朝もおばあさんは洗濯物を干していた。火事のあった翌日だから洗濯物を干さない、なんてことはなかった。それとこれとは関係がなかった。おじいさんは朝8時と、10時ごろと、12時ごろと、日が落ちる前の15時か16時くらいに庭に出てうろうろした。おじいさんが朝の8時くらいに庭に出てくるのは、わたしもちょうど仕事に行くのに家を出るのがその時間だったから見ていた。おはようございます、と言ったこともあったが、おじいさんは耳が遠くなっていたから聞こえなかった。おじいさんはご飯を食べて散歩をして、散歩、散歩、ご飯、昼寝、散歩、これがおじいさんの一日だった。おじいさんは今も生きている。何歳なのかわたしは知らない。
 病院を出る前、うんちがしたくなったので、
「トイレをお借りしてもいいですか?」
 と聞いた。看護師さんは、
「いいですよ」
 と言ってわたしをトイレに案内した。きれいな病院だった。
「新しい病院ですね」
「三年前に改装したばっかりなんですよ」
 と夜勤の看護師さんと話をしていたのを、うんちをしているわたしは忘れている。夜勤の看護師さんは二時間前に仕事を終えて帰宅し、会社に出かける彼氏を見送って、今、椎名林檎の「幸福論」を歌いながらシャワーを浴びている。彼氏はもう仕事を始めている。書類に「300」と書いた。
 きれいな一本グソがでた。スッキリした。肛門が切れていた。
 外に出るともう夕方のような日の光だった。まだ10時だった。家のとなりのおじいさんは庭に出ていた。腰が曲がっているからとなりのアパートが真っ黒に燃えていることは見えなかった。おじいさんは昨日の夜、訳も分からず、
「お父さん! 逃げますよ」
 と奥さんに言われて、寝巻きの上から上着を着させられて、
「こんな夜中になにすんだ!」
 と叱りつけた。
「火事ですよ!」
 家内が言った。火事なんか起きていなかった。「火事なんか起きてないじゃないか!」と言おうとしたが、そのときには火事のことは忘れていて、手を引っ張られ玄関に向かっていた。幸い、寒いから寝ているときも靴下をおじいさんもおばあさんも履いていたから上着を着るだけでよかった。靴を履き、履きというか家内に履かされて外に出ると、わあーーーー、っと音がした。それはサイレンの音だったり、誰かの怒鳴り声や大声だったり、放水の音だったり、誰かが忙しなく走り回っている足の音だったりしたが、おじいさんには、わあーーーー、という音にしか聞こえなかった。聞こえてなかったのかもしれない。聞こえても忘れてしまえば聞いてなかったのと同じなのか。おばあさんもそうだった。おじいさんは「祭りだ」と思った。だから聞こえていた。おばあさんも「お祭りみたい」と思った。おばあさんは山梨の大月の出身で、小さい頃のお祭りは近所のお寺の境内で、出店も二つか三つしかなく、境内の真ん中にトラックが止まっていてその荷台に櫓が建てられていた周りをみんなで踊った。兄妹みんなで出かけて行ったときのわくわくした気持ち、おじいさんは庭にでていて私は部屋にいた。昨日はお祭りみたいだったなぁ、と思いながら昔のことを思い出していた。たのしかった。
 家に着くと見事に家は燃えていた。家の前に男が一人立っていた。わたしが近づくと彼がわたしに気がつき、こちらを見た。彼もわたしがこのアパートの住人であることが分かった。お互いの表情から、
「どうします?これから笑」
 と言っているのが分かった。
「こんにちは。一階に住んでる赤木といいます」
 わたしが言った。
「三階の森野です」
 彼が言った。
「大変でしたね」
 わたしも大変だった人間のうちの一人なのに、他人事のようなことを言った。
「そうですね。どうしたもんですかね」
 わたしは、そうか、今晩寝る場所がないのか、と思ったし、何も持たずに出てきてしまったから何も持っていないことに気がついた。スマホもお金も何も持っていない。ポケットを探してあったのは捨てればよかったのに捨てずに持っていた、くしゃくしゃになったマスクだけだった。そういえば職場への連絡もしていない。
「すみません。ケータイを貸してくれませんか? 部屋の中に置いてきてしまって」
 置いてきた、というか燃えてなくなって。でも置いてきたことはしょうがなかった。スマホより命の方が大切だ。しかしスマホがないと困った。
「いいですよ」
