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一本の牛乳と松尾さん
「もうさあ、困っちゃうよね。チューハイ一本だよ?毎日買ってくんだよ?」
店員さんは、目をしょぼしょぼさせながら愚痴る。
「…まとめて買ってけばいいじゃん?」
うんうんと頷くだけの松尾さん。
どうやら、毎日チューハイを1本ずつ買いに来るお客さんのことを怪訝に思っているみたいだ。
たしかにスーパーの店員さんとしては、まとめて箱で買ってくれた方が良いのだろう。
「彼は暇なのかね…?」
…松尾さんは、その「彼」に、大いなるシンパシーを感じていた。
かく言う松尾さんも、カゴにはいつも牛乳一本とアイスクリームくらいしか入っていないからだ。
◆
松尾さんの自宅のはす向かいには、24時間営業のスーパーがある。
自宅での仕事が朝方までかかったとき、その日はスーパーに寄ってから寝床につく。
疲労困憊なはずなのに、なぜか、足が向いてしまう。
いつも深夜に働いている店員さんが
「お、これで終わり?それともこれから?」
と私の仕事のスケジュールを尋ね、
松尾さんが「これで終わりです」
と答えるのが決まりだ。
松尾さんは一人暮らしなので、このやり取りが、ちょっと嬉しい。
◆
その店員さんが店に立っていると、なぜかみんな立ち話をしてしまう。
そして、先客のだれかがレジで話に花を咲かせていると、買いたくもないお菓子コーナーで時間をつぶす。
去年、店員さんが理由があって1週間店に出なかったときには、「○○さんはどうしたの?」と心配する声が絶えなかったそうだ。
とはいえ残念なことに、
松尾さんは、生鮮食品は、駅の近くの大きなスーパーで買ってしまう。価格の安さには、どうしても抗えない。
それでもこの店で何か買いたくなってしまうのは、
牛乳やアイスクリームだけでもこの店で買うのは、
この店での会話が心地良いからだろう。
先に登場したあの人の、毎日一本のチューハイは、
たぶん、この人に会うためである。
◆
先週の月曜日、お昼の時間帯に、その店員さんがレジに立っていた。
おかしいな、と松尾さんは思った。店員さんは、「深夜の人」なのだ。
「残業ですか?」
その疑問は、一瞬にして解決した。
いつもは商品でいっぱいの棚はからっぽで、その代わりに段ボールがたくさん積まれている。
数人のスタッフが、忙しそうに品出しをしていた。
「もうほんと、いやになっちゃうよね〜」
目をいつも以上にしょぼしょぼさせる店員さん。
私も、夜勤明けで眠い目をしょぼしょぼさせながら言う。
「ほんと、大変ですね…。ありがとうございます…。」
「うん、ありがとう。じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
松尾さんは、大きな感謝の心とともに帰宅し、寝床についた。
◆
翌日。
松尾さんは冷蔵庫から牛乳を取り出して、残りが少ないことに気付いた。
あの店員さんに会いに行くがてら、買いに行こうかと思ったけど、、やっぱりやめた。
東京にも、大切にしたい場所や日常ができてしまったことに、松尾さんは気付いた。
はやく、はやく、牛乳一本とアイスクリームだけのためにスーパーに行ける日を、
待ち遠しく思う松尾さんである。