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死者のギター

歳をとると持ち物が増えます。
私は増えています。
引っ越しのたびに「断捨離」の号令をかけて処分したつもりです。
それでも増えているんです。
たいがいは歳とってボケてしまい、捨てるのを忘れて溢れかえったモノです。

なぜだろう?と考えてみて気付いたことがありました。
捨てているのに増えていた持ち物には共通点があったのです。
それは自分の歩んできた人生において「つかずはなれず」な距離感を保ち続けている点です。
『疎遠なフェイスブックの「友達」』みたいに、切っちゃうと何かと具合悪いかも知れないな~と思ってしまうアノ感じです。

それでも「つかずはなれず」なら、ある期を境に処分してしまえばよいのですが、稀に「ついて来る」「寄ってきた」モノがあります。
今日は、そんなモノの話です。

グレコEG800というエレキギター

20歳くらいから持っているエレキギターがあります。
だいぶ前に亡くなった母親が当時女手ひとりで大手保険会社の営業をしながら私と妹を育ててくれていましてね。
営業先の会社の若い社員さんに、我が家にあったソファーをあげたところ、その人から「これくらいしかお礼出来るモノがない」とかで私の手元にやってきました。
グレコのEG800というギターです。
とは言え、そこからいきなりギターを始めることはありませんでした。ま、あるなら弾いてみようか?みたいな感じで、簡単なコードの曲を探しているうちにローリングストーンズの楽曲に惹かれるようになり、なんとなくバンドに入って色々レパートリーを増やしていくうちにアメリカのルーツ音楽に興味が移ってのめり込んでいきました。
しかし、バンド活動は自身やメンバーの結婚などを機に自然消滅、自身の離婚・シングルファザー生活を始めることになって以降は封印していました。
ギターやアンプは3,4本に増えていたのですけど、生活に困窮して処分、最後に残ったEG800だけは「なんとなく」手元に置いとくことにしました。
売っても二束三文にしかならないってのと、1本くらい持っておきたいという気持ちがあったからです。かつて自分がギター弾いてたっていう証みたいなものを手放したくなかったからかもしれません。

再び手にする時が

3,4年前のこと、歌手でボーカルの先生もしているラン友さんが、『教えている生徒さんの「発表会」的なライブをするので遊びに来てね~。』みたいなお誘いを受けて伺いました。
「松岡くん、ギター弾くんやったね。何弾く?」
ラン友さんの開口一番がコレ。
「はい???」
ライブを観に来たつもりが、やる羽目に。
断り続けるという選択肢もあったんですけど、それも大人げないな~と思い、ライブのサポートメンバーさんのギターを借りてその場にあった譜面の中から簡単なコードの曲を選んで弾き語りました。20年ぶりに人前で弾くギター。ブランクと緊張で当然ボロボロでした。
ただ、演奏を終えて少し時間が経ち、恥ずかしさが収まってきたあたりで、ほのぼのとした嬉しさというか心地よさが心に湧き上がってきました。
「カラオケよりオモロいやん。」
バンドをやっていた頃の面白さとも違う心地よさです。

ただし、他人のギターを借りて弾くのは別の意味で緊張しました。
傷つけたらどうしよう・・・とか、これはあまり気持ちの良いものではありません。

「次に何かするときは自分のギターで演ろう。」
というわけで、長らく部屋の片隅で眠っていたグレコのEG800に「起きて」もらうときがやって来ました。

家もギターも使っていないと腐っていく

ギターの入っているホコリを被ったソフトケースのジッパーを開いて、久しぶりにギターを出しました。
一見、昔と変わらない表情をしているように見えました。
ひとまず全体を拭き掃除して錆びついた弦を交換しました。
しかし、アンプにつなぐとガリ音がひどい。素人なりに接点復活剤でブラッシングしてみたものの完全には治りません。
しかも、おおよそ20年ぶりに手に取って引き始めた正直な感想は、

「お、重い。」

でした。
アンプ鳴らして大音量で弾くより、コードじゃかじゃか鳴らして歌うことの方が多いに違いないので、熟考の上でYairi(ヤイリ)のエレアコギターを購入しました。
10年ほど使い倒して20年も放置していたグレコのギターは、人の住まなくなった家同様に腐りつつあったようです。

これで良いのか?という思い

新しいエレアコギターを手に入れて、時おり弾いて歌うことが暮らしの一部に再び加わったことでメデタシメデタシ・・・なんですけど、やっぱり心のどこかに引っかかるモノが、ずっと残りましてね。

「グレポール(グレコEG800のこと)どないしよか? このままでエエんか?」

このままだと単なるガラクタになってしまう。
とはいえ、これから手に取る機会もあるのかないのか分からないぞ。
でも、それはこちら側の勝手な理由であって、ギターが悪いわけでも何でもないやないか。

考えた結果、このギターを修理することに決めました。
この先、誰が手にすることになったとしても使えるようにしておかなければ道具としての意味がない。
持ち主としてパートナーとして、道具に対して最低限の礼儀は果たしておくべきだ。

ということで、修理してもらうお店探しが始まりました。

Guitar works Roost さんにお願いする

修理してもらうお店は、知り合いもないのでネットで探すことにしました。
嘘でもWebデザインやってますので、こういうのを探すのは愉しかったです。皆さん色々Webサイト作って色々工夫凝らしてますからね~。

修理してもらう店は、神戸・元町にあるギターの修理工房「Guitar works Roost」さんに決めました。
決め手はWebサイト内の文章が、一貫して朴訥(ぼくとつ)としながらもオラオラ感がなかったことです。
問い合わせフォームから連絡を入れ、メールのやり取りを経てから店へ伺いました。
場所は、神戸のJR元町駅の東改札口を出て鯉川筋を北へのぼり、生田新道との交差点を西へ少し行ったところです。

修理箇所はフレット交換とネック修正、ピックアップ部の配線調整などなど、見積額は想定範囲内、仕上がりは見積期間含めて10日ほどでした。
引き取りに伺ったその足で、ラン友さん主催の「発表会」で試奏がてら1曲歌ってきました。

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Guitar works Roost 代表の内海さん。本当にお世話になりました!
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息を吹き返したグレコEG800
メリケン亭にて。なんか被らされたり呑まされたり、なすがままで夜が更けていった。

伝えるという仕事

こうして私の手にあるギターは、再び息を吹き返しました。
私が死んでもギターは残るということです。
かかった費用は、ギターの販売価格を思えば安くはない額だったかもしれません。
価値観しだいでは、同様のギターを新調するという選択肢もあったでしょう。
ただ、私はこのギターの何かしらを誰かに伝えたい。
かつてこのギターが行った場所、奏でた音、そしてこれから行く場所、奏でる音、音によって豊穣化されるその場にいる人々の暮らしのひと時。
このギターがそばにいたことで、そのひと時がいつでも手に入る状態であったことを。
そしてそのひと時は、いつだって「どんな時」になるか誰にも分からないってことを。

具体的に誰に伝えたいとか全然なく、なんとなく、なんでか知らんけど、程度の気持ちなんです。
ただ、その気持ちがとても強く湧き上がってきたので、ここに記録しておくことにしました。

Guitar works Roost さんのサイト https://guitarworksroost.com/ 

このギターを取り上げてくださったブログ記事 
https://guitarworksroost.com/blog/2598/



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