官製ボートマッチ問題(一般論)
杉並区ではボートマッチの実施が発表され、後に撤回されました。ボートマッチとは、自身の考え方に近い候補者を知ることができるサービスのことです(投票マッチングサービス)。
杉並区の選管は、法的なリスクを認識していながら、議会に報告せず、次の議会選挙で強行しようとしました。この経緯についても相当に問題なのですが、そのことについては別の記事で詳述します。
ここでは一般論として、「なぜ官製ボートマッチが問題なのか」について説明いたします。
当記事の作成・編集は松浦たけあき政策会議室が担当しております。松浦たけあき本人が正式に公表した文書については令和5年杉並区第1回定例会議一般質問(2月14日)をご参照ください。
当記事は松浦たけあきが一般質問で行った5つの懸念のうち、導入経緯等に関する2つの懸念を除いた、後半3つの懸念について説明したものです。
官製ボートマッチは良い取り組み?
公的にボートマッチを導入するメリットとしては、手軽に自分と近い候補者を知ることができるため、選挙への関心を高めたり、投票率の向上につながるといったことが挙げられています。
それゆえ、杉並区のボートマッチ事業中止については、以下のような意見が散見されました。
新しい取り組みだったのに、自民党や総務省などの古い勢力につぶされてしまって残念だ。
もう少し順を追って、総務省などともコミュニケーションを取っていれば導入できたのに。
日本の公職選挙法がデジタル時代に合っていないので、こういう結果になってしまった。
今回は中止になったかもしれないけど、いつか実現してほしい。
結論から言えば、こうした考え方は議会政治の否定につながります。「何を大げさな」と思うかもしれませんが、私が一般質問で述べた3つの問題点について、もう一度説明させていただければと思います。
問題1:公平性
最初に質問の公平性の問題についてですが、質問はその方法によって答えを誘導することができます。これは実例を見た方が早いと思いますので、まずは香西秀信教授『論より詭弁』から引用させてください。
2004年4月、イラクに入った日本人3人が拉致され、実行犯の武装集団は人質解放の条件に自衛隊撤退を求めました。それを拒否した日本政府に対し、人質の家族は次のように言ったそうです。
ここでは政府対応の是非ではなく、上記の質問の構造を見ていただきたいのです。当然ながら、この質問に対して政府が「国家のメンツを守ること」とは答えにくいでしょう。
香西教授はこの質問が次のように言い換えられることも指摘しています。
この質問に「テロリストに屈すること」と答える人はほとんどいないはずです。以上のように,答えは質問によってある程度誘導できてしまうのです。
次は実際にあった世論調査の例です。
この書き方だと「立ち直ってほしくない」と答える人は少ないのではないでしょうか。
昨今話題となっているLGBT問題についてはどうでしょう。2つほど紹介します。
とある国際政治学者のつくった調査ですが、この質問は左派勢力から強い批判を浴びました。
一方、以下は自民党サイドから批判を受けた質問です。
自民党だと「いいえ」になるのですが、その最大の理由はLGBT平等法が野党案だったからです(自民党はLGBT理解増進法)。自民党が反LGBTであるかのような印象操作だという批判が起こりました。
「民間は偏っているかもしれないが、公的機関が行えば公平になるはずだ」,そう思ったかもしれません。しかし,以下は公的機関が行った世論調査です。
これも誘導的な質問です。事実、同時期に行った内閣府の調査では環境税賛成が20%だったのに対し、環境省が行った上記の調査では賛成が78%まで上昇しています。
公平な質問をつくることは難しい
私たち議員にとっては当たり前ですが、争点の設定はそれ自体が政治です。同様に、質問の設定はそれ自体が意見を形成します。したがって、厳密に公平なボートマッチというものはあり得ません。
より公平中立に近づけることは可能かもしれませんが、必ず質問者の主観が入り込む以上、完全に公平なものは作れないという謙虚な気持ちで臨むことが必要でしょう(ボートマッチ設計者自身「複数のボートマッチを使うのが望ましい」とコメントしています)。いずれにしても「自分たちは公平に作れるから問題ない」と断言するような杉並区の選管(選挙管理委員会)に任せることは間違いです。
こうした理由から、アンケートや調査票などにおける質問の作成は、それ自体がひとつの学術分野を形成するほど高度で専門的な知識が要求されます(社会調査統計学など)。しかし、選管の回答によれば、そのような専門人材は誰一人としてかかわっていないとのことでした。
そもそも、上記のような認識があれば、設問作成者を公募等で集めること自体に違和感があります(公募「等」であり、公募ではない委員が12名中5名)。
