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冷たい雨が降ればいい

心が不安な毎日が続いてる。心の平穏って何なんだろうと物心がついた頃から模索していると思う私。いつも心がわさわさと揺れていてそれは年々酷くなる。

父が亡くなり通夜、葬式と慌しく終えた夜、家族3人で昔話を始めた事があった。父の影を偲ぶというか、話はいろんな方面に広がって、ただただ穏やかな時間が流れた。そんな中で、幼稚園に入る前の私の事を兄が語り出した。
「お前ー、ひょうきんで可愛い子だったよ。」唐突に何を言う、と思った。可愛くは決してないので、まぁ、付け加えてくれたのかなと受け流したけど、自分がひょうきんと思われていた事に驚いた。
しかし、確かによく笑ってたよな、と思い出した。遊ぶのが楽しかった。テレビが好きだった。それが子供なのに段々と堅物な人間になっていくという分岐点だった。

子供の頃から中耳炎を患う事が多く(それだけ風邪をひきやすいという事)、幼稚園児の時が最悪だった。聴力が極端に落ちたのがこの頃だった。自分では何も気付かなかったが、ある日テレビを見ていてタレントが話した事が面白くて復唱したら、家族3人に大爆笑された。私には何が起こったのか分からなかったから、全然笑えなくて逆に不安や怒りに囚われた。訳の分からない日本語なのか何やらを面白そうに言った私が馬鹿になったと思ったそうだ。そして大笑いした。私は恥ずかしかったし辛かった。一緒に笑えない性格が既に形成されていた。
以来、このすぐ考え込んだり内面で怒ったりでも語らず周りに合わせたりして、それがまた自分を落ち込ませるという悪循環人間のまま年を重ねてしまっている。本当に馬鹿だ。勿体ない悲しい人生の過ごし方をしてきて、もうそんなに長くないので取り返せもできないんだなと思っている。せめて許されるなら、残りは穏やかでいたいとは願っているけれど、どうだろう。


火星生まれは戦いの星の子と言われ、気が強く、喧嘩っ早い子だと言われ続けたりもした。火星は悪くないのにといつも思っていた。悪いのは私だけなんだろう、何でも同じにしないでと。

こんな風にいつも拒絶したり、否定したりが私の考えの基本みたい。正しく読み取ってもらえた事がなくて、子供の頃はそれを言い返してしまい喧嘩になった。大人になったら喧嘩は良くないと思い、口を噤んでしまう。そうすると病気が悪くなる繰り返し。自死すら考えたりする。だめだ、いけないよと自分を諌める事がまだ出来るだけ、明日を夢見られている。また崩れるのにね。

体が熱く感じるととても気分が落ち着かないから、またいろんな事を思い出してしまうから、冷たい何かに頼ってしまう。
優しい雨が好きだったのに、今は冷やしてくれる雨が好きだ。お洋服は洗えばいい、ただただ雨に落ち着きを取り戻す。そんな時間が好き。良かった時を少しだけ思い出せたりするし。あとちょっと、片付くまでは頑張ろうと心を強くできるし。微笑んでしまえるし。

だから毎日待っている。冷たい雨を待っている。冷たい雨の中歩ける日を。そうして自分の安らぎを得られる事を。
冷たい雨が降ればいい。
時々でいい、
心を柔らかくしたいんだ。
みんなに優しくなれるように。

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