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タイギゴ(27)

 毎月18日に投稿している「タイギゴ」という連載の先月は、どうして休んだのかわからないが休んだ。このあとにつづくのは、それでもやっぱり書いた方がいい、と思って、三日四日あとに書き始めた文章で、投稿が何日になるかはわからないけれど書き始めたけれど、けっきょく投稿できないまま次の月の18日を迎えようとしている。
 わりと意識的に連作の短篇をいくつも書こう、と考えているけれど、けっきょくいつになるのかもわからないし、そもそもやるのかもわからない。その「わからない」っていうのは、未来なんてどうなるかわからないじゃん、って平たく言えばそういう意味なんだけど、でもそうじゃない。もっと、そんな漠然としたものじゃなくて、だってわたしがその気になって書けばいずれ出来上がるわけだし、そこは「確実」なんだけれど、でもやっぱりどうなるかわからない、っていう、柔らかいもんと固いもんがどっちもある感じ。
 もしかしたらこのことはあとで以前書いているかもしれないけれど、保坂ゼミの第一回に参加して、なにかのときに、
「日記みたいな感じで書けばいい」
 と保坂和志が言った。
「群像」で連載されてる「鉄の胡蝶は歳月は夢に記憶に彫るか」(タイトルは毎月てにをはが変わってるみたいなので、これがタイトルというわけでもない)を保坂ゼミにむけてひさしぶりに読んだら、こんな自由に書いていいんだ、と思った。子どもの思いつきというか、思いついたまんまにどんどん書いていく。
 質問したかったけれど質問できなかったのは、これはキャリアを積んだ保坂和志や小島信夫だからできることなのか、キュリアを積んでない(それはプロかアマかってことではなく、単純に小説を考えている、または書いている時間が短い)わたしでもいきなりやっていいのか。
 なんだろう、もっと普通に書けばいいんだと思う。
 一冊目に出した『波打ち際で砂いじり』という日記は、日記だから自由に書いていいんだけど、今読み返すと、なにかの「型」に嵌めようとしてて、それはそのとき読んでた柿内正午さんの日記だったりするんだけど、でも、こんなに自由度の高い日記でさえも「型」に嵌めようとしていることが面白い。小説ならもっとなおさらそうなる。
 夢の中で柴崎友香が言ったように記憶しているんだけど、
「エッセイは、日記をかっちりした文章で書いた日記」
 と言っていた。
「小説は子どもの思いつき」
 これはいまわたしが言った。
「これは戦後文学の金字塔」なんて、もちろんいろんな種類の小説がたくさんあればいいけど、戦後文学なんか文庫本のあらすじ読んだら「金字塔」ばっかりで、そんなに「金字塔」って乱立してるものなのか?
 そもそも「金字塔」ってなんやねん、と調べてみると「ピラミッド」のことらしい。
「ピラミッドって、こんな太古の昔に、コンピュータで作ったように精密に建っているのはすごいって言うけど、俺、精密じゃないやつは壊れて無くなったんじゃないかと思うんですよね」
 2008年でウィキペディアによると、138基で、でも15年も前の情報で、だれか更新しろよ、と思うけれど、でもあんな大きなもの全部見つけちゃえば全部見つけちゃってこれ以上は新たに見つからないし、今作ってないとすればもう2008年以降、増えようもないのかもしれない。
 作文のニガテな小学生みたいな気持ちで、とりあえず、宿題として提出しないといけないから書いている感じで、ほんとは、前回、たしか前回だったはずだけど、あれはいい感じの小説になったので、でも自己評価と他者評価の話かもしれないけれど、わたしが「いいかも」と思ったものはいいねはのびず、「あんまり良くないな」と思ったものが大きくのびたりする。
「大きくのびる」と言っても多くて10人くらいで、今すき家で、チーズ乗せカルビ丼がきたのでとりあえずそれをたべます。めちゃくちゃおいしそうです。いい匂いです。
 たべおわりました。ごちそうさまでした。
 それで、前回の「タイギゴ」はわりといいんじゃね? と自分では思っていたんですがいいねがまったくのびず、いつも自己啓発系?のアカウントがどっから見つけてくるのかいいねしてくれてたんだけどそれもなく笑、でもTwitterで一人いいねをいただいて、それがうれしい人だったのでうれしくて、というかいいねは少なきゃ少ない方がいい。自分で「これいいんじゃね?」って思えればそれでいい。
