現状で女性の『社会進出』は合理的でない

今現状の社会状況で女性らが「女性の社会進出」を訴えるのは、あまり合理的とは言えない。

例えば「俺は自分の好きなように商品を売って、自由にやっていきたいんだ!」という人は、あまり組織に勤めることは向いてないだろう。
起業したり、経営者になったり、個人の裁量が大きいベンチャー企業に就職したほうが合理的だろう。
その「自由にやって行きたい!」という概念が『悪い』と言ってるのではない。
ただ、一般的な縦社会の会社に勤めるに当たって「合理的」ではないという話だ。統率を取りたい会社側にとって不利益になりやすいだろうし、勤めてる側も自由を通せず悩んだり、お互いに良くないだろう。

これと同じ意味で、今の社会で女性の社会進出を唱えるのは、あまり合理的とは言えない。

偏見ではなく、一般的な事実として男性のほうが競争的・合理的な傾向が強く、女性のほうが共感性、感情を大事にする傾向がある。(もちろん、全員ではなく、同じでもない)

現在の社会では「お金」に重きを置き、一般的な『成功』の概念も【お金/地位/名誉】に置かれている。

その中では「合理性」「競争性」のほうが役に立つ。
だから、男性のほうがそれを仕切る企業や政治の世界の上層部にいるほうが、"能力的"に「合理的」であるのだ。

先ほどの例で、自由にやっていきたい人は「経営などが向いていて」、協調性を大事にしたい人は「組織のほうが向いている」というような例えのように、その人たちが目指す方向によって「合理的な」能力は変わってくる。

それが、良い悪いという判断ではなく、合理的か合理的じゃないかの判断だ。

あなたは東京にいて「沖縄に行きたい!」と言っているのに、東の方向に向かっていったら"合理的"ではないだろう。

つまり、今の社会状況で求められていること・向かっている方向では女性が大事にしている/または長けている共感性などの能力が合理的ではないから、社会進出していない要因が大きい。

もし社会が愛情的なことを大事にしたり、感情や一体性を活かす世の中に変わってきたのであれば、
女性の傾向として大事にしている能力が役に立つ時が来るだろう。
その時は、社会の目指す方向に「女性の能力が合理的」であるから、女性が社会進出する大きな機会であり、社会進出するべきだろう。

だからまず、女性の社会進出を求めている人たちのすべき事は、愛情や共感性を求める社会にしていくことが先決であると言える。
そうする為には、個人1人1人の意識として「不安」を無くしていく事が重要である。
お金がなければ、働かなければ、もっと上の地位に登りつめなくては、そういった不安をなくして行けば、社会の成功概念は「お金」ではない方向にいく。
私たちの成功概念が「世界に飢える人がいなくなれば」「誰も敗者にならなければ」「働かなくても、全ての人に最低限生きる権利は与える」という事になれば、
女性の社会進出は大きな意味を持つ。
そして、合理的である。

だから、大事なのは1人1人の意識まずは"自分自身"から不安を無くしていくのだ。
お金がなければ、健康を守らなければ、勝たなければ、そういった不安がなくなれば、
人が人に対する怒りや攻撃もなくなるだろう。

人が何かを攻撃するのは「不安」だからだ。
誰かに何かを奪われるという「不安」があるからだ。

例えば恋愛をしていても恋人を自分の所有物と思ったり、お金も物も自分の所有物だと思うから、それに対して奪われた・権利を取られた、と思い、怒りになる。

そういった「不安」を一つ一つずつ取り除いて行けば、世界から不安が減るだろう。

今回のコロナ・トイレットペーパー騒動のように、マスクが店頭から消えたり、転売の値段が高騰したり、それを批難する人がいたり、アジア人に対する暴力があったり、
するのだろう。

その人達は「不安」なのだ。何よりも「不安」なのだ。
不安な人たちには、与えてあげよう。
不安が収まるように。

あなたは子供を育てるとき不安で泣き出したら、ミルクを与えたり、オムツを替えたり、抱っこしたりしないかい?

その人達が「自立」できるように、世話をするだろう。

それと同じように、不安でしょうがない人たちには「与えること」がまず、大事だ、
与えられれば当座の不安は減るし、
不安を感じず与える人を見れば、「あ、自分も不安を感じなくてもいいんだ」と心で泣いてるのを、やめてくれるかもしれない。

そうして世界中の人が心で泣くのをやめれば(不安が鎮まれば)、軍事費に資源やお金を割く必要もなくなり、もっと有効的に、人が人を大切にする為の、役割を担えるようになるだろう。

本当の意味での社会貢献。
本当の意味でのコミュニケーション。

愛情ある社会。
孤独や、飢えを心配する人がいない社会。
誰も絶望する人がいない社会。
誰も嘘をつく必要がない社会。

そういう、愛で溢れる社会になるだろう。