公的機関が実施することの問題
公平性における最大の問題は、ボートマッチを公的機関が行うということです。選管が行う以上、「候補者を公平に選定しているのか」を示さなければなりません。そうなると、集計データや配点構造など、すべてを透明化する必要があります。しかし、これが明るみになれば、とにかく自分が表示されやすいようにと逆算的に対策を立てる候補者が出始めるでしょう。後述する、ポピュリズムの加速の問題です。
一方、そうした問題を防ごうとすれば、ボートマッチの仕組みはブラックボックス化せざるを得ません。そうなると、仮に候補者の選定が公平に行われていなかったとしても、我々はそれを確かめることができないのです。つまり、公的機関がボートマッチを行えば、必ず以下のジレンマが発生します。
集計データや配点構造を透明化すれば、議員がそれを解析して点数至上選挙化する
解析と迎合を防止しようとすれば、選定基準などはブラックボックス化せざるを得ない
加えて、公的機関がボートマッチを行えば、住民は「行政サイドが公式に争点を発表した」と受け取るでしょう。事実、選管も区長もボートマッチの設問は区の総合計画に従属していると答えています。
さらに、行政の長である区長は公平でも中立でもありません。これは岸本現区長の政治思想云々という以前に、通常、どの区長も区議会選では候補者の応援に入ります。なお、岸本区長はボートマッチが導入されたとしても、区議会選で特定の候補を応援し続けると明言しています。
こんな状況で誰が公平だと思うのでしょうか。仮にこのまま実施されていれば、候補者からの批判噴出、選挙無効の訴訟、それに伴う多額の費用と、大きな混乱が生じていたはずです。
何を論ずるのか決めるのは議会
私たち議員は議論するものとして選ばれ、議論するために議場に集まります。その議会と独立した機関が議題を設定するというのは議会制民主主義の否定に他なりません。争点を整理し、それを論じるのは議会の重要な役割です。後にも述べますが、官製ボートマッチ推進論者は議会の役割についても、議会制民主主義についても、何ひとつ理解していないのです。
問題2:多様性
次に多様性とマイノリティに関する問題についてです。ある日、私が保健福祉委員ということで、障害者の方が訪ねてきました。その方は就職が決まったところだったのですが、国から就業の助成を受けるには、区からも就業の助成を受ける必要があり、その制度によって就職できない状況にあると相談しに来たのです。
ほとんどの方は「そんな問題があるのか」と思ったことでしょう。このような区民にほとんど認知されていない問題はボートマッチで扱われません。
マイノリティの排除
官製ボートマッチは「主要な争点を20に絞る」としていましたが、そこに障害者福祉は入らないでしょう。マジョリティ(健常者)にとっては関係ないからです。もちろん、障害者福祉を重要だと思っている人は多いと思いますが、「障害者福祉は重要だと思うか」という程度の質問ならば、大半の候補者はYes、また、大半の有権者もYesと答えるでしょうから、争点とならないことに変わりありません。
ボートマッチが導入されれば、候補者の目は質問項目にばかり集中します。争点の限定化は、その外にある政治的課題(障害者福祉など)に取り組もうとする候補者を不利にするのでしょう。
専門議員の評価
同様の理由で専門議員も不利になります。たとえば、自身の活動の大半を幼稚園・保育園の問題に傾けている区議は、その分野について優れた知見を持っており、行政サイドに丸め込まれることもありません。しかし、ボートマッチで知見の深さを判定することは不可能です。「保育と言えばこの区議」というような仕組みにはなっていません。
一方、当該議員は他の争点について、深く考えずに回答するかもしれません。しかし、その回答が多くの有権者と一致してしまう可能性があります。その場合、有権者は「自分と合っている」と思うかもしれませんが、当該議員は保育関連の政策に注力するため、有権者が望んだような政策は実行されません。このように、ボートマッチには専門議員の能力を誤認させるという重大な欠陥があります。
議会の意味を理解していない選管
ボートマッチが導入されれば、マイノリティ向けの政策や専門性の高い政策は影を潜め、凡庸で画一的な議員が量産さることとなるでしょう。この問題は行政も認めているのか、「ボートマッチがすべてではない」と苦しい言い訳をしております。
ボートマッチ導入の目的は投票率向上、つまり、それまで投票していなかった人が念頭に置かれていたはずです。そういう人たちのうち、いったいどのくらいが選挙公報などを読むというのでしょうか。周知徹底でどうにかなる話なら、ボートマッチなどなくても投票率は上がるのでは?