 いや、そんなこともないのかもしれない。Twitterでは絵を描いている人のアカウントも「いいな」と思ったらバシバシフォローしてて、みなさんどんどんうまくなってる。それに引き換え俺は……って思わなくもないんだけど、考えてみれば小説書いてないんだから、書いてないんだからうまくもならない。
 で、書いている。いま40枚くらいになってて、いままでやってなかったことをやってみてる。
「まあ、やってみないと分からないけどね」
 落合もそう言っている。
 一万字書こうとしてて、まだ830だ。リアルタイムで書いた文字数をだしてくれるのはnoteだけで、インスタのストーリーで「残光で時間のかかる読書」という連載をやっている。(今はやってない)小島信夫『残光』を、宮沢章夫『時間のかかる読書』をマネして、ゆっくり読みすすめている。今は4回まで行ったのか。で、今日5回目の予定だったが読まなかったので書かなかった。あれはだいたい1,200字を目安に書いている。
 今度「保坂ゼミ」に参加するので、それに向けて群像10月号の「鉄の胡蝶」を読んでいる。べつに課題図書というわけではなさそうだけど、なんとなく頭に置いといて、とのことで、当日はどんな話をするのかわからない。これとこれについてしゃべります、みたいなアナウンスはあったが、なにはともあれ当日、って感じで、「鉄の胡蝶」はひさしぶりに読んだけど、やっぱり自由に書いてて、物語的な小説ではぜんぜんない。それで言うと小島信夫『残光』は「物語」って感じがする。
 東京ディズニーランドにできた、『美女と野獣』のアトラクションは「美女と野獣“魔法のものがたり”」というタイトルで、オープンしたのは3年も前だけどこのまえ初めて乗った。アトラクションの名前がそんな、シンプルというか、フツーの名前だとは思わなかったから、
「あっ、そうなの?」
 と、いちいち言わなかったけれどそう思った。
 初めて乗って、妹曰く、Cの乗り物がいちばん楽しめるそうで、この前家族で行ったときにはたまたまそのCに乗れた。
 ストーリーは映画を見てそのままなぞる形で、まずプレショーとしてベルが城にやってくるところから始まり、乗り場までの通路で、野獣がどうにかベルをディナーに誘おうとするが、ここはどういう理由だったか忘れたが、映画を観ればわかるけれどベルは頑なに部屋から出てこない、野獣も、
「だったら飯を食わずに餓死すればいい」
 みたいなことを言って関係が悪くなる。でもまわりの召使いたち(なんで今更、美女と野獣のあらすじをここに書いてるのかわからない)がなんとかなだめて、あのロウソクの人が「ビー・アワ・ゲスト」を歌う場面からライドに乗る。
 内容は映画のとおりで新しい展開があるわけではないから、乗ったことはなくても映画を観てれば内容はわかる。途中、ベルと野獣が雪の庭に出て、お互い嫌なやつだと思ってたけどなんかいいとこあんじゃん、あれ?もしかしたらあの人のこと好きかも……って歌う「愛の芽生え」のシーンはちょっと長いな、と思いながら、でもやっぱ技術はすごくて、ひさしぶりに、野獣がもとの姿にもどるところとかは、
「どういう仕掛けになってるんだろう」
 と興奮したし、プレショーのところから技術全開で、
「すごいね」
 と、これは口に出して言ってた。
 それでさいご、2人は結ばれて、あのダンスホールで踊るんだけど、曲のタイトルも「美女と野獣」らしいんだけど、あの曲はなんだかわかんないけど条件反射的にうるうるきちゃって、べつにそんなに思い入れがあるわけでもないんだけど、なんかうるうるきちゃって、うわ〜と感動したまま終わって、ライドを降りるステーションもすごくステキで、同じ回に小さい女の子が一緒に乗っていたんだけど、出口にむかう道で、お父さんと手をつなぎながら、
「たのしかった! たのしかった! たのしかったぁ!」
 ってスキップしてるのを、わたしの父も母も微笑ましく見てて、
「かわいいねぇ」
 とか言ってるのを見てて泣きそうになって、なんてステキな世界、というか、ディズニーランド行くとみんなやさしい気持ちになる。日本各地がこういう風景ならどんなにいいだろう、電車や船に乗ってるゲストにむかって手を振って、向こうも振り返してくれたりする。
 我が家は「カリブの海賊」の中にあるレストランがお気に入りなので今回もそこでランチを食べたんだけど、わたしはずっと「カリブの海賊」のボートに乗ってるゲストに手をずっと振っていた。

