タイギゴ(24)
(24)サンジェルマン通り
Fの話をもうすこし書くと、べつにFの話がしたいわけではないんだけど、この前、そうか、前々回のタイギゴで書いたFとの話は今年の一月の話だからもう五ヶ月ぐらいになるのか、それを四月のタイギゴに書いて、この前Fがインスタにストーリーを上げていたからそれに「元気?」ってコメントして、向こうも「元気だよ。元気?」って返してくれて、今『違国日記』を読んでいる、その中に十代からの友だちの話が出てきて、Fのことを考えてた。なんとなく二人は似ていて、学生のころ会えばお互いの夢の話をとかを青臭くしていた。元気かな、と思って「元気?」って連絡した。
地元を離れてチバ県にいて、仕事をしている。そういえば今日昼休みに会社を出たら社員入口のところに黒塗りの車が止まっていて、社員三人が立って誰かを待っていた。たぶん上層部の誰かがこれからどこかに行くのにお見送りをするのに立って待っていたんだろうと思う。今、手書きのこれをポメラに打ち込んでいるコメダの後ろの席で、パソコンでビデオ通話している男がいる。一応、まわりに迷惑がかからないように静かにしゃべってはいるからまだマシだけど、でも気になる。誰かが、普通に二人で会話している声は気にならないのに、電話で会話しているのは気になるのはどうしてなんだろう。気になる、というより不快なのはどうしてなのか。何かの本で、
「自分の知らない世界とつながっている人を見ると不快になる。それと同じ」
と、その著者が説明している本を読んだけれど、分かったような分からないような感じだった。山下澄人『おれに聞くの?』にも、
「いまこれを書いていると、遠くで工事の音が聞こえているのですが、工事の音のリズムに乗ってうまく書ければ工事のおかげだし、気になって書けなければ工事のせいだ、となる。私たちはつねに何かの影響を受けている。うちにいる猫も、前は○○の音(なんの音だったかは忘れた)が鳴るとかならずピクッと顔を上げていたが、今は気にしなくなった。だんだん慣れていく」
と質問に答えていた。↑これはきちんと引用したわけではなく記憶してるのをわたしなりにここに書いただけだけれど、「工事のせいだ、となる。」という言い方は山下澄人っぽい。ギャンギャンまわりに誰もいないかのように話しているわけではないので気にはなるが、うまくいけばそいつのおかげ?なのか、うまくいかなければそいつのせいで、とにかくやってみる。
小学生のとき、
「お前はあいさつができないからキビシイ習い事をした方がいいんだ」
と言われて空手を約五年間、小一から小五まで習っていた。小五からは少年野球をやっていて、小学校の校庭(わたしが通っている学校のとなりの学校。わたしの学校は地域の少年サッカーチームに貸していた)を練習グラウンドにしていたけれど、もう昔話なので許してほしいけど、小学校の校庭でコーチたちはみんなタバコを吸っていた。
「今の時代あんなことはしないよ」
妹は地元を離れているのでたまにわたしと父と母の三人でランチに行くことがあるんだけど、そのときにはだいたいいつも近況か、酒が回ってくると昔話になる。どうでもいいが、今朝寝ぼけ眼で、夢の中で、濃い焼酎の水割りを飲んでいて、それがめちゃくちゃうまかった。
それで、もちろん吸い殻を校庭に捨てるなんてことはなかったけれど、野球ボールやバッターのヘルメットやピッチングマシーンなどと同列に、赤い箱形の、よく工場現場とかに置かれている、野外の吸い殻入れが少年野球の「備品」としてあった。
みんなタバコを吸っていて、吸ってないコーチの方が珍しかったし、今度子どもが生まれるYの父親もコーチをしていたんだけどそのお父さんも吸ってた。でもしばらくしてやめた。
敵チームも同じだった。試合をすると、みんな監督、コーチはベンチでタバコを吸っていた。試合中である。しかも、ベンチで、である。もちろん十年以上前の話で今はそんなことはないだろうし、今更わたしは監督コーチを告発してやろうと思って書いているわけではなくて、そんな時代もあったね的に思い出してしまったから書いているだけで、べつに思い出さなかったら書かない。家族三人でランチに行ったときにたまたまそんな話になったからこうして書いているだけで、だからどう、とかはない。
