余計なことをする

してるんでしょ、不倫。

それは確信のある疑問だった。なにしろ僕は、昼の間じゅう自分の歩幅で歩くということがなかったから。トンボを捕まえようとする少年と、何も変わるところがなかったから。


してるんでしょ、不倫。

それは確信のある疑問だった。なにしろ僕は、今度作るクレジットカードについて、他の人とは違う色にしてくださいと頼むつもりでいたから。ホンモノと片仮名で書いてしまえば、本物でさえいくらか偽物に近づいてしまうのといっしょだ。


してるんでしょ、不倫。

それは確信のある疑問だった。なにしろ僕は、昔からロケットを助けたいと思っていて、そのために人生をめちゃくちゃにしてしまった。線形代数を歌にして理解しようとした頃、頭の中のロケットたちが思い思いの方向に飛んでいったことがある。その日、僕は初めてカリフラワーを買った。食べた記憶はない。あまり幸せでなかったのだろう。


してるんでしょ、不倫。

それはいくらか核心に迫る疑問だった。たしかに僕は喜ぶと何かを検索したがった。それは何でもよかった。昼であれば太陽でよかったし、食事中であれば水分で構わなかった。ひとたび肩甲骨はがしが生活に組み込まれると、肩甲骨はなかなか意識からはがれなくなった。これと同じことは歴史の教科書にいくらでも記載されている。


してるんでしょ、不倫。

それは確信のある疑問だった。なにしろ僕は、自分の出したヒントに納得がいかないと、答えを変えてしまうことが少なくなかった。オレンジジュースの声を聴いたことがある。薄く広くエコーがかかっていて、世界からはマイクが消えたというのに変だなと思った。生まれ変わったら何かの心臓になりたいと考えていた時期があったらしい。


してなかったの、不倫。

それはある意味で革新的な疑問だった。僕は答えるわけにいかない。なぜと言って今は、善悪の判断が上手くつけられないことを多少気に病んで、恐竜の図鑑をぼんやりと見て安心を得ている時間だからだ。大して空いているわけでもないのにぐうとなる身体とそれを紛らわすために行う咳払いとの間に、一体どんな線を引くことができるだろう。


してるんでしょ、不倫。

それは確信のある疑問だった。彼女は今日もログインボーナスを手に入れて帰る。これは比喩以前の何かであるが、そういう気になれないという意味で動かしがたい事実についてこう言っている。作業用スペースとされている場所全てを同じ大きさのオルガンに置き換えたら今そこに置かれている什器類が余ってしまうと考えることは、置き換えるということへの内在的な理解から目を背けることに他ならない。精神には、予約をしないと入れない店だったときに、その店の壁に自分の名前を彫って帰るための部分が必要である。


してるんでしょ、不倫。

それは確信のある疑問だった。なにしろ僕は、無理していることを悟られたくなくて、常に仮面をつけるようにしていた。無理をするときに仮面をつけ替えるようになってからは、悟られるということはなくなったと思う。ベロベロバーは赤ちゃんが唯一聞き取ることができない、いわゆる不完全言語というやつであるらしい。


してるんでしょ、不倫。

その確信は疑問に許容できる範囲を超えていた。なにしろ僕は、専門学校に通っていた時分、その手の話を聞かされたことがある。3歳上の彼は得意げだった。専門学校に通うということはおよそそういう経験と寝食を共にすることであり、専門学校を卒業する者の多くは資格や技能によって顔が大人だか子供だか分からなくなっている。子持ちの人妻は日常的に人間を持ち上げ抱えるから腕力がすごくて、瞬発力においては料理人の俺を超えることさえあると聞かされた。そうだ。子持ちの人妻は日常的に人間を持ち上げ抱えるから腕力がすごくて、瞬発力においては料理人のお前を超えることさえある。彼は入学してすぐの頃、いくら経験があるとはいえそんなところにまな板を渡して作業してはいけないと注意されていた。人間は玉ねぎのために注意を受けることがある。


してるんでしょ、不倫。

かくて、その疑問は確信となった。最初からそうであったのだろう。なにしろ僕は、不倫の経験を自慢する彼を見た。そのことは幾度となく話題にあげられた。全ての専門学生がそのような経験をしている。外に出るために靴を履くのと同じことだ。アルバイトをしていた居酒屋で、妻子持ちの料理長とアルバイトの女の子がそういう関係になっていたのをみんなで追いかけたことがある。最後には女の子の彼氏が店に殴り込みに来たらしい。そっちが来ることもあるのか。見たかった。彼は僕の高校の部活の後輩であったらしく、妹の同窓生でもあったらしい。そういう話はどこにでもある。きっと心が動いたりするんだろう。傷ついたり悲しんだりする人がいるんだと思う。良い思いをする人は多くないだろう。ただ、同時に、おもしろがっている人がたくさんいて、誰もがみんなの私小説を読みたいと思っているかもしれない。そんな私小説が、つまり不倫という一般的な事柄が、本当におもしろいかどうかは分からない。婚姻とは関係であるだろうし制度であるだろう。また、それら事実への幻想であるだろう。それは奇妙で、痛ましいところがある。不倫というものは、累積する債務と同じである。僕にはその経験もなければ何らかの行為も存在しない。ただ、不倫についてなにがしかを知っているのであれば、人はそこに確信を持つことがある。僕も、あなたも、あなたの不倫相手も。凡人に与えられる確信はくだらない、唾棄すべきことであるが、全てくだらないことが唾棄に値するということでもないだろう。計算を止めてはいけない。夢とは、眠りながら手を動かし続けることであったはずだ。僕の場合、悪夢さえ夢のままであり続けた。それが終わったのかいつまでも知らされていないが、最後までそうだった。


してるんでしょ、不倫。

一体あれは誰だったんだろう。なにしろ、確信を持った人の顔はどれも同じに見える。本当にどれも同じなのかもしれない。誰にそんなことを言われたのか思い出すことは難しいが、言われたことは確かである。確信とはこれである。確信を持った僕の顔は、何とも置き換えられず、仮面をつけ替えてもそこにぽっかりと浮かんだままでいる。何かの表紙になった気分で、そこここを歩き回る。変なかたちの木を見つけて、言ってはいけないようなことを言ってやりたくなる。夜になるといつも、年少さんだったときのことを思い出す。看板の文字を表に見えるようにする。重さはそれほどない。行列をなす面々の表情が明るくなる。それらは路上の電信柱と比べ、均一をほとんど欠いているように思える。してるんでしょ。不倫。してるんでしょ、不倫。


してるんでしょ、不倫。

それは確信のある疑問だった。なにしろ僕は、疑問から確信を切り離していたから。いかにも男が考えそうなことではある。求婚の際かぐや姫に「ノズルを付けた腕時計で大儲けしなさい」と言われた男は、ついにノズルと時計の別売りで財を成した。しかしそれでは、あなたのかぐや姫があなたを認めてくれるということから遠ざかってしまう。ノズルと腕時計を切り離してはいけない。腕時計にノズルを後付けしたみたいな言い方だったから、文句くらいは言っていいかもしれない。地下駐車場には一切の思想がない。それは、全員に意見がある会議とよく似ている。

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