2021/01/21(未明-p.260)


 自転車操業になりそうでならない。投稿の前日に「終わらないっ!」とヒーヒー言いながら、書いてる日はいまのところまだない。書けない日に書かなきゃいけないのって本当につらくて、誰にも見せない日記なら別になんでもいいと腹をくくれるんだけど、投稿しなきゃいけない文章はつらい。
「こんなつまらない文章を読ませてしまって申し訳ない」って気持ちになるわけではない。自分が退屈していることがつらい。

 日記に「自転車操業」もクソもあるか。日記は書き溜めておくものではない。毎日毎日書くものだ。「三日分の日記、もう書いちゃった♡」なんてのは語義矛盾じゃないか。矛盾してない。そういうつまらないこだわりを持っているからスランプになる。でも落合博満曰く、スランプと言っていいのは王さんと長嶋さんだけらしい。

 そういえば、母が先週から入院した。「そういえば」なんてカンタンに書き出すような話題ではなくて、我が家ではけっこう、どころかかなり大きな今年のニュースになってしまったけれど、母は看護師をしていて、患者さんの入浴の介助をしているときに滑って転んでしまって、坐骨を骨折した。はじめは入院しなくてもいいと先生に言われたらしいんだけど、家に帰ってきてもトイレに行くのも痛くてままならないし、入院させて頂くことにして、コロナがあるなか本当にありがたいことなんですが、全治3週間か1ヶ月のあいだお世話になることになった。

 母がしばらくいないので、今まで母に任せっきりにしていた仕事は自分でやらないといけない。それでも多少は家事はみんなで分担していたんだけど、とくに洗濯はほかの家族が手出しできないぐらいに母のリズムとかルールが母の中では明確に決まっていた。
 でもこう書いてみると、たとえば育児にかんしてとかもそうかもしれないけれど、男が、
「子育ては俺が手出しできないぐらい妻の中でリズムとかルールが定まっているから、ヘタに手伝えないんだよね」
 なんて言ったら、「はぁ~?」と言われるし、「洗濯はこちらが手出しできないくらいに母の中でリズムやルールが決まっている」と自分で書いて、
「はぁ~? なに言っちゃってんの? ただ単にいままで手伝ってこなかっただけでしょ? 良いように自己弁解するんじゃないよ」
 と自分で自分に思う。今は精米をしながらその横でポメラを開いてこの日記を書いている。

 風呂場の排水溝が昨日シャワーを浴びているときに詰まっていた。ひさしぶりに排水溝が詰まっているのを見た。ということは、今までは髪が詰まっていなかったのではなくて、母が定期的にそうじをしてくれていたということだ。


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