試合のイニングのあいだで、子どもたちにかこまれて作戦を伝えているときも(そもそもあの監督やコーチたちは昼間は何をしていたのか。もちろんお給料がでていたわけではないだろうし、少年野球のコーチ業もごっこ遊びと言ったら真剣にやっている人には怒られるかもしれないが、でも少年野球にかぎらず、世の中の仕事のすべては「ごっこ遊び」「おままごと」だと思っているからしょうがない。お給料がでる仕事だって、どれも「ごっこ遊び」だと思う)監督はタバコを吸っていて、わがチームの監督はショートホープを吸っていた。ムッシュかまやつよろしく、根元ギリギリまで吸って、
「そうさ短くなるまで吸わなけりゃダメだ。短くなるまで吸えば吸うほど、きみはサンジェルマン通りの近くを歩いているだろう」
サンジェルマン通りを調べてみた。パリ、セーヌ川の近くにあるらしい。でも面白いのは、この曲の登場人物はサンジェルマン通りを歩いているわけではなくて、あくまでもサンジェルマン通りの「近く」を歩いているのはどうしてなんだろう、想像の世界なんだからサンジェルマン通りを歩かせればいいじゃん、と思うけれど、ムッシュは、「近く」を歩かせている。
監督はベンチの真ん中、いちばんの特等席に座っていた。ベンチはもともと赤色のコカコーラと背もたれに書かれているベンチで、でも退色したり、雨風に打たれてくたびれてはいたけれど、でもまだぜんぜんベンチとして座れるベンチの真ん中に座っていて、試合中はその右側にスコアをつけている林田さんというコーチ(この人の子どもはわたしと同い年でキャプテンをやっていた)が座っていたが、ミーティングのときは席を外していた。ベンチに座っているのは監督だけで、監督は白いユニフォームをみんなでお揃いで来ていて、足を組んでいる右脚がやけに太く見えていた。わたしの学年からビジターユニフォームのようなものができた。プロ野球もホームのユニフォームはどのチームも白色で、ビジターはそれぞれのチームカラーになっている。わがチームのカラーは「赤」だったんだけど、赤色のユニフォームを新しく作った。でもプロ野球のようにホーム、ビジターでの組み分けではなくて、新しいユニフォームは夏用の、メッシュ加工がされているものだった。
監督はタバコを吸い終えると指で火種をもみ消した。わたしは熱くないのかな、と思っていた。わたしはベンチ組だったので、最前列にはレギュラー陣がいて、そのうしろになんとなくベンチ組がいた。わたしは試合に出てないし、そもそも野球も興味がなかったから、監督の話は聞いていなかったし、試合も観てなかった。足元で砂を集めて山を作っては崩して、作っては崩していた。いつもそのころの話になると母に、
「あんたはいっつも山作ってた」
といまだに言われる。レギュラーはみんな監督の話を聞いていた。ベンチなのにHくんはいちばん前になぜかいた。Hくんは七年前?の成人式のときに赤い派手な袴を着ていて(わたしとは違う中学校だったが、成人式の時間は同じだった)、会場になっていたホールの前で瓶ビールかなにかをラッパ飲みしていて、炭酸だから飲めなくて吐き出して、ウワサでは急性アルコール中毒になって救急車で搬送された。袴だからいろいろ面倒だろうな、と思った。ラッパ飲みしているHくんを見て、もう関われないと思って逃げた。向こうも話しかけてこなかったし、そもそも眼中にも入っていなかったはずだ。向こうは向こうで同じ感じの仲間と一緒にいた。
勝っているから、という理由で代打で出されて、そのまま守備につくこともあった。試合に出たい人は嬉しいのかもしれないけど、わたしは出たくなかったので嬉しくなかった。親(とくに母)がいちばんやらせたいスポーツが「野球」だった。母は高校時代ソフトボール部でそれなりに熱心に練習していて、ピッチャーをやっていて、女子校だったけど、
「ピッチャーで背も高くて、それなりにかわいくて目立ってたから、女の子にモテて、たまにラブレターももらった」
と話していた。両親はわたしのやりたい習い事もさせてくれた。テニスをしたいと言ったらやらせてくれたし、わたしはもともと小児ぜんそくで、生まれてすぐ保育器に入れられて、生まれて一、二ヶ月は両親とも直接対面できなかった。なので呼吸器が弱いから水泳を習わせよう、と水泳を習っていたが、これはもともと両親が「やらせたい」と思っていたものではなくて、身体的な理由でやらせたものだったけれど、わたしは水泳が好きになった。