 また昼ごはんを食べる。また、というか人間は毎日毎日、3食も食べつづけて、1日1回では済まないのか? ドカンと一気にたべて、あとは貯金をくずしていくような生活にはならないのか。
 どうして人間には冬眠がない? 冬は寒いから寝ていたい。夏休みは1ヶ月もあるのに、冬休みは年末年始前後の2〜3週間くらいしかない。それでいうと大学時代はたしかにたのしかった。合法的に(「的」じゃなく「合法」)2月から丸2ヶ月休むことができる。そのあいだバイトをする。
「20万貯金してないと落ちつかないんすよ」
 と言っていたRのこのまえ結婚した。いったいわたしはこれまでの間にどれぐらい金を稼いだんだろう。

 私来週出張なので帰りにお弁当買ってきますよ、と同僚が言って、◯◯というお弁当屋さんで買ってきてもらうことになった。そのお弁当屋さんはこの地域では有名だそうで、大盛りは弁当のフタがしまらないくらいに入っている。わたしはそれを頼んだ。ネットで検索して見せてもらったが、なんとかなりそう、いつも職場で注文してるべつのところのお弁当をたべていて、それは普通盛り、特盛をえらぶことはできるからいつも特盛にしているけれど、ぜんぜんたりていなかったからこれがいい、と思って注文したがめちゃくちゃ多かった。みんなが見にきた。
「すごいねー」
 けっきょくは食べきれず、残して家に持って帰ってきた。普通盛りでもけっこう、女性は、お腹いっぱい、と言っていた。
 新大久保にエッチなマッサージに行き、終わって喫茶店でコーヒーを飲み、行き詰まってた「残光で時間のかかる読書」をやっと書いて、大変だけど、ゆっくりゆっくり、同じところをなんどもなんども読むと味わいがでてくるというか、書くことがでてくる。書くためにやってるわけでないけれど、ゆっくり読むためには書くのもセットにした方がいい。
 となりに仕事終わりにスーツ着たおじさんがやってきた。わたしは3つ並んだ丸型テーブルのいちばん左側に座っていて、そのおじさんは真ん中に座ろうとした。プラスチックのグラスに入ったアイスコーヒーをさきに買ってテーブルに置き、追加でサンドイッチかなにかを買うためにまたレジに向かった。注文しているときに、三つ並んでるいちばん右側の席に、外国人の男性がリュックを背負ってやってきたんだけど、リュックが、真ん中に置いてあったおじさんのアイスコーヒーにぶつかって倒れた。外国人の男性は店員さんを呼びに行って店員さんが来たんだけど、そのときに店員さんが、
「申し訳ありません」
 と言った。だれに向かって謝っているのかわからなかったけど、でもわかる。わたしも仕事してるときは「すみません」ってよく謝ってる。なんで謝ってるのかわからないけど、謝っておくと場の座りがいい。だからやめたい。そんな、場の座りをよくするために謝るなんてやめたい。やめよう。
 倒されたアイスコーヒーのおじさんはレジからこちらを見ていた。わたしはすこしおじさんと目があった。わたしは一部始終を見ていた。おじさんはしょうがないって思ったんだろう、また新しいアイスコーヒーを追加で注文している。店員さんは自分の後ろにいるおじさんがこのアイスコーヒーを買った人だとは気づいてない。というか見えてもいない。でもわたしには見えている。
 こういうときどうしたらいいのか。
 けっきょくわたしはなにも言わずに座ってたんだけど、
「あっ、うしろのおじさん、このコーヒー買った人で、いま追加で注文しようとしてます!」
 って言うのか? たぶんそうしたら店員さんが、
「じゃあ新しいのをお作りします」
 と言って新しいのをおじさんはもらう。でもさっき思わず「申し訳ありません」と謝ってしまった店員さんのように、お店の落ち度でこのアイスコーヒーが倒れたわけではない。外国人の男性がリュックで倒してしまったのだ。だから「悪い」といえばこの男性なんだけど、でもこの男性だってわざとやったわけではない。そこで、
「今ね、この男性がコーヒーをリュックで倒しちゃって、これは今レジにいる男性のコーヒーなんだけど、今また新しいのを買おうとしてて、ほら! あなたが倒したんだからお金払ってあげなさいよ」
 いったいなんの権限があってこんなことを言っているのか。もちろんわたしはこんなこと言ってない。わたしはけっきょくなにも言えなかった。
 私人逮捕系YouTuberというのがでてきているらしく、次から次にいろいろでてくるなぁとは思うが、Twitterでちょっと拡散されてた(もう「拡散」って死語か? でも「拡散」だから「拡散」を使う)、覚醒剤の売人を追っかけて、尋問した男に対して、警察官が、
「あなたはなんの権限があって尋問をしているんですか?」
 と質問して、男はごにょごにょ言ってたけど、本当にそうだ。なんの権限があの男にあるのか。「悪い奴が捕まったんだからそれでいいじゃないか」「なんなら俺は警察よりもはやく気がついた」と言っていたが、
「うん、それはわかってるけど、それは私たち(警察)の仕事だから」
 男はその意味がわからないのか、はぐらかしているのか、
「さっきからなにが言いたいんですか?」
 を繰り返していた。

