2020/12/27(未明-p.66)
昨日『未明の闘争』は読まなかった、かわりにというわけではないけれど『プルーストを読む生活』を読んだ。
ビシビシと線を引きながら文章を読み進めていく。このnoteに引用しよう、と線を引いた部分を今朝よみ返したんだけど、昨日読んだときはものすごく興奮していた一文なのに、今朝はそんなにビンビンこない。
夜になると本を読もうという気にならない。頭を使いたくないというか、お酒も飲んでるし、読書は頭を使う行為じゃなくて感動はもっと肉体に来るものだけど、夜に本を読んでも、ただ文字を指でなぞるように読んでいるだけで意味が入ってこない。書かれている言葉が日本語だから目で追うことは出来るけれど、何を言っているのか分からん! みたいなことになる。
今朝もそんな感じだ、朝の方が集中できるから朝のうちに『未明の闘争』を読んでしまおうと思ったんだけど、なんかあんまり意味が入ってこない。しょうがないから『プルースト~』を開いたけど、こっちも意味分かんない。しょうがないから書くしかない。
この文章はポメラという、キングジムからでている、テキスト入力専門の、小っちゃいパソコンみたいな機械を使って書いています。noteに投稿する1日の分量はポメラの液晶で表示できる1ページとちょっとぐらい。
ポメラは文章を書くことしか出来ません。でも文章を書くにはこいつがいちばんいいです。
家で書くときは原稿用紙、外で(喫茶店とか大学の構内)書くときはポメラ、電車のなかで書くときはiPhoneで書きます。
二階のこの場所で、わが友、マッキントッシュを前にしていると、気分も少しはましになる。(チャールズ・ブコウスキー、中川五郎(訳)『死をポケットに入れて』河出文庫、p.15)
ブコウスキーはマッキントッシュを「わが友」と呼ぶ。私にとってはこのポメラは「わが友」だ。
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