そんな話ではなくて、もともと空手の話だった。なんで空手の話をしようとしていたのか忘れたが、思い出してみよう。たしか、わたしの入っていた流派では年に二回組み手の大会があった。それとはべつに、黒帯に近くなると型の試合(型の完成度、美しさ?を競う、空手界のフィギュアスケートみたいなもの)もあって、わたしはこれには一度でたことがあるが、途中で型を忘れて、相手が終わるまで棒立ちしていた。判定は三人の判定員が目の前に座っていて、二人同時に同じ型をやる。どの型をやるかは、型の名前が書かれた木札が入っている赤い袋の中からその場で判定員が抽選して決まる。だからどの型が来るか分からないから全部練習していかないといけない。はじめは順調だったが、途中で分からなくなって、判定員は紅白の旗を持っていて、勝ちと思った方の旗を上げるのだけど、満場一致で相手が、当たり前だが勝った。わたしが棒立ちになっている写真を見たことがあるような気がするが、本当にそんな写真があったのか、わたしの創作した写真なのか分からない)もあって、それは会長に選ばれた人しかでられなくて、わたしは空手も好きではなかったからどうでもよかった。母は、型は知らないから、
「あれ、間違えてたの?」
と後で言っていた。でも楽しかったのは、通ってる学校のべつの空手道場に通っている生徒同士で、学校で型とかをすると異様に盛りあがることだった。
「この型知ってる?」
とか言って、一緒に並んで型をやると異様に盛りあがった。それだけが楽しくて、辞めるときも、わたしのいた会の会長に、
「辞めさせていただきたいんですが」と言ったら、
「なんで辞めるんだ」と言われて、
「塾に入ろうと思っていて」
その会長も悪い人ではないんだろう。どんなに悪人でもすべて「悪」ではないし、どんなに善人でもすべて「善」ではない。善の中にも悪はあるし、悪の中にも善はある。そんなぺらんぺらんの教訓を垂れ流したいのではなくて、どこかに家族で旅行に行くと、道場におみやげを買ってくる生徒がいた。わたしも一度くらいはUSJのおみやげを買っていったことがあるような気がするが、そうすると、
「会長、おみやげを買ってきました」
と生徒が、練習が始まる前くらいに会長に渡すと、練習後に、会長とじゃんけんして買った奴からもらえるというゲームというか、遊びみたいなことをして、もちろんさいごにはみんなもらえるんだけど、会長が道場の真ん中に正座していて、向かい合って生徒たち二十人弱ぐらいが座っている。じゃんけんに勝つと、そいつに向かってぽーんとおみやげ(だいたい、個包装されたチョコクランチとか、まんじゅうとかだった)を投げてくれる。それをキャッチできるとみんなで拍手する。たまに、そいつのいる方とは反対方向に投げたりして、そいつがヘッドスライディングにキャッチしたりすると、みんな「わぁー!」となって、その日はみんなでダイビングキャッチの日になったりする。そういつ茶目っ気のある、空手の稽古から離れたところでは気のいいジイさん、なんだろうけど、わたしはそうじゃない面をたくさん見てしまったからいまだに好きにはなれないし、もう二十年ちかく前の話なのでどうでもいいっちゃどうでもいいんだけど、もう会長が生きているのかどうかも分からない。たぶん生きているだろうけれど、死んでいてもおかしくない。この前仕事をしていたら目がチカチカして、なんとなく視界の四隅が重たい感じにぼやけていて、もしかしたら、このまま今日仕事終わって寝たら翌朝目覚めずに、そのまま死んでいるかもしれない、と思った。なんか脳の、血管、目の部分の血管が切れて出血して、その初期症状として目が見えにくくなっているのかもしれない、と思って、真剣に、今夜救急車を呼んだ方がいいかな、って母が看護師だからそんな電話をした方がいいかな、って思ったりもしたけれど、けっきょくしなかったけれど、でもけっこう怖い時間で、わたしはまだ若いけれど、それでもいつ死ぬか分からないし、まさにその日に本当に脳の血管が切れていて死んでいたかもしれない。だから会長は、たぶんその当時で六十歳ぐらいだからもう八十ぐらいになっていて、それこそ今日、上岡龍太郎が亡くなっていたとニュースが流れたけれど、いつ死んでもおかしくない年齢だ。それで言うと、昨日、アルパチーノが八十三歳で恋人が妊娠した、というニュースもあって、職場の待合にモニターがあって、そこに中央線のドアの上の画面に流れる短いニュースみたいな、あれと同じものが流れていて、トイレから帰るときに「アルパチーノ 83歳」という一文が見えて、
