2023/09/03

 なにもする気が起きず、もうすぐ17時になるが、なにもしていないわけではなくて、なにかはしていて、さっきまで寝ていたし、寝ながら森繁久彌の動画を観ていて、タローマンの動画を観ていた。なにもする気は起きないが、小説を書いたり、保坂山下の文字起こしをして、それも遅々としてすすまないし、進まないことはいいことで、進んでいるってことは書きあぐねていないってことだ、書きあぐねていないってことはすでにどこかで聞きかじったものだからスラスラ書ける、ってことは書かなくてもいい? 書かなくてもいいことはない、スラスラ書けたことが、遅々として進まない、書けないときに自分を支えてくれる。
 支えてほしいんか? そういう言い方をする人にはべつに支えてほしくないです、というか、他人に支えてもらうんじゃなくて、自分でどうにかするというか、どうにもならないんだけど、でもどうにもなるし、どうにかしたいと思っているけれど、そのどうにかするのは他人にはやってくれないので、自分でどうにかするしかない、と言い切ってしまうとなんか「自己責任」みたいな、気持ち悪い橋本みたいになるからそうじゃなくて、こういうこと書いてるからダメなんだよなあ、という気もする。自分がしゃべらないことを書いた方がいい? でもそれもなんでもかんでも反対のことを言えばいいってことではなくて、なんかそんなようなことを考えていた。分かんない、一旦やめる。

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