議会の意味を理解していない選管
そもそも、こうした問題を防ぐために議会が存在しているのです。今回の区長選で区長は17万票を獲得しましたが、杉並区議の当選ラインは2,000票とされています。言い換えれば、区長が多数民意を反映しているのに対し、区議は特殊な意見を代表しているのです。各議員の政治スタンス、専門分野、重点課題などが多種多様なのはそのためで、これがマイノリティの権利や専門的な知見を守る防波堤として機能しているのです。
ボートマッチについては自民党のみならず、立憲民主党や共産党からも否定的な意見が出ていました。議員であれば当然です。おそらく、行政と選管は、なぜ首長と議員の両方を選挙で選ぶのか、何のために議会があるのかを説明できないでしょう。彼らは二元代表制の仕組や意義について何も理解していないのです。
問題3:ポピュリズム懸念
最後にポピュリズムに対する懸念です。ボートマッチには政策の実現性を図れないという弱点があります。支持を得たい候補者は有権者個人にとって利益になる政策を並べるでしょう(福祉合戦など)。ボートマッチは政治のポピュリズム化に拍車をかけます。
マニフェスト選挙の再来
話を単純化するため、税金と福祉がトレードオフになっていると仮定します。このとき、
候補A:減税・福祉削減
候補B:増税・福祉拡張
候補C:減税・福祉拡張
という3人がいた場合、ボートマッチで有利になるのは候補Cです。候補Cの政策実現性がわからない以上、ボートマッチの質問設定などによってこれを解決することはできません。
2009年8月の衆院選(マニフェスト選挙)では、実現不可能な政策ばかりを掲げた民主党が大勝し、政権交代となりました。しかし、政策をほとんど実現できなかったことから、次の衆院選で大敗しています。流行語大賞となった「マニフェスト」も、その後ほとんど耳にすることはなくなりました。
官製ボートマッチはマニフェスト選挙とまったく同じ問題をはらんでいます。できもしない政策を並べるだけなら誰でもできるでしょう。
今回のボートマッチ導入断念を受け、一部メディアでは、
「これに反対する人は政策に自信のない人だ」
「一度やらせてみたらいい」
といった主張が展開されました。これらは全てマニフェスト選挙のときに言われた言説であることに注意してください。あのときの日本がどうなったのか、もう忘れてしまったのでしょうか。そういえば、当時マニフェスト選挙を煽ったのもマスメディアでしたね。
争点の単純化
もうひとつ、特に左派サイドから「争点を単純化した」と指摘・批判されるものに2005年9月の衆院選(小泉政権が郵政民営化の是非を問うた、いわゆる「郵政選挙」)があります。
実は、杉並区の岸本区長は熱心な再公営化論者で、自身の著書でも「安易な民営化」を批判しておりました。そのため、私は区長が郵政選挙についてどのような考え方を持っているのか尋ねました。
回答はこれだけです。論点すり替えも甚だしい。百歩譲って、その目的が違っていたとしても、「争点の単純化」という問題を抱えている以上、なぜ同じ結果にならないと言えるのでしょうか。彼女が言っているのは「小泉のは悪い単純化だが、杉並のは良い単純化だからOK」という話です。
ポピュリズムと議会不要論
実のところ、官製ボートマッチやマニフェスト選挙に賛成する者の大半は、ポピュリズムの問題を理解していません。そういう人に、
「政策をネットで選んでもらい、数の多いものを実現する制度に賛成ですか」
と聞いてみてください。おそらく賛成するでしょう。しかし、これこそ恐るべき行政集権化の発想なのです。
多数民意(ばらばらの私的な欲望の集合)を吸収し、それを粛々と執行するのがよい政治ならば、議会など必要ありません。決まった結論に対して議論することなど何もないからです(物言わぬ官僚機構さえあれば十分)。こうした社会では「行政機関」と「唯一の正義」がすべてを支配します。つまり、ポピュリズム、議会不要論、行政集権化はすべて同じ発想から来ています。
実際に杉並区の状況を見てみますと、
区長が唯一の正義を振りかざし(「気候正義」など)、それが議論によって変わったり、新たな正義が見つかったりするとは考えない(決まり切った結論)
ボートマッチについて、選管は議会からの批判にもかかわらず強行する姿勢を見せていたが、翌日に総務省から懸念が示されると即座に撤回する(議会軽視)
ボートマッチを区議会選挙から導入する予定だったにも関わらず、そのことが区議会に報告されない(各会派に対して事後説明、総務財政委員会への連絡はなし)
など、議会の役割を理解しているか疑わしい対応ばかりです。なお、これは共産党の公式イデオロギーである民主集中制と密接な関係があることも付け加えておきます。
ボートマッチが投票に影響を与えるようになれば、当選を目指す議員は多数民意におもねるようになり、議員でありながら議論を放棄するようになります。深い見識を持った政治家は淘汰され、単純で明快な回答を持ったパフォーマーばかりになるでしょう。行政集権化の完成です。
ボートマッチで投票率が上がるとしたら、それは便利で悩まなくていいからです。これは自由の放棄であり、恐るべき行政集権化の手段でもあります。悩まないとは考えないということ。考えない人は自由の中に利便性が得られないと、隷属の中にそれを見出そうとします。「若者のため」と言いながら、これほど若者をバカにした施策はありません。
おわりに
官製ボートマッチ導入における3つの問題点の背後には、いずれも「議会の否定」があります。今回、杉並区では導入が見送られましたが、それで終わりではありません。別の記事でも述べるよう、議会制民主主義に対する(特に行政サイドの)無理解が変わらなければ、今後も同じような施策が行われ続けるでしょう。
議会政治を守り、行政集権化(独裁)を防ぐため、是非皆様にもこのことを広めていただきたく思います。
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