「ああ、アルパチーノ亡くなった」
と思ったら違った。
上岡龍太郎が亡くなって、Twitterには昔の上岡の動画がいくつも流れているが、芸人とヤクザは同じ人種だ、表に立っている木は違うからべつのもののように見えるかもしれないけれど、根っこはつながっている。だから、日常生活、一般社会で言われているような「常識」だとかそういうものを芸人に当てはめようとしてもダメですよ、社会からのはみ出し者、アウトロー、そういう人間が芸人になったり、ヤクザになったりしているのであって、あっちは腕が立って、こっちは口が立つ、というそれだけの違いです。アルパチーノもまさにそうだ。八十三歳で子どもを作るなんて、もちろん他人様の人生に口出すものではないけれど、まあ、すごい。映画『ヒート』でもそんなようなセリフがあった。あなたはいつも仕事一筋で、家庭のことなんか省みなかったから崩壊したんだ、あなたは結婚生活はまったく向いてない。みたいな。
養老孟司がYouTubeで、子どもが「「いい人生」ってなんですか?」と質問しているのに対して、
「私はそもそも、人間は平均寿命でいったら八十年ぐらい生きるのに、「人生」という、言葉にしたら一秒くらいにしかならないその言葉に、我々の「人生」が含まれているとは思えない」
と答えていた。もちろんこれは一言一句そのまま、正確に書いているわけではなくて、わたしの頭にある養老孟司の言葉を、それっぽくして、書いているだけなので、間違っている。でもそんなそんなことを言ってた。山下澄人も「わたしも「人生」という言葉はうたがっています」と言っていて、そんなことを連続で読んだからなのか、ここ数日「人生」ってたしかに、こんな一秒くらいの言葉に八十年の時間が含まれているはずはないな、と思うし、そもそも「人生」なんてものが存在すると思っているのは、そういう「人生」という言葉を生まれたときから聞き続けているからなんとなくそういうものがあるんだ、自分もその「人生」を歩んでいて、みんなもそれぞれ、それぞれの「人生」を歩んでいるんだ、と思い込んでいるだけで、本当は「人生」なんてものは存在しないんじゃないか、と疑いはじめている。
この前も、というか昨日だけど、風呂屋に行って、露天風呂に浸かって、昨日はなんだか人がたくさんいたんだけど、浸かって温まったところで、ベンチというか、スーパー銭湯とかにある白いプラスチック製の椅子に座ってぼーっとするのが好きなんだけど、あそこに座りながら、風呂屋に来ている人たち、夜は大学生が多い、大学が近くにある、をぼーっと見ていて、
「この人たちにもそれぞれ「人生」があるんだな」
なんて思ったりした途端に、
「いや、「人生」なんて幻想かもしれないぞ?」
とやっぱり思って、みんながみんなそれぞれの人生を背負っている、なんて思ってしまうから話が重くなってしまう。たしかにそうかもしれないけれど、それを避けるというか、そんなに話を重くしてもしょうがない。
会長は、塾に入りたいんです、と言ったわたしに対して、
「今の子どもは塾に入りたいって言えば辞められると思ってるんだよなぁ」
と言っていた、もちろん空手は辞めた。そして塾にも入らなかった。その会話だけは覚えている。あと、こんなにたくさん書いたら読む人が読めば分かってしまうかもしれないが、さっき、空手の型の技術の高さを競う大会があると書いた。それはこの前の東京オリンピックでも競技になっていたし、見た人はなんとなくイメージしやすいかもしれないけれど、もちろんわたしはオリンピックの空手は見なかったし、そもそもオリンピックも見ていなかったが、なんだろう、わたしは高校の部活動は楽しくやっていたけれど、反対にイヤな思いをしている人もたくさんいて、そういう人たちは、部活動のなんというか、それと紐付けされる「青春」とか「涙」とか、「仲間」とか、そういうものに触れると笑っちゃうと思うけれど、わたしも空手を見ると、今空手を一生懸命にやっている人には大変申し訳ないんだけど、笑ってしまう。小学校でその空手道場に通っていたときも、下駄を履いてきた奴がいて、うわうわうわ、と思っていた。
