金儲けというレースに参加する辛さ|マツ式

こんにちは、マツと申します。

今回は金儲けというレースに参加する辛さについて話していきたいと思います。

まずあなたはお金儲けが好きですか?生活するにしろ、遊びに行くにしろお金の出費は付き纏いますよね。そういった生活環境にあることもあり、お金儲けが嫌いという人は少ないんじゃないかと思います。

ではそんなお金儲けが好きだ!という人に向けた、そのお金儲けが辛いレースに参加することになるのではないか?ということについてつらつらと話していきたいと思います。

お金儲けというレースには終わりがない

そもそもお金儲けというレースに終わりがあるんでしょうか?よく目にするお金儲けのゴールような名前にFIREという単語が使われたり、ここが目標地点ですよ?みたいな貯金1億円見たいな数字の提示があったり、いろんな仮ゴール設定があるように思います。

ではそんなポイントが本当のゴールになるんでしょうか?私はお金儲けが人生の目的だ!みたいな目がギラギラしている人に会って、私が話せる機会があるとこんな話をします。

  • お金を儲けて、使いきれないくらい稼いで、欲しいものをすべて手に入れたあとあなたは何をする?

結局のところ隣の芝生は青く見えるというのと一緒で、無いものねだりの範疇だと私は考えます。もちろん私自身はそんな誇れるようなお金を持ち合わせているつもりもないですし、FIREしたり貯金1億達成したような人でもありません。ただし、生活に不自由するようなことはまぁ無いし、やりたいと思うことは大体実現できると思っています。

結局のところお金儲けの終着点は誰も知らない

ネットニュースなどで長者番付みたいな情報が発表されることがありますが、そこに名前が載ることが人生の目標なんでしょうか?そこに名を連ねた人は幸せなんでしょうか?

結局のところ幸せを満たすための手段としてのお金というのが、私が考えるお金の役割になるんですが、誰もが羨むようなお金や財産を抱えることにどんな意味があるんでしょうか?もちろん数の中にはそういったところにアイデンティティを感じる人もいるでしょう。

私自身も先ほどお金儲けという単語に目をギラギラさせていた1人だったと自負しています。ただし、年齢を重ねるごとに人生経験を積み上げるごとに、昔自分がギラついていたポイントが正直くだらない目標だったのでは無いかと考えるようになりました。

もちろんお金は必要なアイテムではあるんだが

もちろん先ほど話した通り、生活するにしろ遊ぶにしろ必要になるのがお金です。ただし、それがお金の中心という考え方はいかがなものなのかということに気づいてきました。

他人が羨むような高級料理を毎食食べたり、誰も手にできないような高級住宅に住んでみたり、普通に働いていては手にできない高級車を乗り回したり、こう言ったことがあなたがやりたいことなんでしょうか?

やってみたいことには入るかもしれません。私も経験という意味では、そういった体験をしてみるのもいいことだとは思います。ただそれに常習的に身を置くことが自分がやりたいことなのか?と考えると甚だ疑問を覚えてしまいます。

最近の若い人はあまり物欲なんかがないというけども

私の生まれが昭和生まれになるんですが、令和生まれなのか平成生まれなのかわかりませんが、今時の若い人というのはあまり物欲がない人が多いんだとか。

数の中にはあれも欲しい、これも欲しいと考える人もいると思いますが、今の日本ではどこに行ってもいろんなものが手に入るようになってしまって、不足しているということを感じることが少なくなってきました。

私自身もネット通販を覚えてしまってから、あれもこれもネット通販という生活習慣が出来上がってしまって、地元のお店に実際に足を運んで商品を選んで買うということがほとんどなくなってしまいました。

身の回りで手に入らないものが、ほぼ数日でしかも店舗販売されているよりも安い値段で手に入る生活をしていると、何が欲しいかわからなくなることが多いです。それといつでも欲しいものが手に入る生活を続けていると、買い物しても何も楽しく感じなくなります。

