2021/01/29(未明-p.342)

 チャーちゃんが死ぬ前、チャーちゃんは毎日のように獣医に四、五時間ぐらいずついて点滴をして帰ってきて、もうチャーちゃんは弱りきり、(…)(保坂和志『未明の闘争(上)』講談社文庫、p.319)

 この一節の前に、

 きっと最初のうちは二年後が恐くてしょうがないが、そのうち再発することなんて忘れてチャーちゃんといままでどおり暢気に毎日楽しく遊んでしまう。
「そうなったらいいねえ。」しかしそうはならなかった。チャーちゃんが死んで獣医に治療費を払いに行って明細を見たときに、一ヵ月と少しのあいだにこんなにいっぱい注射を射ったのかと、チャーちゃんがかわいそうになり、自分がチャーちゃんのことでなくチャーちゃんと別れる自分の悲しみしか考えなかった亡者になったようだった。(保坂和志『未明の闘争(上)』講談社文庫、pp.229-230)

 と語り手は書いていて、このチャーちゃんをかわいそうと思う気持ちは、言葉にすると途端に薄っぺらくなってしまうんだけど、でもなんとなく胸にボワン…とくるものがあって、飼い主としては少しでも、一分でも一秒でも(言葉にするとこういう「一分でも一秒でも」みたいな、月並みな言葉になってしまう。)長く生きられるように、延命治療として注射をしてもらったのだし、獣医さんも獣医としての仕事をまっとうしたわけだけど、でも明細を見て“こんなに注射を打ったのか…、かわいそうなことをした…”と思う気持ちは、べつにそのときはかわいそうなことをしてやろうみたいな気持ちは一切ないし、治療するのは反対の行為で、今ある苦しみを取り除いてあげるために注射とか治療をしていたはずなのに、その治療そのものが「かわいそうなことした」と思わせる。
 どうしたらいいんだろう、と思う。幸せなことに僕の祖父母は母方も父方もどちらも健在で、母方の祖父母は熊本に住んでいるから頻繁に会えるわけではないけれど、電話もできるし、ビデオ電話だってできる。父方の祖父母は家のすぐ近く、自転車で3分ぐらいのところに住んでいるからすぐ会える。今日会おうと思えば今日会える。認知症が進行していて、なかなか会話が大変だったり、僕の父は毎日通って、通いの介護をしている。

 友だちの中には小学生のうちにおじいちゃんおばあちゃんを亡くした人もたくさんいた。ものごころ付く前にというか、1歳とか2歳のときに亡くなってしまって、ぼんやりとなんとなく影だけは憶えているけれどはっきりとした記憶はないと言っていた友だちもいたし、生まれる前に死んでしまったからなにも知らないという友だちもいた。
 この歳になるまで身近な人の死を間近で見ることがなかったから、祖父母がもし今日亡くなったとなったときに、自分がどうなってしまうのかわからない。覚悟はしているつもりだけれど、そんなの経験値のない人の覚悟だから、……でもそんなこといったらみんな自分の死は経験のないことなんだからそれでも覚悟している人もいるんだから、経験がないからきちんと覚悟ができないなんてことはない。
 死ぬのは1回きりで、魂の話を絡めてしまうと1回ではないみたいな話になってしまうのかもしれないけれど今はそれは置いておいて、〈僕〉として死を経験するのは1回しかできない。1回しかできないものだからベストタイミングで迎えたい。そう書くと、自分で自分の死期を決めたいみたいなことを言っているように聞こえてしまうかもしれないけれど、俺の頭で考えつくものなんて大したことなくて、俺が「ここが、ベストタイミングだ!」と思っても、あとで考えてみたら全然ベストタイミングじゃないはずだから、やっぱり天寿をまっとうして、タイミングは自然に任せるしかない。ここで書いた「自然」っていうのはなんとなく神様みたいな意味もある。自然、神様、天、に任せるのがいちばんいいような気がする。というか任せるしかない。やっぱり自分ではどうにもならないし、自分でどうにかしようとすると死を棒に振る。残された人にただ悲しみしか与えない死になる。俺の一生が「悲しさ」だけでしか語ってもらえなくなる。「幸せなこともたくさんあったよ!」と訴えても聞こえない。ぜんぶ「悲しさ」で塗りつぶされてしまう。

 不安に思ってもしょうがない。(これは他人に向かって教え諭すように言っているのではありません。そういうことを考え始めてしまう自分に向けて言っています。)自分の死も他人の死も得体の知れないものだから、その状況にならないとわからないことだらけなんだから、その状況になったら考えればいいと思うけれど、だからといって何の覚悟もないままにその状況に飛び込んでしまうと、本当に自分がどんな反応を示すかまったくわからないから、わからないなりに、経験がないなりの覚悟はしておかないといけないと思っているし、母も持病を持っているうえに看護師をしていて、コロナに感染したら、高齢でもあるから、本当に、本人も言ってたけど「私がコロナに罹ったら死んでしまうから」って言ってたけどちゃんと考えないといけないと思う。でも「考える」ってことが具体的にどういうことなのかはわからないんだけど。

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