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雨になるとなんとなく不調になる話(休日に限る)

梅雨が始まったらしい。

雨になるとなんとなく不調になってしまうようになってしまった。しかも休日に限り。

休日といっても平日勉強しきれなかったことを調べたり、読みたい(研修医向けの)本を読まないとみんなから遅れて”ヤバレジ”になってしまう、という焦りがある。やらなきゃいけないなぁ、と思って入るものの、体調が悪い、頭が痛い、眠い。勉強したくない。でも医師は知識不足が患者さんの不利益になってしまうので勉強しなければ、でもやりたくない、そんな風に思ってる自分は研修医失格、、、という自己嫌悪のループに陥る。


それにしても頭が痛い。今回のやつは動かないほうが楽だから偏頭痛の方らしい。

高校生の時は天気が崩れる度悩まされた。(その時は緊張性頭痛と過呼吸だった)そして何故だか大学生になったら治った。だから、大人になるとはそういうもんか、と思っていたのだが。

人間は体調が悪くなるとそれに原因を求めようとする生き物らしくて(実際救急外来で対応にあたっているとそういう風に原因が何かないか探そうとする患者さんは多い)私も例外ではなく、この体調不良の原因を探している。

考えられるのは仕事のストレス。

出勤している平日にはなんとかなるくらいなのだから休日は気が緩んで気怠さが入ってくる隙があるのだろう。

研修医として働くということはわりと好きなのだが(責任も殆どない中、果たしてそれは働いているのか、という問いかけに対しては異論を認める)

夜強制的に起きている当直(1日働いて、夜は当直、その次の日も働くという労働環境)がストレスなのだ。

あと体調が悪いと「今私がやっている仕事は本当に私が心から求めていることなのだろうか」とか思ってしまう。

冷静に文章に起こしてみると甘えてるなぁ。

わりと恵まれた家庭環境で育ったせいか、「働いてお金を稼がないと生きていけない」という切実な実感が殆どない。

当直に対しても「徹夜も仕事もなんのその、研修医として頑張るぞ」とかそういう気概がない。徹夜によって崩れた生活サイクルの心配ばっかりしているし、睡眠不足のせいか、今までほどの肌の輝きが無くなってきたことを憂いたりしている。

思考をもっとポジティブな方に向けて、「辛い気持ちの患者さんを明るくできるような医者になって、役に立とう」とか考えればいいのに、などとちゃんと眠れて元気な時は思っているのに

いざ当直明けになると超絶不機嫌な自分がいる。

その不機嫌の根底には身体的なしんどさよりも、「睡眠は規則正しく毎日6.7時間以上取らなければいけない」という固定観念にあるのではないかと思う。小さい頃からそういう風に教育されてきた。

でも、よくよく考えて見たら私達の祖先は原始人だった頃は夜寝ていて肉食動物が襲ってきたら起きて対応しなければいけなかったし

80年くらい前に起こっていた太平洋戦争下では夜空襲があったら起きて避難しなければならなかった。

それでも私達の祖先たちは生きてきたし、文明を発達させてきた。

つまり、必ずしも毎日決まった時間に寝て、決まった時間に起きる必要はないということだ。

それで疲れたら体調悪くなったり、眠くなったりして休んで、また元気になればいいだけの話だ。

なるほど、現在の体調不良は休息するためのきっかけだった訳だ。

そう考えると堂々と休んでいいような気がしてきた。


西加奈子のうつくしい人という小説に

いつもは美しいはずの海が黒く、暗くなっているのを主人公が見て「海にもダメな時があるんだから自分にダメな時があって当たり前だ」みたいなことに気づいて救われた、という場面があったけど

そいういうことなのだ。

ダメな時は誰だってダメなのだ。

そういう時は前に進むことは諦めて、好きなように休めばいいのだ。


勉強しないと遅れて行く、と焦っていたけれど

好きな漫画でも大人買いしてぐうたらしよう。

勉強をやりたくない壮大な言い訳以上。

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