お金も必要以上に持ち始めると、それ以上いるの?という感覚になる

人によっては、常に高級を目指す生活をしている人も見かけます。ただ私個人の経験としては、お金を必要以上に持ち始めると、欲しいと思えば大体すぐに手に入る状態になりますし、生活自体は十分満ち足りた生活をしているにもかかわらず、さらに稼がないといけないという謎のルールに支配されていたりします。

よく見かけるテレビやネットニュースやSNSなんかは、あなたの生活は今現在満たされていない状況なんですよ?という煽り文句が蔓延しているように思います。

不足しているという情報が本当なのか?あなた自身に必要なことなのか?

ネットやテレビ、SNSで見かけるあなたはこれくらい不足しています!という危機感を煽る情報が非常に多いと思います。

私自身の体験談を話すと、私の今の年齢が37歳です。その私が今気にしているのは次の内容です。

  • 老後の生活資金の準備

  • 投資資金の運用益と今後の資産推移

まだまだ若いと言われる37歳でありながら、今気になって気をつけていることが「老後の生活資金の準備」と老後の生活資金を満たすための投資の運用成績と今後の資産推移という状況です。若いと言われる状態でありながら、気になるのは自分がジジイになってからの生活の心配ばかりという悲しい現実です。

基本的に今の生活が人生の重要ポイントだと思います。それにもかかわらず、将来の不安や現時点での不足について備えなければという生活の比重の大きさ。

冷静に考えると周りにあてがわれた情報を自分のルールのように誤認して、今の生活の充実感すらも破綻させた生活パターンを歩んでいるようにも感じます。

あるに越したことはないお金だが

あるに越したことはないお金ではありますが、欲しいと思っているお金は本当に稼ぐ必要があるんでしょうか?

こんなことが言えるのも私が次の条件を満たしているからだとも思います。

  • 定職のおかげで、毎年だいたい一定の所得が存在する

  • 所得の支出のバランスが所得の方が多いことで、余裕資金を準備できる

  • 欲しいものの大半はいつでも買える状況

まず職についていることで、毎年だいたい一定の所得を得ることができています。現状はこのベースが安定感につながるように思います。家に例えるとこの一定の収入が家の土台を支える基礎の役割に思います。

また所得と支出のバランスが、所得の方が大きくなるように調整しており、余裕資金としての貯蓄が一定量生まれるように生活できています。これは不足を感じないという生活が、精神的な安定度に結びついていると思います。

最後に欲しいものは余裕資金や所得を使って、だいたいいつでも手に入る状況になっています。この状況は自分が不足していると感じることが全然ない状況になります。

ここまで話した3点がどこか1つでも欠けると途端に不安に気持ちがふれるように思います。老後の生活資金を気にするのもこの3つのポイントの全てが確定しておらず、不安に感じるからだと思います。

現状の生活で余裕がある人は

今現在、現状の生活でそこそこ余裕を感じれる人も数の中にはいるんではないでしょうか?

私自身もそんな中の一人かなと思います。こんな人はその生活の安定度さえキープできれば、過度にお金儲けに走り回る必要があるのか?と甚だ疑問に思えてしまいます。

足るを知るという言葉がありますが、今現状に余裕がある生活ができているというのであれば、それはあなた自身が今現在十分満たされている生活ができている証拠ではないでしょうか?

最後に

不安や不足を煽る情報が多い世の中において、現時点の自分の状況を把握することが結構重要なポイントになると思います。今回はお金儲けというレースに参加することの辛さを話してみました。

もちろんお金儲けが楽しくて仕方がないという人もいると思うので、一概にだめだ!というわけではないんですが、本当は満たされた生活や人生が歩めているにもかかわらず、今の自分ではダメだ!と思い込んでしまっている人も多いように感じて今回の投稿をまとめてみました。

この記事を通してでもいいので、現状で結構満足できる生活してるんだな!ということに気づく人が増えてくれると嬉しいです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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