 4,550字だ、まだ半分もある。

「読書感想文は原稿用紙3枚です。すくなくても2枚半は書いてください」
 けっこうな文字数をこの先生は書かせるから高学年の宿題かもしれない。わたしは国語は得意だったし好きだったから作文はそんなに苦ではなかったけれど、数学(算数)のドリルは作文が苦手な子とおなじような気持ちでやっていた。作文が苦手な子は、なんとか3枚埋めるために改行したり、引用したりする。そういう作文をいまは読みたい。なんとか埋めるために書かれた作文。構成もめちゃくちゃで、内容なんかどうでもよくて、とにかく期限内に、3枚を埋めることのみを考えられて書かれた文章、先生たちはそれをどう読んでたのかわからない、聞いてみたい。
「おもしろい作文はありましたか?」
 でも先生たちがおもしろいと思う作文はその中にはなかったんだろうと思う。中学生のテストで小論文みたいなものを、400人事異動くらいだけど書かされて、解答用紙返却のときに紹介されるのは、作文が得意な人の作文だったし、いろんな評価の仕方があって、高校のときには、ドリルみたいなものを提出させる先生がほとんどだったが、数学の、いつもなぜか白衣を着ている、名前も忘れた先生は、ノートを提出させた。

 けっきょく「タイギゴ(27)」を投稿しないまま次の18日をむかえようとしている。

 文フリの日、わたしは母親と喪中ハガキの注文に行っていた。文フリには買いたい本がたくさんあったし、会いたい人もたくさんいたので行きたかったけれど、喪中ハガキもあるし、その日の夜に大阪に深夜バスで行く予定があったし、その荷造りもしないといけなかったから行けなかった。そもそも流通センターはわたしの家からはものすごく遠い。みーらさんはTwitterを拝見する感じだと大阪から東京の文フリに新幹線でいらしているそうで、わたしも広島に今度行こう。今回の大阪、結果的に一人旅行になってしまったんだけど、一人で大阪に行けることが分かったので広島にも一人で行ける。写真を撮るのに苦労するが、友だちと行けばいいし、友だちいなかったら一人で行けばいい。
 もともと書く話ではなかったが、職場にほかの誰とも関わらない人がいる。ごめん語弊があった。同じ職場の人とはものすごく仲良くなるんだけど、同期とかとはまったく関わらない、連絡先も知らないし、同期のグループLINEにも入っていない、
「でも同期の子とかに連絡先教えてって言われたらどうするの?」
 と訊かれて、
「なんとかして誤魔化します」
 と言っていた、なんでこの人の話をしようとしているのか忘れてしまったんだけど、その人の話を訊いていると、まあ友だちいなくても何とかなるというか、そもそも、その人がそういう風になってしまったのにはなんかあったのかな、と勘ぐってしまうけれど、そう勘ぐりながらその勘ぐりはまったく余計なお世話だなと思う。
 それで喪中ハガキを作って、今度日記本が出るのでよかったらお願いします。12月10日(日)下北沢BONUS TRACKの中にある「日記屋月日」さんが開催する「日記祭」(わたしは「にっきまつり」と呼んでいたが「にっきさい」のようです)に、委託販売で日記本を販売します。タイトルは『三途の川の安全な渡り方』です。よろしくお願いします。
 で、その日記の中にもたくさん書いているけれど、この三年間で祖父母が立て続けに亡くなって、四人とも亡くなったんだけど、だから今年の喪中ハガキが最後の喪中ハガキで、母親とあれこれ言いながらデザインを選んでいった。今は、わたしたちはカメラのキタムラで注文したんだけどお店にタブレットが置いてあってそこで自分たちで文章入れたりしてデザインするんだけど、けっこう最後の方まで行ってから、やっぱりさっき迷ってたあっちのデザインの方がいいってことになったんだけど、
「いや、もうまた頭から作ってもらうのは申し訳ないからいいよ」
 母はもう還暦なのでそういうタブレットの操作とかはほとんどできないからだからわたしが一緒に行ったんだけど、だから浩平にまた頭からやり直してもらうのは申し訳ないから、いいよ、って言ったんだけど、それはわたしは母には言わなかったけれど、でもこれがもう最後の喪中ハガキなんだから、納得するものを作った方がいいから頭からやり直した。
 無事に注文してランチはオムライスを食べた。
 父親とは二人きりにされると何を話したらいいのか分からないけれど母親とは話せる。そのときもいろんな話をして、同僚にTさんがいる。Tさんは今は看護師をやめているんだけど、月に一回母と会ってランチを食べるらしい。けっこうな頻度だなと思う。それでTさんには旦那さんがいて、ちょっと脱線すると、前に「タイギゴ」にりょうがくんという名前で登場させた男の子がいて、昔からわたしはそのりょうがくんの服のお古とかをもらったり、頻繁に会って遊んだり幼なじみだったりしたわけではなかったけれど、なんとなく幼なじみのような感情がある男の子がいて、その子はもともと数学の先生にあるつもりだったけど採用試験にも合格しないから、塾の先生をやりながらチャレンジしていたけれど、あるとき急に、
「俺芸人になる」
 って言って漫才コンビ組んで芸人になって、何年かやったけれどたしか今は廃業している。廃業したあとまた数学の先生を目指しているのか、ほかのことをやっているのかそこまではしらないんだけどそういう人がいて、このりょうがくんのお母さんがTさんで、だから母親同士のつながりでお古をもらったりしていた。
 で、旦那さんがいて、この旦那さんはもともと製薬会社で長く働いていたけれどリストラされて、今はTさんと一緒に家にいるんだけど、趣味は掃除で、毎日掃除をしているらしい。まだ若いのでTさんは「なにか仕事を探したらあるよ」と言うけれどやらない。毎週何曜日になにをするというが決まっているそうで、土曜日が掃除の日。それはだからりょうがくんが子どものときからずっとそうだったらしくて、わたしはそんな話はじめて聞いたから、そんなことになっていたのか、ってなって、

