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タイギゴ(17)

(17)
 そうだ、今日の日記を書きはじめてみて、今月のタイギゴをまだ書き始めていなかったことを思い出した。
 先月と今月で違うことといえば、休みの日に原稿を書いていると何度も日記とかいろんなところに書いているけれど、

もうその話いいよ、それしか自慢がないのかよ、なんか自慢してるみたいで嫌だよ?

 自慢じゃないんだけど、自慢かもしれない。自分では自慢じゃないと思っているんだけど、自慢だと仮定して、もし自慢だとしたら、まだ自慢しているようではダメね。いちいちうんこして、「いちいちうんこする」ってなんだ。
「おかあさん! うんちでた!」
 って自慢してるうちはモノホンではない。立派なうんちを平然と流したい。
 そのうち自慢しなくなる。そこからじゃないと話を始められない。
「僕のところにもね、エロスクラップ一冊作って『見てください!』って持ってくる若い人いるんだけどね、『うん。百冊いったらまた会おう』って言うんだ。怒らないよ。怒らないけど『百冊いったらまた会おう』って。そこで見える景色が違うから、って」
 みうらじゅんが言ってた話なんだけど、岸波龍さんが「本は四冊ぐらい作るとなんか分かってくる」と言っていたときに思い出していた。日記本は一冊作ってみたけれど分かんないというかね、何が分かんないのか分からないんだけど、手応えというかなんというか、それを分かったところで何があるのかも分からないんだけど、もうちょっと作らないと分からない。日記も長く続けないと分からない。このタイギゴも毎月投稿するのはたしか今年の二月から始めたから今回で九回目なんだけど、二〇回ぐらいやらないと分からない気がする。エロスクラップ一冊では分からない。

 なんか知らないけど、ジェーン・スーの、
「転職とセックスは最初は緊張するけど、回数やれば慣れてくる。」
 を何度も思い出してて、就活も俺四回目、四年目だから、かなり熟練感が出てきて、周りにはもちろん転職してすでに社会経験積んでる方もいるけど、ほとんどが大学生で、心の中で、いやあんま考えてない。「心の中で『就活失敗しても大丈夫だよ』って思ってる。」って書こうとしたけれどそんなこと全く思ってなかった。昨日の俺はかなりギラギラしてた。全員落ちればいいと思ってた。会場の空席を見て、ライバルは少なけりゃ少ない方がいい。空席はなんぼあってもいい。

 それで変わったことというと、原稿を、今は原稿用紙に手書きしているんだけど、今まではマス目に沿って一文字づつ書いていたんだけど、マス目関係なく、びっしり書くようになった。それが楽しい。
 小説も、原稿用紙に書いて、読んでほしい友達に原稿そのものを渡して読んでもらう方がいい。こうして活字にして全世界?に向けて投稿しておいてナンなんだけど、もっと内側に。
 カフカか。カフカは一晩中書いた原稿を翌朝妹のところに行って読み聞かせしてたらしい。保坂和志が小説的思考塾で「小説を書くのはものすごく個人的な行為だけど、書いた作品を読んでもらえる伴走者のような人は必要で、でもネットに上げたりしちゃいけない。ネットあげるとバカも含めて、分かってない奴からの意見も来るから」
 それで小島信夫が森喜朗に、
「受賞おめでとう。でも僕は君の作品は認めないからね」
 と言われて、森喜朗なんかに言われてもどうでもいいけど、でも小島さんは根に持ってて最後まで怒ってるんだよね、って話になった。
「だから、作品を否定しない人に見せればいい」
「自分の足で本屋さんに行って売り込みするんですよ」と言われたとき、あんまり自分がそれをやってるイメージが湧かなかった。もちろん本は売れたらすごく嬉しいんだけど、積極的に売っていこうって気持ちにはならなくて、欲しい方にお渡しするっていう、本当に狭いコミュニティーで充分というか、でもさっきの話じゃないけど、本を何冊も作ると、それこそ岸波さんも「何冊も作るとコミュニティーが広がる」と言っていて、広げたいけれど、能動的に広げなくてもいいかなぁ、広がったなら広がりたい、ふぃ〜〜。

