スサノオの土地
店が中野から南阿佐ヶ谷に越して、一番近い神社がスサノオを祀ってある須賀神社ということで、ご挨拶に行かねばと思っていたのだけど、この連休に玉紀さんが「はじめてのアースダイバー」という企画で近隣の神社を巡るというので、秋分の日はそれにくっついていって、とても面白い思いをした。
朝イチでいきなり古代の関東地図を見せられた。関東はすごい勢いで海の底で、これで“日常”はどこかにふっとんだ。浅草も上野も神田も新橋も品川もみんな海の底だ。阿佐ヶ谷のあたりの武蔵野台地も海から太い枝が伸びるように、複雑で深いリアス式海岸みたいに海に侵食されている。切り立った崖のような土地の中で湧き水が出るところ、古代の人が住んだ形跡の古墳はそんなような場所に点在して、その付近に祀る神社は建立されていった。
「やまたのおろちは暴れ川で、やまとたけるは治水に成功した勇者という説があります」と玉紀さんの説明と手元にある古代地図の複雑で荒々しい水路の図がぴたりとはまる。水害で命も家も作物も食料も流される絶望の中で、自然という神を畏怖して祀る神社が建立される。スサノオはその暴れっぷりが有名な神様だけど、どんな暴風雨地震津波災害でどれほどすごい被害が出たのか、太陽が何日も隠れるほどの。
スサノオが祀られる須佐神社はこじんまりと清潔で気持ちの良い空間だった。縁がつながりこの土地に招き入れてもらえたことへの感謝を思い参拝する。隣接している成宗弁財天にもご挨拶。商売人としての参入なので、どちらかというと、生活水である湧き水を守るこちらの弁財天のほうが需要なのかもしれない。土地を耕す農民なら須賀神社が重要なのかもだけど。まあ細かいことはどうでもいい。そこから都立杉並高校の横を抜けて、尾崎熊野神社へ。ここはひとりだとちょっとたどり着けない感じの複雑な生活道路の奥の小さな神社で、こんなに近所でも、ひとりでは来れない、しかしとても気持ちの良い、まさにパワースポット!という感じの良い神社だった。“尾崎”という名称は、ここがかつて海に張り出す土地の先端だったということを示すそうで、慌てて古代地図をひっぱり出すと確かに突端部分だった。水が洗い流さないで人の営みが堆積されている土地…。ぞくりとする。10人ほどの参加者さんたちはみんななんとなく口数が少なく、しばらくシーンとしたまま、その場所に立ちつくす。境内には樹齢400年の松の大木があり、それもパワフルだった。
そこからコースには入っていなかったけれど、宝昌寺というお寺があり少し見学させてもらう。わが身の外側の自然の神を祀る神社と違って、人の精神の内面に徹底的に潜ることで心の安らぐ空間を見つける仏閣は、どなたかの知らないおうちのお庭にお邪魔するというような緊張感がある。お彼岸のお墓参りの檀家さんたちがみなさんにこやかに挨拶してくださり、ゆっくりお庭を堪能させてもらった。ご本尊は緩く開いた板戸の隙間からちらり。だけど季節によって順繰りに咲き誇るように、岩段などをうまく使って高低差を出して華やかな見栄えにしつらえた前庭が本当に素敵でご利益ありそうだった。広々掃き清め神様が自在に使えるようにする神社と、人の手を尽くして人の心を和ませる仏閣、年の締めくくりに煩悩を消す鐘をついて、年の初めに初もうでする気持ちは、うまい組み合わせだなあと思う。
それから一路、河川遊歩道に沿って、大宮八幡宮に移動する。時間が順調で成宗白山神社、松の木遺跡などにも寄り道。遊歩道の途中に魅力的な昭和の遊興施設が!うわー、ビール一杯飲みたいなあと後ろ髪ひかれつつ、先へ。団体行動はこれだけがつらい。
大宮八幡宮は、わたしの実家(20年位前から)があるので、初詣は20年来ここで、うちの息子たちの七五三もここだ。なので馴染みはあるはずなのに、玉紀さんの案内を聞くと、知らないことがたくさんあってびっくりした。それを聞いただけでも参加した甲斐があった。とにかくここでツアーは終了。解散して三々五々に散る。ひとりになったとたん、大宮八幡宮の近くのびっくり寿司に飛び込んでビール飲む、寿司つまむ、ホタテうまい!つぶ貝うまい!鯵うまい!昔は海がここらあたりまで食い込んでたんだぞ、ちきしょーめ!
