2021/07/26(ガープ-p.107)


私が左から入るのは、その方が買い物がしやすいからで、左から右への場合、物色する品目の流れはおおまかに言って、パン、乳製品、酒、肉、調味料類、魚、そして最後に青
果、という流れで、右から左の場合はこれが逆になる。多くのスーパーではふつう最初に野菜売り場があることが多く、となれば左派は邪道なのかもしれないが、野菜を最初にカゴに入れるとあとで牛乳とか酒とか重たいものを入れるとき野菜がつぶれないように積み直したりする必要があって、野菜や果物を最後にする方がよかった。
(滝口悠生『長い一日』講談社、p.193)
 それは井上によると、それら先輩の書のもっているすばらしさ、迫力に肉迫するために
は、彼は両刀使いのマネをしたり、下から書いたり、先輩たちの何倍もの大きなまるで化
物みたいな巨大なものを書き、はじめてその文字を見た人には、もしタイトルがついてい
なかったら、果してそれが漢字であるかどうかさえ分らない、黒いカタマリが精気いっぱ
いに紙の上に躍りあがっているというふうに思われるはずです。
 ですから先輩の書と較べると、まるで違うものになっているのです。同じ土俵で角力を
とっているようにさえ見えにくいと思います。
(小島信夫『月光・暮坂』「暮坂」講談社文芸文庫、p.225)
ぼくは知っていますが井上さんは、はじめ絵かきになろうとしたらしく、当時の絵もいろいろあって見たことがあります。鉄斎と見まがうようなものもかいていました。絵も字も上手にかける人が、絵らしくも書らしくもない書に専心し、何度も絶望に打ちひしがれぼくより一つ年下ですが割に早く亡くなりました。
(同上、p.226)
中学生の彼女は、二人の兄と父親に食ってかかった。いっていることには一理があった。そこに来ていない母親のいいたいことを、いっそう尖鋭に、しかもどこでおぽえてきたのか、理路整然としているのにおどろいた。息子が攻撃的にいうときもそうであった。どうしてそのように理路整然なのか、どうしてそのようにアタマがよいという気がしてくるのか、全く分らなかった。
(同上、p.231)
(…)はい、お疲れさま、と店主が言い、おじさんが立ち上がったときに、ソファのおばさんが読んでいた新聞はまだ二面ほどしか進んでいない。
(滝口悠生『長い一日』講談社、p.159)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?