その型を、いつもの道場ではなく、いろんな会の道場の生徒たちがある体育館に集まって、合同で練習する、行事というか講習会があって、参加費は千円だった。一分遅刻していくと、
「お前帰れ」
と言われて、会長が自分の財布から千円をだして渡されて出てけ、と帰された。わたしは帰って、母に車で送ってもらっていたがまだいたので、
「どうしたの?」
と言われたらわたしは泣いてしまって、
「いいよ、いいよ。帰ろう」
と母が言って帰った。そのあと、どこか甘い物でも食べに行った気がする。
たしかに遅刻したわたしが悪いのだけど、あの涙はなんだったのか。その講習会にものすごく参加したかったわけではない。「参加しろ」と言われたからしょうがなく参加していただけで、もっと図太ければ、
「よっしゃ、ラッキー」
と思えたかもしれない。べつに参加したいわけではない講習会に参加しなくていい、と言われて帰された。それはよかったけれど、泣いたのはそれが理由ではない。公衆の面前で辱めをうけたのが恥ずかしかったのか、悔しかったのか、怖かったのか、それが母に声をかけられたらバーッと気持ちが溢れたのか、なんなのかは分からないけれど、その前にも、月謝かなにかの支払いが今日までだ、と言われて、なんで持ってこなかったんだ、もうお前今日稽古しなくていいから、帰って金持ってこい、と言われて、そのときは母もいなかったから、道場から自宅まで小学生の足で一時間半くらいかけて帰って、両親は共働きでいないから祖父母の家に行って、こうこうこういう理由でお金持ってこいって言われてるからお金貸して(道場には祖父が車で送ってくれていた)と言って借りて、そんなことをしているうちに父が帰ってきて、わたしたちが住んでいた家と祖父母の家は真向かいの家だったから、空手に行っている時間なのに何してんだ、と言われて、こういう事情で帰ってきた、しかしそのたぶんこれもなにかしらの講習会か何かの参加費で、そのお知らせのプリントが道場で配られた日はわたしは休んでいて、まったくそんな講習会があることも、そして今日がその支払いの期限だったこともまったく知らなくて、でも会長に怒られているから家にお金を取りに行くしかなくて、取りに行って、で、子どもを一人で歩かせて家に帰らせるなんてありえない、しかも知らなかったのに理不尽だ、と言って、それも父が一緒に来てくれたのか、わたしはそのときは泣きはしなかったけれど、父は、
「参加させません」
と一言言って帰ってきた。会長は、
「言えばいいじゃないか」
と言っていたが、わたしは内心、
「あんな状況で言えないよ」
と思っていたし、後で父にも、
「言えるわけねぇよな」
と言われた。
そんなこともあって、型の講習会でわたしが泣いて帰った日は、父と一緒に風呂に入っていて、わたしは湯船に浸かっていて、父が髪を洗いながら、
「もう、辞めればいいよ」
と、言っていた。そもそも両親が「入りなさい」と言って入った空手だったから、両親が「辞めていいよ」なんて言うとは思わなくて驚いた。父は風呂で顔を洗うときに、バシャーン!バシャーン!バシャーン!と顔にお湯を勢いよくかける。その音が、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」の全員の踊りのある場面(どこと詳しく指定することはできないんだけど)に似ている。ダフニスとクロエを聞くといつも父の洗顔を思い出す。
そんないろいろな事件があって、あまりにもそれは理不尽すぎる、そんなところは辞めちまえとなっていたから、会長に「今の子どもは塾に入ると言えば辞められると思ってる」と言われたときに父がどんな顔をしていたかわたしは見ていなかったから覚えていない。この理由はわたしが考えたのか、父が考えたのか、父が考えたような気がするけれど、父に訊いたら、
「お前が考えたんじゃないか?」