玉紀さんに、発掘された土器片とかあるよと教えてもらった杉並区立郷土博物館に移動。途中の河川敷の運動場で子供たちがサッカーをやっていて、付き添いのサッカーママたち(数年前までわたしも同じところにいました)の間を抜けて、郷土博物館へ。ここの展示は20年間杉並で子育てしていたわたしには、面白すぎて辛すぎた。土器の展示からスタートして、杉並の歴史がたどれる。戦時中のあれこれの展示の中に、学校から家に配られた疎開の旅日程のプリントが目を引いた。集合時間集合場所、何時にどこに着くのか、こまごまとした持ち物の指定や注意事項、ほんの数年前まで、自分の子供たちも合宿や修学旅行で、こういうプリントで準備をして送り出した。戦火の都市から疎開の旅、紙の節約で小さな文字でたくさん書いてあるけれど、目的は疎開だけど、現在の親が子供たちを送り出すときのプリントと変わりなくて、胸が苦しくなった。なにかもっとこう…自分が子育てをしたときに、ああすればよかったこうすればの後悔と、今問題になっている憲法9条に絡むあれこれや、武器を輸出できるようにしてしまった法改正のことや、いろんなことがぐるっぐると胸の内側を巡る。
気を取り直して外へ。地図を見るとまっすぐ北に突っ切れば、店のある南阿佐ヶ谷にわりと簡単に戻れそうだということで歩き始める。
夏の終わりと秋の始まりのちょうど半分の日の秋晴れ。ビルの見えない広い空と豊かな緑の光景。歩き始めると自分の子供時代のことがやたら浮かぶ。母親が家を出た中学1年の夏はひとりで自転車で走り回っていたこと。写真での後記憶保管だけど、3歳のとき川越かどこかの花畑を姉と従妹姉妹の4人で歩いた。自分が子育てした時期の記憶を、自分が育てられたいた時期の記憶が凌駕していく。23区内とは思えないようなこの風景は、杉並区の15~6年前はどこにでも広がっていた。子育てした町の付近も1本脇道に入ると栗畑が広がっていたが、子供たちの進学に伴い、町を離れる頃は、住宅で少しずつ埋められいく途中だった。
時間と一緒に景色は変わる。どのような地表で入れ替わり立ち代り、生きていく。交代に。
それから足を動かすと地層が自分の足裏にずぼりとくっついてくるような感覚がしばらくあった。ずぼり、ずぼり 地層を抜いて埋め戻すように前に進む。駅前が近くなり。人のにぎわいの中を歩くと、行きかう人が何重にも重なって見える。今、生きている人と以前は生きていた人とこれから生きていく人と、少しずつずれながら重なって生きている。
小さな子供がパトロール中の警官に「がんばってくださーい」と手を振った。警官はすぐにそれに気が付いて手を振り返した。スサノオを祀り、湧き水を守り、墓に花を手向け先祖とつながる。どのような時代も死ぬまで生きる。ひとりで歩いて、ひとりでビール飲んだあとに、自分が産んだ子を守りたかったと思い、自分が産んでいない子も守りたかったと、みんな思ってきたことを思う。
店に戻り、今日の1日はなんだったのか、世界の仕組みを解説した経典をカード形式にしたカードを引く。プラサーダ:世界からの贈り物 すべての出来事を世界からの贈り物としてうれしく受けとれ。喜びの出来事はそのまま喜んで、哀しい出来事は自分のした結果がそこにあるだけなので、後悔する暇に“今”を、未来のために使え。そうすると世界は喜びに満ちる、というカードだった。
自宅に帰って、こんこんと眠った。12時間は寝た。同居している高校生が死んだと思って、心配してのぞきにきたらしいが、死んではいない。ただ寝ていた。起きたら、異常に元気になっていた。ここまでぐっすりとにかく体を動かすのはいい。それとビールも。普段4~5時間かそこらしか寝ずに働いて、頭ばっかり使い、心配ばかりしていた。そして15年くらい前からの子どもたちとの生活をやり直したいと悔んだりしていた。世界が自分が認知できる範囲のものでしかないと、無意味なことに感情や時間を使う。知らないことを教えてもらって、知らない場所をたくさん歩いて、知っている場所も再発見して、ビールとホタテが美味しいという自分の位置を、縦軸横軸で認識する。
スサノオ効果としては、猛烈に片づけと掃除がしたくなった。自分の生きている痕跡を、自分の足跡くらいまでタイトに削りたい。そしてわたしの命はもっと暴れたいのかも、と思った。
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