 と言って彼はスマホをわたしに貸した。わたしは職場の電話番号を覚えていた。交換の人が出た。所属部署を告げると係長がでた。
「赤木くん? どうしたの? 大丈夫?」
 カクカクシカジカ、今病院から帰ってきたところだ、という話をした。
「体は元気なんですが、スーツもたぶん焼けてしまって」
 と言ったとき、わたしは、これはいったい誰の話だろう、と思って、知らない誰か不幸な人の話だと思って思わず笑ったが係長は笑わなかった。
「えぇ〜……。そうだよねぇ……」
 と言って、わたしも、
「そうですよねぇ〜……」
 と言った。銀行に金はあるが、明日のためにスーツを買うほどの余裕はなかった。なんでわたしは明日から仕事をしようと考えているのだろう。カフカの『変身』じゃないけど、そんなことどうでもいいはずなのに、そんなことを考えていた。でも体は元気だから仕事には行けた。でもこんな状況だよ? とも思っていた。買ったけどまだ読んでいなかった『変身』も燃えてしまった。とりあえず無事であることを伝えられたし、このまま電話をつないでてもわたしも昨日の今日で分からないことばかりでほかに言うこともないから切った。休みをもらった。もらってもどこも行くとこないなぁ、とは一瞬思ったが、スーツもないから仕事に行けなかった。
「実家にも電話していいですか?」
 と言って実家にかけた。母がいた。事の顛末を伝えると母はびっくりして、
「今、どこにいんの?」
「家の前。同じアパートの人がいたからその人に電話借りて今電話してる」
「部屋は?」
「部屋は、分かんないけどたぶん燃えちゃってる」
 さっきより現実味がでてきて、自分の話なんだ、と考える。アパートの住人の男の方を見ると、声は出さずに、うん、とうなづいている。
「職場に連絡した?」
「さっきした」
「うん、そう。
 とりあえずウチに来なさいよ。……ウチに来るしかないでしょ?」
「うん」
「うん。
 そのアパートの人はどうするの? 行くとこあるの?」
「分かんないけど、訊いた方がいい?」
 と言って自分でも、そりゃあ訊いた方がいいだろう、と思った。
「訊いて、行くとこないならウチに来てもらって」
 わたしはスマホから耳を外して、
「あの……、今晩泊まるところってありますか? もしなければウチに来ませんか?って母が言っていて」
 と彼に言うと、
「大丈夫です。友人のところに行くことになっているので」
 と言った。
「大丈夫だって」
 母に言った。
「そう。じゃあまぁ、夕方くらいに帰っておいで」
 と言って電話を切った。
「ありがとうございました。助かりました」
 と言ってわたしは彼にスマホを返した。
「スマホも財布も全部燃えちゃいましたね」
 と言ってわたしは笑った。本当に可笑しかった。
「こんな経験はじめてですよ笑」
「僕もですよ」
 と森野が言った。
 わたしたちは喫茶店に入った。わたしはミックスサンドとコーヒーを、森野はシロノワールとコーヒー、
「ただいまのお時間、お飲み物に無料でモーニングトーストが付きますがいかがなさいますか?」
「そうだった、赤木さん、どうします?」
「じゃあお願いします」
「俺も付けてください」
「トーストにバターを塗るかジャムを塗るかと、オードブルを三種類からお選びいただけます」
「俺はバターで」
「俺も」
「じゃあバター二つで……」
「あんこと」
「俺はゆでたまごにします」
「かしこまりました。ご注文確認させていただきます」
 けっこう長いこと、からしはいるか?ミルクはいるか?と訊かれ、
「はじめまして。すみません、急に誘ってしまって」
 と森野が言う。
「いや、こちらこそノコノコとすみません。ご挨拶もちゃんとしないで」
「いつから住んでらっしゃったんですか?」
「去年の四月からです」
「じゃあ俺が一昨年の三月なので一年ちがいですね」
 森野が言った。
 森野は大学生だという。近くのS大学に通っていた。毎朝仕事に出かけるけれど、どの住人とも会わないんだけど、と言ったら、
「ここは家賃も安いじゃないですか?」
「安い」