と言って、けっきょくは分からない。もしタイムスリップできるなら父がどんな顔をしていたのか見てみたい。道場の入口のところで、会長に話し掛けた。帰りのときだった。ほかの道場の生徒が帰りながらこちらをチラチラ見ていた。なんとなく、会長に話し掛けるなんてことはみんな普段はしないから、話し掛けてる、しかも保護者も一緒に来ているとなるともう辞める話しかない。道場のうしろには昔ながらの寿司屋のカウンターの席みたいな椅子があって、そこに見学の保護者が並んでいる。保護者の前だろうとなんだろうと会長は竹刀で生徒を殴った。そこはまだ信用できたところかもしれない。やっぱり、悪い側面も書いているが、それだけでは飽きるようで、いい一面も書きたくなるみたいだ。しかしわたしは会長を「いい人」だとは思っていない。しかし、保護者の前ではいつものように振る舞わない、いつもは竹刀で殴るのに、保護者がいるときは殴らないとか、子どもはそういうのはすぐ分かるから、裏表はなかった。それで、山口くんという男の子がいて、その子はいつもおばあちゃんと一緒に来ていた。おばあちゃんは、いつも木曜日と土曜日の十七時から十八時半までが稽古なんだけど、いつも向かっていちばん右側の席に座っていた。見学しているというよりそこに座っていた。稽古が終わると山口くんと一緒に帰っていった。腰が曲がっていて、目も開いてるんだか閉じてるのか分からなかった。孫が叩かれようが叱られようが微動だにしないで、そもそもそれを見ているのかも分からないぐらい、もしかしたら寝ていたのかもしれない。もうそのとき八〇歳ぐらいだからとっくにお亡くなりになっている。山口くんはその葬式にスーツを着て参列している。火葬が終わって納骨のとき、やけに大きく曲がった骨があった。山口くんはそれは背中の骨だと思った。山口くんはその骨ではない別の骨を骨壷に納めた。父親も母親もそんなことは考えていなかった。山口くんと書いているけれど、本当に山口くんという名前だったかも覚えてない。通っている学校も違ったのでそれっきり会ってもいない。どこにいるのかも知らないし、もしどこかですれ違ってもお互い分からない。同じく小学校のときに習っていたスイミングスクールでも、この子は本当に名前を忘れてしまったけれど、違う学校の、とりあえず名前は「桃井くん」としておくけれど、桃井くんというすごく仲のいい男の子がいた。毎回、さいごの十分、十五分くらいは自由時間で、遊んだりするんだけど、そのときいつも桃井くんと一緒に遊んでいて、濡れた肌で掻くと黒い垢がボロボロ取れて面白いよ、と教えてくれたのも桃井くんだった。桃井くんともまったく会ってない。桃井くんとは会いたいな、と思う。それぐらい仲がよかった。
それで組手の大会のときに来賓として市議会議員とか市長がたくさんきた。もともとそういうユチャクがあって、道場に保護者を集めて集会をしたり、子どもながらに気持ち悪かった。そのうちの一人は今はエラくなっていて国政のど真ん中にいて、もともと市議会議員だから地元にも家があって、この前父母わたしとすき焼きを食べに行った帰りにその家の前を通ったときに、
「ここ! ここだよ! ここ○○ん家!」
と急に父が叫んで、べつに○○の話をしていたわけでもないのでいきなり言われたから○○が誰の名前なのか分からなくて、しばらくして「あ~」となった。その家の前には電話ボックスみたいなものが建っていて、○○がここにいるときはその中に警官が立っているらしい。大変なお仕事だ。そいつを好きかどうかに関係なくその警官は仕事としてそこに立ってなきゃいけない。
「仕事とはそういうもんだよ」
と、またわたしの中の社会くんが分かったような口をきいてくる。落合博満が、
「野球を楽しいと思ったことは一度もありません」
と言っていたが、いくら自分のやりたかったこと、好きなこと(ちょっと前にYouTubeの広告で「好きを仕事に」(正しくは「好きなことで、生きていく」)というコピーがあったが)を仕事にしたとしても、「仕事」の初期装備として、「つらい」「やりたくない」はもうどの仕事に就いても同じなんじゃないか。だからたとえば夢破れて会社員になったとしても、会社員がつらいんじゃなくて「仕事」がそもそもしんどいものだから、マンガ家になろうが、ミュージシャンになろうが、形は変わっても、つらいことは変わらない。だから憧れたりするのもやめた。
