2020/12/29(未明-p.92)

 質問者が何か質問するときには、質問と答えがワンセットになって空欄に手短かに言葉を記入すればいいようになっているフォーマットがすでに存在している。フォーマットに答えを埋めるという作業ならコンピュータでもできるではないか。コンピュータでもできるような作業はあくまでも「作業」であって「考え」ではない。(保坂和志『未明の闘争(上)』講談社文庫、pp.51-52)

 なにか物を考えるということは、自分で新しく作り上げることのような気がする。

 それは小説を書くとか、曲を作るとかそういう芸能的なことに限らず、たとえば職人仕事でも、はじめは師匠に教わったとおりにおこっていた仕事もだんだんと熟れてくる/習熟してくると、自分のやり方やリズムが生まれてくる。それは教えられた師匠のリズムを基盤としているけれど、師匠その人のリズムではない。弟子であるその人のリズムで、その人にしか出せない、固有のリズムだ。

 言葉も同じで、誰かに言われたことをそのまま言っているようではダメだ。
 わたしは高校を卒業するとき部活の先生に、
「君の人生は人に支えられて輝く人生だ」
 と言われた。
 わたしはこの言葉を構築し直したいと思っている。

 まわりに誰かがいないと何も出来ない他力本願な人生なのか?
 それとも「わたしは出会う人に恵まれていた」と死ぬときに思うような人生なのか?
 そもそも「輝く」ってどういうことだ?
 その先生は最後の卒業式の日に、
「今日が『人生最高の日』にならないように生きていってください」
 と言った。

 見方によっては「君の人生は人に支えられて輝く人生だ」は呪いの言葉だ。「お前は一人じゃ何も出来ない」と烙印を押されたような気がする。でも文章は一人で書いている。一人ででしかできないことを私はやっている。その自信というか蓄積は多少はある。

 なんとか自分の体に合う言葉に作り替えたい。考えるとはそういうことじゃないか? 漢字テストの答案用紙に答えの漢字を書くために漢字を覚えるように、人の言葉を覚えて使っても仕方がない。何の役にも立たない。有名な起業家が言った言葉をそのまま言っている同世代の起業家が好きじゃないのはそれが理由だ。クリエイティブであるような顔をしているが「作業」の匂いを感じるからだ。

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