 三万二千円だった。職場の人にもそれを言うとみんな驚いた。欠陥住宅なんじゃないかとも言われたけれどそんなこともなかった。だだシンクは小さかった。まな板やフライパンを洗うと水が外に跳ねた。森野も、203号室に住む宮下(まだ会ったことがない)も水を跳ねさせていた。でも宮下はシンクの周りに折り畳んだタオルを敷いていたからわたしや森野ほどではなかった。宮下は使わなくなったTシャツを切って雑巾がわりに母親がしていたので自分もそうした。雑巾は今日と明日の二日使って捨てた。黄色いTシャツだった。なにか、どこかのサークルか何かの自作Tシャツで、これは実家から引っ越しのときに貰ってきたもので、新婚旅行でハワイに行ったときに買ってきた、と母は言っていたけれど、どこにこんなTシャツが売っているのか。大学サークルで作ったTシャツっぽいけれど、売ってたんならサークルTではない。でも明らかに安い感じ、でも生地は厚手で、当時のハワイというかアメリカは経済状況が良かったのかもしれない。今こんな分厚いTシャツはない。あるのかもしれない。一枚一万円するTシャツが売っている。なんでこんなに高いのか意味が分からない。ファッションとはそういうものだと言われてしまえば、そうですか、とそれ以上関わらないけれど、アイロンをかけてきれいに整えればTシャツは映える。そもそもTシャツなんてほとんど買わないし、持ってるのはユニクロのものばかりで、それで十分だった。ユニクロ万歳。むしろこんなに厚いと着づらかった。でも消耗して薄くなってはいて、母はずっとおんなじTシャツを部屋着にしてた。このTシャツの他にもハワイで買ったTシャツはいくつかあって、胸元にサーフボード二枚の写真(色褪せすぎてて、イラストだったのかもしれない)がプリントされているだけのTシャツを、左の腰元が破けているけれどまだ着ている。この黄色い分厚いTシャツはまだそこまでは消耗していなかった。でも雑巾にされた。母の基準は使い古し加減ではなくて、思い入れとかなのかもしれない。たしかにこの黄色い、大学のサークルTシャツっぽいTシャツは「ハワイ感」はない。黒字で英字が書かれているだけ。でも部屋着だから思い入れも何もない。
「だから学生しかいないんですよ。でも僕と同じ大学に通ってるやつはいなくて、みんな文系なのかな?笑 夜中友だち呼んで騒いだりもしないし」
 たしかにそうだった。夜中もちゃんと眠れた。わたしは多少騒がれたとしても寝れるタチではあるけれど、そういえばそんな心配まったくしていないほど静かだった。だからほとんどが大学生だと聞いて驚いた。
「赤木さん、朝早いですもんね?」
「早いっつっても8時くらいだけど」
「いや早いですよ。俺だって午前中の授業取ってるの水曜日だけだし、二限だからまだ寝てるし。たぶんみんなそんな感じだから朝は会わないし」
「夜も会わない」
「夜はバイトしてますもん」
 わたしが大学生だったときからそうだが、大学生はけっこう忙しかった。「遊ぶために大学へ行くんだ」なんてことができたのは何十年も昔の話で、現実味がない。大学生=遊んでるなんて文化は全共闘のころで死んだんじゃないか? だとしたらすでに五十年以上経っている。半世紀前だ。もちろん今の大学生も遊んではいるだろうけれど、授業の出席は昔とは比べ物にならないくらい厳格に取られるし、だからサボれないし、夜はバイトしてるので、毎日飲んだくれるなんてこともない。日テレが日曜二十二時半からの枠を「日曜ドラマ」として放送をはじめたのが二〇一五年らしいが、それより早い時間にドラマをやっても狙ってる若い世代がドラマを観られない。それは「テレビ離れ」とかそういうこと以前に、そもそも二十時や二十一時、テレビのゴールデンタイムと呼ばれる時間に家にいない。若者がドラマをつまらないから離れた、のではなくて、生活様式が変わって、その時間、家にいない。だから観なくなった。観なくなったというか、観られなくなった。だから日テレは時間を遅くしたらヒットした。そういうもので、「◯◯離れ」と言われると、今度はわたしたちは何から離れたんでしょうか?笑 と、以前のようにムカついたりもしなくなったが、若者が離れたくて離れたわけではなくて、離れざるを得ない状況になったというだけで、面白ければ観る。実際日テレのドラマは当たってる。「鎌倉殿の13人」も大当たりした。
 職場にテレビドラマをよく観ている人がいてその人に、
「なんかドラマ観てる?」