それでわたしは組手の試合は勝ち上がりのトーナメントで、早々に敗退して、他の人の試合を観ても楽しくないから、「参加賞」でもらったボールペンをいじったり(母は、このボールペンがいちばん書きやすい、と言っていた)、ウロウロ会場になっている体育館を歩いたりしていた。男子トイレの前を通ったとき、その当時の市長がトイレから出てくるのに出くわして、その顔が、何とも言えない、くたびれたおっさんの顔だった。オールバックにしていた。開会式で「来賓」として話をしていた。そのときの顔と、今目の前にいる顔は全然違っていた。地元の祭にも来ていた。何だか知らないが、大人は自分たちの権威や優位性を示すために政治家を呼んできた。もちろんその当時は小学生だから「権威」も「優位性」なんて言葉も知らなかったが、なんとなく肌で感じてはいた。みんな拍手をしていて、広場の中央に置かれた櫓の四隅から裸電球が連なっていて、オレンジ色にぼんやり照らしている中で、テントが張られた来賓席で、スーツ姿のおっさんが、きゅうりの一本漬けをしゃぶっていた。
人前ではニコニコしていても、ずっとニコニコしていられるはずがない。政治家としてはニコニコして、頭を下げているが、そんな「善人」の部分しかない人間なんていない。ある人が、
「あの人はもともと校長先生だったんだけど、店に行けば店員に当たる最悪の人間だった」
という話を聞いて、なるほどな、と思った。もちろん校長先生がみんながみんなそうだとは言っていないが、生徒、保護者、地域の人びとの前では「善人」「いい人」「子どもたちのお手本」でなければいけない「校長先生」という役職はものすごくシンドイ。だからといって店員さんに対して当たっていいとは思わないし、そういう連中はクソだけど、そういうことか、とは思った。
それで前置きが長くなったが、前置きというか前置きをだらだらしたかったんじゃないかと思うが、Fがどんな仕事をしているかというと、そういうエラい人(べつにエラくなくて、そういう役職ってだけだけどね)を乗せる車の運転手をしている。今、出先で、喫茶店で原稿用紙にこれを書いているけれど、青いインクのボールペンが、Fがエラい人を乗せる車の運転手をしているってところを書いていたらインクが切れてしまったので、しょうがないから、他に持っていたペンが赤いインクのボールペンしかなかったからそれでこの一文を書いているけれど、noteに投稿するときには跡形もなく、赤い字で書かれていることは消えてしまうから分からないけれど、店員さんに「あの人、赤いペンでビッシリ書いてる。こわーい」ってなりそうで、もう「このへんにしておきな」っていう神の啓示なんだろう、「啓示」と書くとわたしの中の石野卓球がすかさず、
「ニコラス・ケイジ」
と言ってくる。
西加奈子『くもをさがす』、この前同期で飲み会があって、そのときに、わたしがLINEのアカウントの背景を、西さんが黄色いだるまを頭の上に乗せてる写真がTwitterで流れてきてかわいかったからそれにしていたんだけど、同期が、
「あれだれなの?」
と訊いてきたので、
「西加奈子っていう小説家」
「本好きなの?」
「うん、好き」
なんとなく、誰かと本の話をするのは、なんていうか、どれぐらいアクセルを踏み込んでいいのか分からないから怖いんだけど、
「俺もさ本好きなんだけど、最近読んでないな」
とそいつは言っていて、今年入った同期なので、全体としては新卒の二十二歳、二十三歳が多いんだけど、わたしみたいにフリーターやってて今年入社、みたいな人はほとんどいない、だから浮いちゃうな、って思ってたんだけど、割と同い年とか年上の人も何人かいて、前職やってましたとか、演劇やってたけどもう三十近いからそろそろと思って、とか、バラエティーに富んでいて、その西加奈子の話をしたやつは同い年で、もともとはたしかアパレルか何かをしていたらしい。でもそれはまた違う人の経歴で、勘違いかもしれない。なんだっけな、事務職だったような気もしてきた。
「おもしろい?」
「おもしろい。最近『くもをさがす』って本が出たんだけどおもしろかった」
「小説?」
「それは小説じゃなくて、うーん、なんか、この人カナダに留学してたんだけど向こうでガンが見つかって、そのときのことを書いてる本」
「へぇ~」
「でもぜんぜん重くなくて、笑えるっていうか、おもしろい」
「『くもをさがす』ね」
「うん」
「読んでみようかな」
「うん。まだ出たばっかだから本屋にも平積みされてると思うよ」
「ほんと?」
思い出した。大学生のときに、生協の本屋には毎日のように通っていたので、買わなくても本棚を一時間くらいずっと眺めていたんだけど、
