ポリーニ逝く

「虫が知らせる」なんてあるのかな、と思っていたが、あったのだからびっくりである。

昨晩、アイロンをかけ始める際に「さて、今日は何を聴きながら。。。」と思案するうち、なぜか無性にポリーニのブラームスピアノ協奏曲第二番が聴きたくなった。何十年ぶりであったろうか、彼のブラームスの協奏曲第2番。

Youtubeで検索すると1987年のアバド指揮のものがヒットした。
やはりすごいなー、と何度もアイロンの手を止めつつ普段よりも長い時間をかけてアイロンを終えた。

Youtubeには関連ビデオも上がってくるのだが、これもまた何年ぶりかでポリーニのドキュメンタリーをそのまま見続けた。

そして今朝目覚めてみたらこの訃報である。「まじ?」というのが最初に出た言葉。

彼とよく並び称されるアルゲリッチは、一度だけは私も生でリサイタルを聴いた(というよりは、「聴けた」と言った方がいいが)ことがあるのだが(80年代、大阪フェスティバルホールでのドビュッシー他の演目)、ポリーニは、私に生の演奏を聞かせてくれることなく逝ってしまった。

じつは、私がまだ高校生だったときに、ポリーニによる東京でのベートーベンのソナタのリサイタルがあった。これも80年代。「学生のための公演」という特別に安価なリサイタルをしてくれる日があり、大阪に住んでいた私であったが、だめもとでその抽選による入場券に応募すると、なんと、当選ハガキが来たのである。

高校生でお小遣いもままならないゆえ両親に「東京までポリーニを聴きに行きたいから新幹線代が欲しい」と懇願したのだが、「今年は受験なんだからピアノは忘れなさい!」とあえなく却下。

私の中でポリーニは常にアルゲリッチと同じくらいソロを聴きに行きたいピアニストの一人。自分の自由でどこへでもコンサートを聴きに行ける甲斐性がまだなかった当時の私にとって、まさに「一期一会」のチャンスを掴むべくの当選通知だったのに、結局は後日のテレビ放映で我慢した。

そのテレビ放映で見たベートーベン。とにかく素晴らしかった。とりわけ個人的には告別ソナタの終楽章、左手のオクターブで第1主題が再現されてクレッシェンドしていくところで鳥肌どころか、まさに魂が揺さぶられるほどの高揚感をおぼえた。あの衝撃は今でも忘れられない。

今日は1日中ポリーニの音楽を聴いてお弔いをさせていただくことにする。




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