見えないものの価値は?

ある知財勉強会で、講師(国際金融の専門家)からこんな話しを聴きました。

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日本人は見えない物(インタンジブルアセット=無形資産)は価値がないと思っている。
なぜなら経済的価値が不明だから。

これに対して、欧米人は価値が不明だからこそ、どうやったら
それを経済的価値に変えられないかを考えている。
そのための方策を知っていることがパワーとなる
極端に言えば価値がないものでも価値があるように魅せるために
何をすればよいかを考えている

今の時代は情報を握っているかかが非常に重要
だから金融システムとか、技術標準で自分たちに情報を集まってくる仕組みを
作ろうとする

日本の製造業は「よい物を安く提供する」のがよいと考えている
ドイツ人ですから、そんなことはあり得ず、
「よい物こそ高く提供すべき」「安いなら実はよいものではないのだ」
と考えている。

ただ、自分としては、日本も欧米と同じような考え方とする必要はない。
すなわち、無価値の物を価値があるかにみせて、高く売る必要はない。
しかし、よい物は正当な価格に売るべき。今はそれができていない。

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これをきいてなぜ、こうなったのかを考えてみました。

日本でも戦国武将や軍人は、情報の価値は知っていたはずです。
情報を如何に握るかで、少ない戦力でも勝てる、それくらい情報の価値を知っていたからです。

ただ、日本人はもともと勤勉なので、
汗水垂らして働くことはいいことで、
見えない物で商売することはよくないという
その方向の価値観が強くなっていったのかもしれません。

ただ、第2次大戦前は、日本でも上記のような考え方をする人はいたのだと思います。
でも、戦後教育で戦争アレルギーから、知らず知らずに、
そのような考え方をする人が減っていったのかもしれません。

知財活用を考えるには、
心の片隅にある罪悪感みたいなのを取っ払って、
情報を如何に経済的価値を生む物とするように考えることは
すばらしいことだ!という考えへの啓蒙活動をする必要があるかもしれません。


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