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誰でも本は作れるという場所

 今年の春から子どものアトリエ(創作教室のようなところ)にボランティアに通っています。

 原画展や個展を開催すると「ワークショップや、子どもを対象にしたイベントをしませんか?」というご提案をときどきいただきます。やってみたい気持ちはありつつ、「でも経験も知識もないから・・・」といつも尻込みしていました。そもそも私は人前に立つのも、人の輪の中心になるのも苦手なので、その上に経験もなければ、よりどころが何ひとつ無いわけです。何か場を作る仕事を体験してみたいな・・・とぼんやりと思っていたところに、ボランティア募集の情報を見つけて応募したのでした。

 まだ初めてから数ヶ月ですが、こういうことが大変なんだな、とか、こういうことが出来ちゃうんだな、という経験を少しずつ積み上げています。そうすると、頭の隅っこの方にひっそりとあった「場を作ってみたい」という気持ちがむくむくと膨らんできました。

 「場を作る」で言えば、何度か「内気な詩の会」という会を開催しています。これは私が提案して開いている場です。
 詩や言葉が好きで、誰かと共有したり、誰かの好きな言葉について話したりしたい!(ただし小声で)という方のための会、つまりこれは私のための会でもあります。
 今まで3回開いていますが、どの会もそれぞれ違って、とても楽しいです。私は進行役として一応存在しているけれど、ほとんどの場合は「合いの手を入れる人」という感じで「聞き手」です。その時その時で集まってくださった方々の言葉を聞いて、じーんとしたり、ほほう!と唸ったり、キュンとしたり。参加者さんの言葉や、その場の空気を受け止めているお皿のような感覚でいます。そして「お皿」でいることが私の気質のような気がします。

 さて、少しだけ経験を得て、今また何か場を作るとしたらなんだろう?と考えたとき、やっぱり本のことが頭に浮かびます。誰でも本は作れる、という場所を作ることはできないだろうか、と。
 作家を目指さなくてもいいし、お金を稼いだり、売り込んだりしなくていい、見せたくなければ人に見せなくてもいい。自分の箱庭を作るように、本を作る。

自分だけの宝箱

 私は「絵本作家」として活動していますが、本を作ること自体はセルフカウンセリング的だと感じています。自分の中にあるモヤモヤ、名前のつかない感情、理由のない哀しさ、どうしようもない愛しさ、そういうものを本にすることで、自分自身が救われています。自分を救おうとして作っているものが、時折誰かの心に届くことがあって、そうなってくれるととても嬉しい。

 だから、作家になろうとしなくても、例えば好きな詩を数篇まとめるだけでも、自分にとっての秘密の宝物みたいな本が作れないだろうか、と思うのです。それがその人にとって、良きものになるかもしれない。

 これはまだぼんやりとした妄想の段階。その時が来たらちゃんと現実になるように、今はもう少し経験を重ねていこうと思っています。

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