 こんなに大っぴらに人の話を書いていいんだろうか、というか、

これはフィクションである。

 取ってつけたように書いてみているがでもほんとにフィクションなのだ。この話はTさんから母へ、そして母からわたしに語られたわけだけれど、そのつど編集されている。そしてわたしが書いていたものも母の話そのまんまではなく思い出しながら、つながってないところは強引に繋げたりしながら書いている。わたしが母からTさんのだんなさんの話を聞いたからといって、これでTさんのなにもかもを知ったわけではない。そもそも顔すら知らない。名前すら知らない。どんな服を着ているのか、どんな声なのかまったく知らない。
 母はそのとき「仕事では波風立てずに、落ち着いていて、きちんと仕事をこなせる人じゃないといけない」と言っていて、わたしもそうだと思ったそのときに、
「朝挨拶して、この人今日は機嫌悪いかなって思ったら近づかない」「あまりそういう人にならないようにしてる」
 とわたしは言ったのだけど、言ったそばから、それはすごく機械的な発想というか、コンピュータに機嫌はない。
「今日はご機嫌ななめだなぁ〜」
 となんとなくうまく反応しないときに言ったりはするけれど、基本的には人間とは違って怒ったり泣いたりしない。機嫌の起伏はない。
「そういう人との方が仕事がしやすい」と考えるのはなんとなく、そういうコンピュータ人間的な発想で、人間には起源の悪い日もありゃあ、具合の悪い日もある。体は元気だけどなんか気分が乗らない日もあるし、だれとも話したくない日もある。それも含めて「人間」なはずで、そうじゃない機嫌の起伏がない人の方がいい、なんていうのはまさに考えることをやめた「大人」の発想じゃないか。
 保坂和志『言葉の外へ』の中にある「子どもは易しいものしか理解できなくて、大人の方が難解なものを理解できるというのはまちがいで、子どもはわからない疑問をいつまでも考え続けることができる。それによって答えが出なかったとしても考えつづけることができる。大人はできない。そういう耐性がなくなった、考えつづけることができなくなった人から順番に「大人」になっていく」
 これも一言一句正しく引用してはいないがこれはすごい名言だなと思った。坂口恭平が山下澄人とのスペースで保坂和志を、
「保坂兄やんは、こいつ人間何周しとるんやってところを言ってくるから」
 と言っていた。
 きのう高校の先輩と飲み会があった。自分としてはそんなにたくさん飲んだ覚えはないんだけれど酔ってた。

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