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お伽話だっていいじゃない

今期観ているドラマに『にじいろカルテ』があります。観るきっかけになった動機は、少し不純で、藤井風さんがエンディング曲を担当されると知ったからです。そしてこれは不純ではない理由で脚本を岡田惠和さんが書かれているからです。『ちゅらさん』に嵌った私にとって、
岡田さんが書かれるドラマは癒しの系譜、心から笑顔になれて温かい涙を流させてくれる貴重なものなのです。

前置きが長くなりましたが、ドラマ自体について書くのではなく、ちょいと捨て置けない事がありまして書くことにしました。

とあるライターの方が、視聴率ワースト5ぐらいかな?について書かれていました。その中に『にじいろカルテ』もありました。発進は良かったけれど順々に視聴率が落ちている、その理由は「一見ほのぼのとしたドラマに見えて、実はまるでお伽話、現実味の無さに視聴者がついて来れなくなったのでは」という事でした。
確かに岡田さんの書かれるお話はそうと取れる事があります。しかし…何故お伽話では駄目なのでしょうね、という所がよくわからない評価と思いました。

人は今、そんなに現実を望んでいるのか…。不景気、コロナ禍、天変地異の連続継続に疲れていると、ネットやテレビの真実は見え隠れしてしまい、より過激な偶像を真実と重ねてしまうのかも知れないのです。そして発言までも過激になっています。そんな世の中にお伽話は刺激が無さすぎると言っている様な気がしました。

何故お伽話じゃいけないの?
お伽話でいいじゃない。心に優しい風を吹かせる、そんなお話があっていいじゃない。そんな思いが湧いてきて、何だか悲しかったり虚しくなりました。もしかして、実はそんなに心の癒しは欲しくないのでしょうか、癒しより刺激、なのでしょうか。いや、私はそうは思わない。
いろいろあっていいと思うのです。決めつける事は恐い事です。それが罷り通る世の中も。

現実ならもっと他のもので見せて欲しいです。
だから、お伽話でいいじゃない、そう言い続けていたいと思います。

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