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盛れない毎日だけど、うどん、美味い

noteを書いて数日後にそれを見ると、うわあああああってなっちゃう。消したくなっちゃう。
何言ってんだこいつ、ってなってしまう。だから、下書きは溜まってゆく一方なのだけど、その何言ってんだこいつ、の部分も含めて投稿したら良いのでは?と思ったのでその手法で一度やってみたいと思います。


数日前に書いたやつ↓

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「本当に思ってることをネット上に書こう」なんて、そもそもが間違っていたなと思った。

そんな書きたいなら日記に書けばいいですやんというお話で。そうなの。日記なら文章がへんだとかこれは自分の思ってることかなんて気にせず書いているのだ。そんな自分の思ってることかどうかなんてどうでもいいのだ。書きたいから書いているだけなのだ。吐き出したいから吐き出しているだけなのだ。

noteに書く、ということは。
ネット上にそれを書く、ということは。
「どこかの誰かにこれ言いたい!」と思っているのだ。

私は、TwitterをROM専で使っている。(ROM専って言葉、もしかして死語…?)
フォローしているのは好きな芸能人やイラストレーターさんなどなど。
フォロワーは、5人中1人はリアルな友達、あとはフォロワー稼ぎ?でフォローされてるっぽい人だけである。
そんなTwitterには、趣味のことをごく稀につぶやいたりする。
そしてたまに「頭痛い」とかつぶやいたりする。
「頭痛い」は、自分一人だけで味わうのが辛いからというのと、たまに検索で「頭痛 低気圧」とかで調べて同じ人がいて気持ちが楽になるから自分もつぶやいている。

別に、私具合悪いですアピールしたいわけではない。
ただ、なんかわからんけどどこかの誰かに私も同じだよ〜って言いたい、もしくは私辛いとわかってほしい、という感じかなぁ。(つまり私具合悪いですアピールでは…?)

noteを書く理由も、そうかもしれない。
どこの誰かはわからないけど、自分と同じような考えをしている人がもしいたら、自分の思っていることを一部でも「わかる」って思う人がいたら、面白いな、嬉しいな、と思う。
だから、自分の思ったことをこうしてネット上に書きたいんだな、と思った。


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何言ってんじゃーい!
別に「noteやりたい!」と思ったからやる、それだけで良いんじゃない?その中に「認められたい」っていう承認欲求があっても良いんじゃない?芸人さんだって、最初は「モテたい」から始まって、そのうちに「お客さんに笑ってもらいたい」という気持ちが出てきたりする。なんで最初から "真っ当な理由" が必要なの?…うーむ…ちゃんとした理由が必要だと思うのは、前からだなぁ。これは呪いのせいだということはわかっている。


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(数日前に書いたやつ続↓)

ここでいきなりですが、noteのつぶやきという機能を使った私のああこれ恥ずかしいなと思ったエピソードを書きたいと思います。

こちらの投稿。
つぶやきという機能を使ってみたかった、というのもあるけど、そもそもあのとき、お昼に食べたうどんを撮影したら部屋にいい感じに光がさしていてめちゃくちゃ美味しそうに撮れて(実際美味しかったよ!)

(↑そのうどん)


つまり盛れたので、「これ自分撮ったら盛れるのでは!」と思ってパシャパシャ顔が全部写らない角度から撮ってみた。(盛れる、とは思ったけどすっぴんだったので顔面を撮るつもりはなし)
いい感じの写真が撮れたので、それを誰かに自慢したい!と思って
「そういえばnoteのつぶやきって機能があったな。これは使える!」と思った。しかしそのつぶやきには「あくまでつぶやきを使ってみたかった、この写真と文はおまけ」みたいな感じで投稿したけど、
"盛れた写真を誰かに見て欲しかった"
というのが恥ずかしいけれど本音。恥ずかし!!

本当はこのつぶやきの投稿を消したかった私ですが、こうして本当のことを書くことにより、消せない状況を作る。


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ここで下書きは終了していました。
そうやって、自分は本当はこう思ってました!って言えるの大事だよね。
SNSは切り取りの文化で、その裏にはいろいろあるんだなぁってことをわかっていないと本当に嫌になっちゃうからね。
文章を書くときも、「私はかっこつけたいと思っている」ことをわかった上で書きたいなぁってことを最近よく考えています。笑
ズバッとなにかを言いたい、何か刺さることを言いたい、でも自分にはそのような技術も才能もない。だからしくしくとなんてことない文章を書くのだ、松森よ。いろんなことはあとからついてくるのだ、松森よ。

一向に日常のことを書かない私ですが、書きたい気持ちは山ほどあります。

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