「すみません、ちょっといいですか?」
と話し掛けられた。男性だった。
「よくここには来られるんですか?」
「そうですね、本、好きなので」
「そうなんですね。
僕も本読みたいなぁとは思ってるんですけどなかなか集中力が続かなくて……」
そんな導入でけっこういろんなことを話した。その人は二個上だった。
「なにか、初心者におすすめの本とかってありますか?」
と訊かれたので、西加奈子の『円卓』をおすすめした。読みやすかったし、はじめて最後まで読めた本だったし、なによりおもしろかったからおすすめしたが、
「Amazonのレビュー見て決めますね。じゃ!」
と言ってその人は去っていって、だったら訊くなよ、と思った。
目の前にいる人よりも、Amazonのレビューの方が信用できるのか、でもたしかにその通りかもしれない。なんだろうねレビューって。どこの誰かも分からない人が書いているものなのになんだか信憑性がある。
「レビューいっぱいあると指名も多くなるんだよね」
とこの前行った風俗の人も言っていた。
「だってレビュー読んだでしょ?」
「読んだ」
「レビュー読んで決めたでしょ?」
「決めた」
「ガッカリした?」
「ガッカリしないよ」
その人はすごくいい人だった。昨日遅くまで他のお客さんとホテルで朝まで酒を飲んでて、
「二日酔い」
もう夜遅い時間だった。関西の人で、楽しくたくさん話してくれた。
「見て、この人。時間的にも誰が書いたか分かるんだけど、『普通にかわいかった』ってムカつくよね」
「『普通』って失礼だよね」
「どう? かわいい?」
「かわいい。普通に」
殴られた。
「『すごいかわいかった』ってこの下に書いて」
「分かった」
と言ったけどまだ書いてない。
『くもをさがす』の中に、バンクーバーの店員さんはなにか客からクレームが入っても謝らない。たとえば商品が不良品だったときも、持って行ったら、
「あっそうなの? じゃあ新しいのに交換する?」
とこんな感じだった。それは「ミスしたのは会社であって、私ではない」という気持ちがあるからだ。不良品を出したのは会社であって私ではない。だから私は謝らない。西さんはそれを批判しているのではなく、日本では自分のミスでないと分かっていてもとりあえず対応している人が謝る、それが「常識」というか、仕事とはそういうもんだと言われているし、研修でもわりと普通に言われている。でも考えてみるとヘンだ。この四月から就職していろいろ仕事しているけれどヘンなことはたくさんある。例を挙げられるほどひとつひとつの事例を覚えているわけではないけれど、そのときどきで、「これヘンだなあ」と思うことはあって、ここではそれが常識になっているけれど、たぶん新人のうちの方がそういうことに気がつける。何年も働いてしまうと内面化(自分でも進んでそれをやるようになる)して、おかしさに気が付けなくなる。麻痺するというか。
「だから最初のうちに感じた疑問は持ち続けてください。それが初心を忘れないってことのひとつなのかもしれないけれど、柿内正午さんが『会社員の哲学』にたしか書いていたけれど、
「社会人(会社員)が自分たちのしている仕事の滑稽さに気が付けると、社会(会社)はもっとマシなものになる」」
ヘンだなと思うことはたくさんあって、どんな仕事も「おままごと」だと思うから、「ごっこ遊び」だと思うから、自分たちがやっていることに正当性みたいなものを感じない方がいいというか、そんなものあとから決めたものなんだから、何かの拍子にひっくり返るよ、そんなものに人生ゆだねるのはあぶねぇーよ。
さすがにバンクーバーの店員さんのように、日本で、
「これは会社のミスであって私のミスではないので謝りません」
は実践できないけれど、そういう気持ちではいる。謝ってるけど、俺のせいではない。そもそもあなたは誰ですか? なんか真剣にわたしに怒ってくれちゃってるけど、縁もゆかりもないわたしにそんなにマンキンで怒ってるけど、どなたですか? あなたも「あなたどなたですか?」って思ってんじゃないの?
一度、
「私、他人になにかしてもらって『すみません』って言う人あんまり好きじゃないんだよね。『ありがとう』でいいじゃん」
と職場のWさんは言っていた。
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