 と訊かれた。わたしは大河ドラマとヒーローものしか観ていたかったからそう言った。ドラマは観たいと思っていた。大学のときに面白かった授業は、「文学研究」というタイトルの授業だったが、いわゆる「文学」のこと、夏目漱石とか森鴎外とか、たしかに少しは扱ってはいたけれど基本的にはフロイトやラカンの精神分析から見る広く物語を扱った授業で、そのときやってたドラマやアニメのことをメインにやっていた。ドラゴンボールを精神分析的に見るとどうの、という話をしていた。わたしは面白くてメモをたくさん取っていた。
「ドラゴンボールとか、自分の好きなマンガの話をするとわーっと盛り上がったりする学生がいるんだけど、騒音でしかないのでいちいち反応しないでください」
 とその先生は言った。首からストラップでかけたiPhoneの画面がこっちを向いていた。仕事用とプライベート用のパソコンは分けて持っているんだろうか。持っているんだろうな。そうじゃないと何かの拍子に見せたくないものが大学の講義室の大画面のスクリーンに大きく出ちゃうのはマズイ。俺なら絶対無理。先生はこの大学の先生ではなかった。他の大学に籍を置いていて、金曜日のこの時間だけここに教えに来ている先生だった。もし、この先生がこの大学の先生だったらこの先生のゼミで卒論を書きたいな、と思ったがやめた。たぶん週に一回だけ会って授業を受ける距離感がちょうどよかった。ゼミに入ったら厳しくて大変そうだった。外部にも開かれているその先生が主催している文学研究会にも何度か参加した。本当はその先生の所属してる大学の研究室に集まってみんなで一つの文学作品(これはドラマやマンガがメインではなく、小説がメインだった)について、学生が発表して、みんなで意見を言い合う。面白くてよく覚えているのは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』と、大河ドラマの『いだてん』だった。わたしは意見を言ったりもした。前から行きたいとは思っていたが、その大学が家から遠いので諦めていた。そこにコロナがきた。zoomでやるようになったからわたしも参加できた。一時期zoom飲み会が流行った。コロナも流行った。わたしはコロナには罹らなかった。でもまだ終わっていないのでこのあと罹るかもしれない。罹りたくはなかった。無症状ならいいけれど、症状がでるとしんどそうだった。職場にも何人か罹った人がいた。話を聞くとしんどそうだった。
「罹ったら休めるじゃん」
 と言っていた先輩も罹った。罹ったら休みたいからディープキスしようぜ、と言っていた。もちろんそんなことはしなかった。というかそんなことをしていられないぐらいその先輩はひどく症状がでて、病院にも行けないくらいつらくて、職場にも連絡できなくて、連絡がついたのは無断欠勤した三日後だった。たぶんコロナだろう、とみんなで話していた。
「連絡できないくらいしんどかった」
 と言っていた。生きていたから安心した。文学研究会もわたしは酒を飲みながら参加していた。たしか日曜の十八時からとかだった。土曜日だったかもしれない。もともとは大学で平日の夜に有志が集まってやっていたものだから平日だったかもしれない。でもなんとなく日曜だった気がする。わたしはドキドキワクワクしていた。始まる五分前くらいに接続して、マイクとカメラをオフにして、事前に送られていたレジュメのコピーをしておいたものとメモ、ハイボールを用意して待っていた。夏だった。ハイボールがうまかった。ハイボールはその年の夏に覚えた。
「この火事なんですけど、201の矢山田って人のタバコの不始末らしいですよ」
「そうなの? ヤヤマダってどういう字を書くの?」
 そんなことはどうでもいいのに、職業病か反射で聞いてしまった。
「矢……、弓矢の矢に」
 弓を引くマイムをしている。
「お山の山に、田んぼの田です」
「矢山田さん」
「矢山田さん。俺も会ったことないんですけどそうみたいです。警察の人も捜査中ですけど、とかって言ってたけど、たぶんそうじゃないか、って」
「そうなんだ……」
 わたしもタバコを吸っていた。でも火事が怖いから蛇口から水を出して、タバコの先を完全に火を消してから灰皿に捨てていた。やっぱりタバコはそうなるよな、と思っていた。森野がシロノワールを「食べますか?」とすすめてくれたけど、寒かったので断った。
