2021/11/28(1-p.54)


「はやく起きた朝は」をひさしぶりに見る。テレビ版「OVER THE SUN」、「はやく起きた朝は」の方が先にやっているから「OVER THE SUN」がポッドキャスト版の「はやく起きた朝は」なのかもしれない。モンベルの書道セットを貴理子さんが紹介していて、これを自分へのクリスマスプレゼントにしよう、と決める。
「上手に書こうとしなくていいから。下手なぐらいがちょうどいい」
 と言って和紙の厚めのハガキに「コーヒーが飲みたい」と書かれたのがステキで、思わず、
「わぁ~、ステキ」
 とテレビに向かって言ってしまう。
 両親が銀婚式で旅行に朝早くから行っているのだ、一度夜中の1時すぎに起きた。親が翌朝に備えてはやく寝たので自分もそれに合わせてというか、流されるようにして寝たんだけど、いつもの1時間か2時間早い時間で、ゆっくり布団の中で『会社員の哲学』が読めた。今日は朝から昨日読んでよかったところを大学ノートに筆写している。

規格化というのは結局のところ、管理の側の手間を省略する手段であって、誰もが目指すべき目的にはなり得ない、というのが僕の考えだ。
 SNSや各種アプリ、もっと言えば会社員なら一度は操作したことがあるであろうエクセルやパワポといったソフトウェアは、当然のようだがデジタルツールである。デジタルというのはそもそも規格にそって制作されるもので、設計から外れた操作はうまく動作しない。デジタルツールを使いこなすとき僕たちは、同程度デジタルツールに使われている。アナログな身体を持った僕たちは、デジタルツールをうまく使いこなすために自ら進んでデジタル化=規格化していく。それは必ずしも悪いことではないが、社内の年長者がいつまでたってもエクセルの上手い使い方を覚えてくれないことを「無能」と嘲笑したり苛立ったりするとき、僕たちは人間の規格化を無条件に受け入れてはいまいか一度自らに問い返してみるべきかもしれない。
(柿内正午『会社員の哲学』零貨店アカミミ、p.26)

 昨日の僕は、
「ほんとそう!」
 とメモしてる。
 養老孟司が「機械が人間に似てくる? ふざけんじゃねえよ。人間が機械に似てくんだよ。それで昔から機械に似た人間ってのはいて、それを『官僚』って呼んだんだよ」
 公務員は「お役所仕事」なんて言われて、とても機械に似てるなとは思う。戸籍ひとつ取るのにも何かひとつ忘れたらやり直しになる。その点柔軟性はない。パソコンと同じでまさに手続きの連続だ。誰かがパソコンのことを、たしか、
「利口なバカ」と言ったけれど、手続きをちゃんと踏まないと自分の思い描くものにならない。ルールが分かっている人からしたらこんなに便利なものはないし、ほんとに自由に作れる(ああ、もっと鮮やかに柿内さんみたいに論の立て方ができたらいいのに……)けど、ルールが分かんない人にとっては不便極まりない。自由に扱いたいなら本屋で解説書を買ってきたり、パソコン教室に通って習うしかない。使いこなせる人にとっては利口な代物だけど、使いこなせない人にとってはパソコンはバカに見える。
 役所は僕もあまり好きではない。うしろに権力をチラつかせていろいろ言ってくる感じとか、べつに言われたこともないし、窓口の人が高圧的に何かを言ってきたこともないんだけど、でもイメージとしてそんな感じがあって、教習所に通うのに住民票を取りに行かないといけなくて行ったときは嫌だった。
「提出先はどこですか?」
 と聞かれても、そんなのお前の知ったことか、なんで答えなきゃいけないんだ、でも答えないと進まないから、
「教習所」
 と答えた。オレの方がよっぽど高圧的で、無礼なやつだった。反省してる。でもなんか「役所」っていうところがなにか不快だった。それのひとつは、人間がいるのに機械的に見えることが理由のひとつだったのかもしれない。手続き手続きでまったく柔軟性がない(ように見える)ことが嫌だったのかもしれないけれど、最近思うのは、役所なんだからある意味機械的にやってもらわないといけない側面もあるよな、と考えるようになった。柔軟に対応されては困る。友達だからって土地を安く売ったり、大学作るのに審査をやさしくしたり、そういうのは困るわけで、友達だろうとなんだろうと、手続きをちゃんと踏んでもらわないと渡せません、って固さは必要なんじゃないか。養老孟司が例に出していた経験は、銀行で口座か何か作ろうとしていたのか、そのときに、窓口の人も相手が養老孟司であることは分かっているのに「本人確認書類を見せてください」と言われた。「窓口の人は僕が本人であることを分かっているのに免許書出せ、と言う。そのときの『本人』っていったいなんだろう、って考えました」と言っていたけど、そのバカバカしさというか、もっと柔軟になれよって気持ちも分かるんだけど、あれ? でも俺が言ってることって「規格化というのは結局のところ、管理の側の手間を省略する手段であって、誰もが目指すべき目的にはなりえない」んだから、管理側の意見か。うえ~、どうなんだ。「役所はバカにされても固くあるべきである」っていうのは、利用者/市民の意見なのか、窓口の意見なのか、どっちなんだ。

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