『お金』は『お金』

今自分は友人Aに約49万円、友人Bに33万円貸している(無利息、契約書なし)。いま自分の貯金は大体115万円くらい。無職。その内の、33万円はもうあげようかと思った。
「あげるよ」と言った。貸したのは大体、1週間くらい前かな。
何故あげようかと思ったかと言うと、僕は両親が僕に色々お金をかけてくれたように、自分も誰かに対して気持ちだけで分け与えられる人になりたいなと思った。誰かを愛せらたらな、と思った。親から僕は、本当に愛されてる、と思ったから、
僕も誰かに対して、愛を渡せたらな、と思った。

あげるよ、と相手に伝えるまでに葛藤もした。
(本当にあげていいのか!?)と。
(自分のお金をわざわざ渡す事ないじゃないか!?)と。
(相手の自立を妨げる事にはならないか)と。

何度も、自問自答した。
(そもそも、貸すときも最初相手から頼んできたのではなく、困ってそうなのを見て自分が「貸そうか?」と提案した)

けど、直観がゆっている。
「本当に自分自身を想うなら、33万円のほうは、あげたほうがいい」と。

世の中には『不安』が渦巻いている。
もし、世の中の「不安」を嘆くなら、
自分がまず「不安」を手放さなきゃいけない。

もちろん自分が犠牲になるつもりもない。
強迫観念で「誰かに何かを与えなければ…」となっているのであれば、それは相手の為にも、自分の為にもならないと思う。

だが、自分の持っている「お金」が無くなったら、どうしよう!?「俺は俺のモンだっ!」って独占欲や不安ばかりに苛まれていたなら、人に愛で接せられるだろうか。

俺は、親から与えて貰ったすえに、自立を妨げられただろうか?
いや。そうは思わない。
逆に、両親から本当に愛されてきた、と思えるからこそ自分の道を強く信じられる。

そう、世の中の人が「自分の道を強く信じれない」のは愛されてない、と思うからだ。
だったら自分が誰かにとっての「愛」で在りたい。

家族のように、接したい。

結婚してるから、してないからとか関係ない
同性、異性だからとかも、関係ない

俺は人を愛したいんだ。

その関係性の上で、自分が与えられるモノがあれば、独占することなく分け与えたい。
自分の知識やモノすらも、無料で分かち合いたい。

分かち合う、とは全部を投げ出す事ではないと思う。

ただ感覚として200万円持っていたら、100万円くらいは分け与えても良いと思うし、
もし1億円持っていたら、9,000万円くらいは例えば10人に分け与えられるんじゃないかって。

自分の豊かさとは、自分の金銭・モノ・知識がどれだけ増えたかではなく、どれだけ人を「豊か」に出来たかで測りたい。
それはモノだけではなく、気持ち的にでもだ。
相手が感じている『不安』を少しでも減らせたら、とも思う。

それでも、今の自分の器では、為になれない相手もいるだろう。
だが、自分がもっともっと成長すれば、今その人の為になれなくとも、もっともっと広い範囲の人を愛せれるような自分になるだろう。

いま自分が感じている不安、それを手放していけばいくほど、近付ける人は増えていくだろう。

だから、まず今自分のうつわ、持ち物(知識)で豊かに出来る人を豊かにしたい。
それを徐々にしていけば、自分はどんどん成長していくと思う!

そして家族みたいな存在も増えていくと思う!
(もちろんその見返りを相手に求めてるワケではない、33万円をあげる、と言った相手にもその目的でそう言ったのではないのだから。むしろ既に家族のような存在と思ってる約49万円貸している相手には、貸すという心境から変わっていない)