 トイメンからくる警官が自転車に乗りながら右斜め前を注視しながら走ってきた。なにを見ているんだろう、とわたしもその方向を見た。特になにもなく、ニット帽を被った若い男が一人と、三人組の男たちがいただけだった。車は一台路駐してた。
 わたしは表参道駅から渋谷駅を目指して歩いていた。もしかしたら反対方向に歩いているかもしれないと思ったら反対方向に歩いていた。それは表参道の入口になっている交差点に立てられている地図で分かった。わたしは港区の方に歩いていた。もう港区を歩いているのかもしれない。そばのつゆのうまそうな匂いがした。店の前に若者が行列をなしていた。老人がいなかった。パッと見た限りなので本当はいたかもしれないが、パッと見た限りではいなかった。地面に長方形の穴が空いていて、その上に金網が敷いてあり、人が落ちないようになっていた。その上を歩くと足元が温かくなった。どこかの排熱口なんだろう。すこし歩くとまたあったので上を歩いた。また温かくなった。わたしはその上にすこし留まった。留まって小説を書いた。日記のような小説だった。山下澄人の朗読会の帰りだった。「梨の形」という小説は、退院して時間感覚がめちゃくちゃになっている今の自分の状態を書き残しておくために書いた、と言っていた。ある箇所を朗読するとき、
「ここはややこしいんです」
 と言っていたのが面白かった。自分で書いた小説を「ややこしい」と言うのが面白かった。朗読会に参加していたのは25人ほどで、老若男女、いろんな人がいて、でも誰も山下澄人が朗読している最中、本を目で追っていなかった。もしかしたら、みんな保坂和志のファンでもあって、
「山下の小説は目で読むより、耳で聞いた方が面白い」
 と、YouTubeにあがってる動画で言っていたのを実践していたのかもしれない。
「「こちらに横になってください」
 看護師が小さなベッドを、とんとん、と指先で叩いた。看護師の腕はわたしの後ろから出て来た。わたしの背後にいたらしい。痛みが増していた。からだが伸びない。仰向けは無理そうだ。横向きに丸まろう。
「仰向けになってください」」
 わたしはここで笑った。となりの男も笑った。
 髪が上になびくくらい強い風が吹き上げていた。マリリンモンローだ。しかしそのときは「マリリンモンローだ」とは思わなかった。足を引きずった男が歩いていた。温かい空気は上に行く。だから火事の時はじょうたいを低くして避難しなさい、と先生に言われた。わたしは今この文章を排熱口からは離れて、おそらく新宿駅の方に向かって歩きながら書いているが、じょうたいを低くして、と書くとき、予測変換に「状態を」「常態を」「上体を」と三種類出てきてどれも合っている気がしたからひらがなで書いた。パソコンやスマホで文章を書くと漢字が書けなくなる、と言うがそんなのうそだ。スマホなのにわたしは「じょうたい」が書けなかった。
「じょうたいをひくくしてあるきなさい」
 わたしは南青山三丁目の交差点をじょうたいをひくくして通り過ぎ、外苑前駅というところを通過した。完全に反対方向に来ていた。それはわたしでも分かった。なぜならわたしは行きに渋谷で銀座線に乗り換えたときは渋谷の次は表参道駅だった。外苑前なんて駅を行きのわたしは見ていない。「フォンテ青山」というビルの看板には住所があって「港区南青山◯丁目ナントカ」と書かれていた。わたしはその前を通過した。なにか考えていたけれどそれは忘れた。その隣に、ビルから祝福された男女がオープンカーに乗って、出てきた。わたしはビルを見上げた。ラブホテルのようだった。しかし男女は、男は白いタキシード、女性は白いドレスを着ていて、どちらも花束を抱えていて、まわりの人たちから「おめでとー」と言われていた。純白のドレス。結婚式だった。もっとほかの色のドレスは着てはいけないのか。実家に飾られている両親の披露宴の写真は、二人が長い棒を持って、その先に火が付いていて、各テーブルの蝋燭を付けて回るところだった。あれはどういう演出なんだろう。次から次にテーブルを回らないといけないから、わたしのテーブルに来ても二人はすぐにどっかに行ってしまう。来たからといってゆっくり話せるわけでもない。「はじめての共同作業」という言葉も面白い。とっくに「はじめての共同作業」は済ませてる。そんなことはみんな分かっているのに、「はじめての共同作業」とわざわざ言う。