『魔進戦隊キラメイジャー』というスーパー戦隊シリーズの作品があって、放送されていたのは二年前なんだけど、俺はキラメイジャーを毎日観ていて、とにかく、キラメイジャーからゼンカイジャー、そして今やっているドンブラザーズのぶっ飛び具合はすごく良くて、もう二年前の作品なので具体的なエピソードがどんなんだったかは覚えていないんだけど、「新しいな」「すごくいいな」と思ったのは、男の子の文化の中心に「キラキラしたおもちゃ」が生まれたことだった。
「キラキラ」は女の子のものだった。男の子のおもちゃにもキラキラしたものはあったけれど、中心ではなかった。あくまでも装飾品としてであった。キラメイジャーはモチーフも宝石で、二〇一二年に『仮面ライダーウィザード』という作品があって、それは変身するアイテムが指輪だった。私はウィザードは観たことはないけれど、観たらこれで論文も書けるかもしれない。大学でウィザードが紹介されていたときは、先生は「関連商品の売り上げの面では指輪というアイテムが男の子にはハマらなくて比較的悪かった」という話はしていた。でもそのときは売り上げの話しかしていなかったような気がするから、作品としては完成度が高かったし人気もあったのに、それに比べるとおもちゃはあんまりだった、ということだったのかもしれない。前は『未来戦隊タイムレンジャー』で論文が書きたいとかって思っていたけれどまだ書けてないけど、そのうち書きたいとは思ってる。
 キラメイジャーは、ナイーブな高校生がレッド、というのも良かった。でもこれは俺のステレオタイプな思い込みで、レッドは熱血漢で、男らしくて、心が熱くて、誰よりも強い、ってキャラクター像はもう、何年も前になくなっているはずだ。四十六年間通して、それぞれの色のキャラクター像が変化していったかも調べないといけないし、もう書いている人はどこかにいると思うけれど、長くやっている分、いろんな研究材料が出てくるに違いないし、同時代的に解釈したらものすごく面白くなるに違いない。
 そう、キラメイジャーのレッドはお絵かきが趣味なんです。これもすごくよくて、さっきの「キラキラ」と同じだけど、「お絵かき」も私が子どもとして戦隊モノを観ていた時代は、やっぱり女の子の文化だった。
 覚えているのは、小学校に入学して、揃えなきゃいけないものの中に「自由帳」があった。ほぼ最初の授業で、自由帳のいちばん最初のページに絵を描く授業があって、私はクリスマスツリーの絵を四月に描いた。私は、というか、小学校一年生のあいつ。彼。あの子。黒板の横にフェルト地で作ったクリスマスツリーみたいな飾り付けがあった。それを見て書いた。とくに描きたいものもなかったし、思いつかなかったし、ほかの子がどんな絵を描いていたかは知らないし、小さいときで今から考えるとすごいのは、いつの間にか同じクラスのみんなと友達になっていたことだ。今そんなことない。段階を踏まないと雑談できないし、友達になりたいって思ったら「友達になってください」って言わないとなれない。いつの間にか友達になってるとかない。見ていて同期とかすごくいいな、と思う。職場でタメ口で話せる相手がほしい。なんか偉そうな書き方かな。
 庄司浩平さんという、キラメイジャーで追加戦士をやっていた方が昨日noteを開設して、たまに短篇小説を書いて投稿します、と宣伝していた。
 鴻上尚司『「空気」を読んでも従わない』をこの前読んで、その中に、日本人にとっての「神」は世間で、外国人(本の中では一神教の世界観の人びと)の「神」は自分にとっての唯一無二の神だから、たとえば友達数人とご飯を食べに行ったとき私以外の人がラーメンを注文するとしても、「みんなラーメンだから私もラーメンにする」なんてことはしないで、生姜焼き定食が食べたければ生姜焼き定食にする。なぜなら私の神がそう言っているから。
 たぶん、もし、俺がその場では目上の立場だったり、先輩だったりして、後輩たちを連れてご飯(ランチのイメージ)を食べに行ったとき、
「俺はざるそばにしようかな」
 って言ったら、後輩も、
「じゃあ、僕たちもざるそばにします」
 って言ったら、ああ俺はまったく信用されていない、と思う。自分に対する後輩の評価が分かるし、僕たちはあなたとこれ以上仲を深めるつもりはありませんよ、今一緒にランチしているのも仕事の一環としてですよ、というか、もし後輩が俺と同じものを注文する場面に出くわしたら俺は反省しないといけない。
 逆の、俺が後輩として先輩とご飯行く、ってことの方が多いけど、人によっては、目上の人と同じものを注文しないなんて失礼だ、って思う人もいるだろうし、それはしょうがない。次誘われないかもしれないけれどしょうがない。マニュアルにはならないから、こうすればどこ行っても大丈夫ってものはないから、その都度、その人とオリジナルの関係を作るしかないから、だから、目上の人に敬語使う、年功序列、年上の人の方が偉いって決めておくと、新しくオリジナルの関係を作らなくていいからすごくラクなんだけど、好きな人とはオリジナルの関係を作りたい。
 庄司さんは世間に迎合してる感じが当時からなくて、たとえばTwitterで、ましてや今まさに子ども向けのヒーロー番組をやっている人が政治的なことを発信したり、社会のことを書いたりするのってリスキーで、普通の有名人だってちょっと色の付いたことを言ったりするとバーッと拡散して、影響力のある人がなんでそんなこと書くんだ、って、叩かれたり未だにしているけれど、庄司さんは一言だけ、
「選挙に行きましょう」
 って書いたの。キラメイジャーの放送は二〇二〇年で、たぶん東京都知事選挙のタイミングだったと思うけれど、かつてヒーローをやっていた人が発信するのと、今やっている人が発信するのは全然違うと思うから、そのとき「すげー!」って思った。
 世間ではこう言われているからこうしましょう、じゃなくて、自分がこう思うからこうします、って、簡単に言っちゃうと意志が感じられてかっこよかった。

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