ショートストーリー・エコー写真
家に帰ると、ソファーに深く腰を下ろして、ため息をついた。
今日は疲れた。
カバンの中から、封筒を取り出す。
病院を出るとき、医者が渡してきたものだ。
「一応……いらないようだったら、こちらで処分しておきます。」
一瞬、捨ててもらおうと思ったが、とりあえず貰っておかないといけないような気もしたので、貰っておいた。
封筒の中にはエコー写真が入っていた。
エコー写真にはまだ人の形を成す前の豆粒のようなものが写っている。
(これが私の中にいたんだ…)
なにか、とても不思議な気持ちになった。どこかまだ現実感がなく、気持ちもフワフワしていた。
つい2時間前、私は病院で子どもを堕ろした。
手術費は17万円。早めに妊娠が分かったので、そんなに費用はかからなかった。
これが3ヶ月を過ぎて、赤ちゃんの形が少しハッキリしてくると費用も手術の負担も増えるらしい。
6ヶ月を過ぎると、もう日本の法律では堕ろすことができなくなる。完全に豆粒のようなそれは人の形になっているから。
手術費用は私が全額払った。
というより心当たりの男が多すぎて、正直誰の子どもなのかいまいち分からなかった。それほどに最近の私の性生活は乱れていたのだ。
合コンで会った商社の男、ナンパされたホストまがいの男、出会い系で知り合った大学生、クラブで気が合った黒人…数えたらきりがない。
連絡先を交換していない男もいたし、1人1人問い詰めて揉めるのも面倒臭いため、堕胎の同意書だけ優しい男友達にサインしてもらい、子どもを堕ろした。
OLの安月給だが貯金もあったので費用はなんとかなった。
正直あまり罪悪感は生まれなかった。
手術もあっさり終わったし、その写真に写っている小さな豆粒のようなものが、どうしても赤ちゃんには思えなかったのだ。
手術をする前はもっとなにか背負っていかなければいけないものかと思っていたが、その気持ちもあまり湧いてこなかった。
自分勝手だが、男がいつも自慰行為などで大量に殺している精子が、少し大きくなったものだと思うことにした。
そうすると少しだけ疲れていた心はすっと軽くなった。
写真は捨てようと思ったが、なんとなくそこまではできずにタンスの奥にしまった。
こんなことなら写真は貰わなければよかったと思った。
これからは少し男遊びは控えよう。
そして、避妊だけはキチンとしよう。
そう心に決めて、そのままソファの上で眠りに落ちた。
1ヶ月後、それは何の変哲もない日だった。
衣替えの季節になり、家の中を掃除してたときだ。
タンスの奥からふと封筒が出てきた。
1ヶ月の間にすっかり存在を忘れていた。エコー写真だ。
(あれ?)
なんの気なしに写真に目をやると、少し違和感を覚えた。
エコー写真に写っていた豆粒のようなもの…
それが少し大きくなっている気がするのだ。
前より頭の形がくっきりしているし、豆粒よりは大きくなっている。
いや、でもきっと見間違いだろう。
あの日は疲れていて、何か見間違えたんだ。
最初からこの写真は、こうだったのだ。
そう自分に言い聞かせて、写真をタンスの奥へ戻した。
しかし、1か月後。それは更に大きくなっていた。
家でぼーっとしているときに、ふと写真のことが気になり、見てみた。
すると。それはより大きくなっていたのだ。
誰かのたちの悪いイタズラか。
いや、ここ最近人を家にあげていない。
ましてやタンスの奥のエコー写真を入れ替えることに何の意味があるのだろう。
なにかの間違いだ。
そう言い聞かせるしかなかった。
そこからというもの、写真の中の赤ちゃんはどんどん成長を続けた。
もちろん、自分のお腹の大きさは変わらない。
しかし、写真の赤ちゃんは日に日に大きくなり、人の形が出来上がっていくのだ。
気味が悪く、何度も写真を捨てようとしたが、捨てた方が何か良くないことがおこる気がして捨てられなかった。
写真の中の赤ちゃんがもう見間違いでは説明がつかないくらい大きくなってきたとき、写真をお祓いに持って行くことにした。
近くにある有名なお寺だ。
写真を見ると、神主さんは青ざめた顔をした。
「これは、呪いですね。赤ちゃんは産まれようとしている。」
神主さんはそう言うと、丁寧にお祓いをした後、その写真を燃やして、念仏を唱えた。
お祓いを終えた後も、私の不安は完全には拭いきれなかった。
写真はもうないのだが、まだなにか私の中にいる気がするのだ。
気にしすぎかもしれないが、時折つわりのような症状も出る。
燃やしてなければあの写真は今頃どうなっているのか、そのことばかりを考えてしまう。
時が流れ、中絶していなければ、そろそろ赤ちゃんが生まれていた時ぐらいだろうか。
仕事中、急に今まで味わったことのない激痛に襲われた。
立っていることも座っていることもできず、その場で崩れ落ちた。
会社の同僚や上司が私の元へ駆けつける…
「産まれる…」
お腹も大きくない私が不思議なことを言うものだから、さぞ周りは戸惑っただろう。
波のような激痛、耳元では赤ちゃんの産声がこだました。
そして薄れゆく意識の中、私は確かに見たのだ。
私の足元から、血まみれで、こちらを睨む……肌の黒い赤ちゃんを…
(クラブのときの子だったのか…)
私はそのまま意識を失った。
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