こんな時間にどこへ行くんだろう。二人は「はじめての共同作業」は何をしたんだろうか。もう夜の八時半だ。朗読会は一時間で終わる予定だったが二時間だった。そもそも「はじめての共同作業」ってなんだ? 二人ではじめてやることってなんだ? 恋人同士の「共同作業」と聞くとやっぱりセックスが浮かんでしまって、それにわざわざ「はじめての」と付けて、それをみんなの前、公衆の面前でやる。あれはやっぱり、パターン化されすぎてて一見分からなくなってるけど、一枚剥がせばなかなか生臭いものがある気がする。わたしは本当にどこに向かって歩いているのかだんだん分からなくなってきた。赤坂消防署前、という交差点だった。アオカンでは日本橋、三宅坂の方に向かっていた。左手に明治神宮がある。これは今のわたしが歩いているところを実況しているだけでこの小説とは関係なかったが、しかし書いているのはわたしで、登場しているのも歩いているのもわたしだった。実際に歩いているからいつもより細かく描写できた。しかし細かく描写されている方がいい小説なのか。わたしは『ボヴァリー夫人』は何度も何年もかけて推敲されたから素晴らしい小説になった、というような文庫本の裏のあらすじを読んで読む気がしなくなった。目の前からオレンジ色のバスケットボールをいくつも入れた網を肩からかけて、引きずるように歩いてくる中学生くらいの男の子が歩いてきた。わたしが彼をずっと見ていたから、彼は右手(わたしの方にある手)で前髪を直すようなフリをしながらわたしの視線から逃げようとした。わたしはすれ違うまで見ていた。もっと堂々とすればいいのに、と思っていた。たしかに変な格好だけれど、だからこそもっと堂々と引きずればいい、と思った。もうさすがに寒くて青山一丁目駅に入った。さっきの排熱口から吹き上げてきた空気の匂いと同じ匂いがしていた。あの排熱口の下にも地下鉄が走っていたのだ。あの表参道から四十分くらい歩いてたあの道路の下にはどこへ行っても地下鉄が走っていて、駅があって、その上を車や、自転車や、タクシーや、わたしが歩いていて、移動してばっかりやな、と思ったが、道路とはそういう場所で、飲み屋から出てきた男が、
「俺がタクシー代だすので」
 と言って、うしろから来た女二人が、
「ありがとうございまぁす」
 と言った。このあと三人はどこに行くのか分からないし、ホテルかもしれないし、まっすぐ解散するのかもしれない。それはわたしには知らないことだし、どうでもいいことだった。でもこれは小説だから、
 このあと三人はラブホテルに入って3pをした。シャワーは女Aが先に浴びて、浴びている間に二人はキスをして服の上からお互いを触り合った。そのあと女Bが浴びて、たまらず男は女Aを連れて女Bがシャワーを浴びてる浴室に突入した。
 とか、あることないこと書けるけれど、そっちには興味はなかった。でもこっちにも興味があるわけでもないから、飽きたらその男女の話を書くかもしれない。そして男女は実際にホテルに行っていた。
 書くのに飽きてTwitterを見るとリプが飛んできていて、【公式】キャンペーン@当選連絡用というアカウント名のアカウントから、何かにわたしが当選したらしいというリプが来ていて、応募した覚えもないが、もしかしたらしていたのかもしれない、と思ったのは、そういえば今日の昼間にも、「お客さまが不在だったため荷物を持ち帰りました。下記にてご確認ください」とショートメールも届いていて、たしかに先日Amazonで職場に持って行く用のタンブラーを注文したが、それはちゃんと昨日の夜届いたのでもう注文したものはないはずだったし、さすがにそのURLを開く気にはならなかったから、迷惑メールだし、そんなことはわたしでも分かっていたから、放置している。でもそのTwitterの方は、もちろん本当に当選したなんて思ってないけど、そう思った方が楽しいからそう書いてるだけだよ。しかし何が当たったのかはどこにも書いておらず、そもそも、【公式】、というのは誰目線の【公式】なのか、有名人が偉そうに「公式」を使っているが、わたしだって一人しかいないんだから、わたしだって「公式」だ。これはわたしの「公式」アカウントだ。【公式】キャンペーン、としか書かれておらず、なんのキャンペーンなのかも分からない。悪質だ、危険だ、という前にもっと引っかかりやすそうな感じに作ればいいのに。いや、逆に、意味不明すぎてこちらからあれこれ調べたくなって、好奇心を沸かせて釣るタイプなのかもしれない。だとしたらわたしはかなりこの「【公式】キャンペーン」に興味をそそられている。さっさと着くはずの新宿にぜんぜん着かなかった。電車の中の路線図を見たら通り過ぎて、三つも通り過ぎてた。降りて乗り換えた。ちょうど反対方向へ向かう、つまり新宿に向かう電車が来た。東京は電車がたくさん走っててこういうときはいい。
