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人生の暮れ活~50過ぎてからの暮らし

「人生の暮れ活」
この言葉は、私の名付けた言葉です。
もしかしたら、他の誰かが既に思いついているかも知れません。
しかし、誰の助けも借りずにある日突然思い浮かんだ言葉というのは本当です。

「人生の暮れ活」
その意味は、「人生における黄昏どきの生き方や暮らし方を切り拓く活動」です。
もう少し詳しく申し上げると、人生の平均的時間(70~80年くらい)を時系列で3分割した最後の3番目のフェイズの暮らしを切り拓き、より愉しいものすることを目指す活動です。

バブル世代の私は、自分の現状を棚に上げて、この3番目のフェイズの暮らしを何となくこうイメージしてしまいます。こういうイメージが刷り込まれていると言い換えてよいかも知れません。

「学校卒業して就職して結婚して子供を無事に育て上げ、会社を定年まで勤めあげて貯蓄・退職金、年金を基に悠々自適に人生残りの時間を過ごす・・・」

今となれば、ある意味「妄想」に近いイメージになってますよねコレ・・・笑

どの部分が妄想かというと「悠々自適に」という箇所です。


なんで「悠々自適に」いかないのだろう?

金がないからか? それもある
金があったらエエんか? それは大事だ
じゃ、金があったら「悠々自適に」いけるやん? それも違う気がする
どう違うの? ホンマや。どう違うのだろう?うまく言えない


私の場合、2人の男の子をシングルファザーとして育てていて、2人が何とか独り立ちへ目途がついたころ、ふと我にかえって自分の暮らし以外のことを考え始めたときに、この問いを自覚しました。

しかし、この問いの答え(ひとつではない)は他人から与えられるものではないことは、おおよそ推測できます。
また、答えを探そうと試行錯誤しているうちに困ったことにぶち当たっても、世間は「それは自己責任です」という魔法の言葉で心や身体を「折り」にかかってくるのも推測できます。

しかし、この問いの答えを探し続ける勇気と行動は止めてはならないことも確信しています。
何百何千何万の答えを見つけ伝えることが、自分に残された時間のためにも、次の世代が何かを決めるときにも、必要なことだと確信しています。

人生の暮れ時は、まあまあやることあって忙しそうです。

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