 新宿で乗り換えようと思ったら京王線が人身事故で遅延していた。事故発生は21:03。ついさっきじゃないか。歩いてる場合じゃなかった。復旧は22:10と出ている。あと一時間。しょうがないから中央線で帰ろう。やけに駅員が多く立ってるな、と思ったらそういうことだった。モニターを見ていたらとなりに男がやってきて、
「なんだよ!」
 と怒っていた。怒ってくれる人が近くにいると、俺はこうはなりたくない、と怒らないで済む。中央線のホームで電車を待っていると後ろにカップルが立っていて、電車が来ると二人は抱き合った。ここでお別れなんだろう、と思ったら一緒に電車に乗ってきた。二人がハグしているとき、俺もハグしてほしいと思った。でももちろんしなかった。ずっと朗読会から実況しているだけだった、これならいくらでも書けると思った、でもずっとはやってられないからいいところで、飽きたところで終わりたいんだけど、今日は山下澄人の朗読会で蛇口の栓が満開にさせられてしまったのかいくらでも書ける。でもやめる。
 その日はそれ以上は書かないで、日記だけは書いて小説は書かなかった。

2023/02/02
 職場でOさんに、
「銭湯行ったんですか?」
「行きました。でも一昨日じゃなくて、昨日の夜行きました」
「そうなんですね」
「夜中に行ったんですけど、寝なきゃいけないんですけどぐわーって行きたくなって行きました」
「何時間くらい?」
「一時間くらいです、二時くらいに帰ってきて」
「えー、そんなにいたんですか笑」
「もう、ふわぁ〜って」
 ここでわたしが湯に浸かるマイムをしてる。
「ふわぁ〜って笑」
「久しぶりだったんで嬉しくて。けっこう若い人がたくさんいました。やっぱり夜中だから」
「混んでました?」
「混んでましたね。平日にしては混んでました」
 それから少し話をして、明日の金曜日休みだから行こう、とOさんが言ってた。
「金曜は夜は混みますよ」
「土日混みますよね?」
「混んでます。もうほんと、ぜんぜん休まらないですよ」
「ああ周りが」
「そう」
 わたしは気持ちが休まらないマイムをする。
 ヨモギが結婚式の前日の土曜日に行ったときも混んでた、って話をヨモギのお父さんから聞いたが、行ったのはヨモギだけでお父さんは行っていないけれど、
「もう芋洗い状態だよ」
 とまるで行って見てきたかのように話していて、わたしとオダギリも(オダギリは分からないけれど)まるで行って見てきたかのように聞いていた。
 バター醤油パスタを作る。イオンに行こう、と朝思っていたけれど、パスタを作るための食材は帰り道のスーパーで買えるのに、なんでわざわざ「イオン行こう」と思っていたのかその理由が分からなかったんだけど、職場を出る前に、プライベートブランドの安いバターを買いたいからイオン行こうって思ってたんだ、と思い出してイオンに行く。パスタをまたバカみたいに作る。食べ切れた。ビールとワイン。本を読まずに寝る。窪美澄『すみなれたからだで』を少し読んだ。

 年下だと思っていたMさんは年上だった。職場では誰が何歳で、誰より年上で、とかそういうのは途中から入ると分からなかった。わたしはもうすぐ丸二年、Mさんと一緒に仕事をしてきたが、自分より二つ年下だと思っていて、そのOさんとMさんは同期で、わたしには同期はいないからその関係性に憧れていたんだけど、Oさんがわたしより年下なのは知っていて、だから同い年なんだと思ったら、Mさんは転職してここへ来たから、Oさんは新卒入社、年齢が四つぐらい違った。でも二人は同期だからタメ口でしゃべっていた。それがすごくよかった。本当の年齢が分かってより、いいな、と思うようになった。

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