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ジャニーズ学総論〜花畑が与える影響力と沼の育成について〜

知ってる人も知らない人もこんにちは。マツコと申します。(デラックスじゃないよ!)

突然だが私はあの某J事務所が音楽的意味でも顔面的意味でもすきである。

元々、私はロックやクラブなどがすきなどこにでもいるライブ好きの一般庶民であったのだが、ひょんなことをきっかけに彼等と出会ってしまった。

そして彼等のことを知れば知るほど奥が深くとても興味深いジャンルであると感じるようになり、
また自身のヲタ気質・研究体質も相まって最初は眺めているだけだったはずが、気づけば抜け出せなくなるくらいどんどん深みにはまっていく現象(本コラムではこのような現象を底なし沼にはまっていく様に例え以下、沼と表記する)に巻き込まれていたのである。

はまった身であるからこそよくわかるが、このジャンルはとても特殊かつ不思議なジャンルである。

ゆえに今も昔も数多くの人々がその魅力にとりつかれ、気がつくとゆっくりとその身を沼に投じ、少しずつ人生を狂わされ何かを失いながらも人々は嬉々としてその沼に入水していくのではないだろうか。

本コラムではなぜ人々はジャニーズに魅せられ、またどのようにして抜け出せなくなっていくのかという過程を私の経験をもとに以下の4つにわけ考察していく。


はじめの注意書きとして、これから記す事はあくまでも考え方の一つとして捉えてほしい事、
また私の完全なる趣味で書いているものであり実在の事務所や特定の人物を批判・中傷するために書いている訳ではないという点を理解した上で、ブラックユーモアかつ想像力(妄想力)豊かなイチジャニヲタのしがない考察としてお読み頂けると幸いである。


第1章:ジャニーズ学概論〜アイドル界におけるジャニーズの位置づけ〜


1.アイドルとヲタクにおける世間的偏見

アイドルとは自身のそのかわいらしいフェイスを用いて歌やダンス、時には舞台やドラマなどで、トキメキや萌える原動力を提供し私たちに生きる希望を与えてくれる庶民に与えられた数少ない娯楽のうちの一つである。

彼等・彼女らにおいてテレビや雑誌・ラジオなど様々なメディアを通し、誰もが人生の中で意図せずとも一度はそのジャンルの人達の存在について触れた事があるだろう。
彼等・彼女らはいつだって私たちに勇気と希望を与えながら、少しずつしかし確実に財力を奪っていくちょっぴりお茶目な天使なのである。このちゃっかりさんめ!

しかし、久保ミツロウ先生の漫画で映画にもなった「モテキ」の劇中にて素子はアイドルを次のように言った。


「弱ってる時に聞くアイドルソングは、麻薬よ!」


ぐうもっともである。
かく言う私も同じ手口で引っかかっているゆえ本当にぐうの音もでない。まじその通りです素子さん。

よく考えてみてほしい。
自分なんてもうだめだと自暴自棄になっていたり、絶望感に打ちひしがれている時にうっかりあんなキラキラかわいらしい生物たちに全力で背中を押されてごらんなさい。イチコロである。優しくされるとすぐすきになるのまじやめたい。


それはさておき、一般的に「麻薬」というとどのようなイメージを持つだろうか。

麻薬は大体の人が「興味本位」「軽い気持ち」で手を出し始める事が多い。また中毒性が強く、一度はまるとなかなか抜け出せない。麻薬を使っている時はこの世のものとは思えないほど楽しい気分になり大変気持ちよくなる。
そして効果が切れ出すと禁断症状が現れ、また同量では満足したらず更なる快楽を求め徐々に徐々に量を増量していく。
何度更生しようと試みてもなかなか断ち切る事は難しく、一旦は抜けたように見えてもしばらくするとまたすぐ手を出し、出戻ってしまう者も多い。


なるほど確かにアイドルに魅せられている状態と酷似している。


恐らく世間一般的にみたアイドル及びアイドルヲタク(以下、ドルヲタとする)の認識も本家麻薬パイセンとの凶暴さのそれと違いこそあれど、
このような「はまると危ないもの」もしくは「危ない人がはまっているもの」という認識を持っている人が多いのではないだろうか。


しかし、麻薬はそのような危ない使用用途以外で合法的かつ人を助けるために使用できる唯一の場所がある。

そう、病院である。

癌性疼痛などで痛みに苦しんでいる終末期患者に対し、苦痛を緩和するためにモルヒネやフェンタニルなどの麻薬を使用し疼痛コントロールを図る事は臨床ではよくあることである。
癌性疼痛の痛みはとても強力であり耐え難く本当につらい。既存の鎮痛剤では苦痛を取り除く事は難しく麻薬を使用するというケースは珍しい事ではない。

このように危険な印象ばかりが先行し、偏見的側面だけを上からなぞって本質をわかったつもりでいる人が多いが、
見方を変え、また用法用量を正しく使用すれば(勿論一歩間違えば危険なものであるという事実には変わりはないが)、必ずしもそういった側面だけではない事、また今まで知り得なかった事を知る事でそのもの自体の本質についてまた違った見解が見えてくる。


私も今まで生きてきた中で生きている意味を見出せなくなった時や、様々な事が重なりどうしようもなく行き詰まって苦しいと感じる時があった。きっと誰しもそのような時期を経験した事があるだろう。
どこまで続くかわからない真っ暗なトンネルの中を見えない重圧に押し潰されそうになりながら歩く事は本当に息ができなくなるくらいつらく、歩く事を放棄したくなる。

そんな時に人は様々なものに助けられる。家族、友人、恋人、映画、本、音楽。
このバンドのあの曲に助けられた、あのライブで人生が変わったなど人それぞれのヒストリーがあると思うが、それが私にとって音楽の中の「アイドル」だったのである。

私はあのとき彼等の音楽に助けられていなければ今こうしてコラムなど書いてはいなかっただろう。
大袈裟だと笑われるかもしれないが、それくらい苦しみの渦の中にいた当時の私にとって、彼等は大きな「光」だったのである。

劇中で素子は皮肉を込めてこの台詞を吐いているのだが、そういった視点からみると

「弱っている時に聞くアイドルソングは、麻薬よ!」

という言葉もまた違った意味に感じられないだろうか。


「ドラッグ=麻薬」でもあるが、「ドラッグ=薬」である事にも間違いないのだから。


きっとこれを読んでいる人たちの中にも多かれ少なかれそれぞれ一人一人のアイドル観があると思う。それがどのような印象のものであるかはわからない。
もしかしたらいい印象のものかもしれないし、悪い印象のものかもしれない。

私もこの沼にはまるまではアイドル及びドルヲタに対しての認識はあまりいいものではなく、私がすきなロックなどの音楽とは相容れない異なる次元のものという認識が強くあった。

しかし一度沼に入水しいろんな角度から彼等を眺めてみると、知れば知るほど音楽性の幅広さ、各グループの特性・楽曲のクオリティの高さ、またその奥深さに驚いた。

私は知ろうともせず表面だけを眺め勝手な先入観で彼等を見ていたんだなと気づいたのである。

もし本コラムをきっかけに少し見方を変え、ジャニーズのみならずアイドルをちょっと違う視点から聞いてみようかなという気持ちになって頂ければ幸いである。


2.日本における男性アイドルグループのシェア

先の項目で世間がもつアイドルやドルヲタに対する一般的な印象について述べたが、では日本にはどのようなアイドルがいるだろうか。


日本には様々なアイドルグループがいる。
女性アイドルはAKBグループ、ももクロちゃんをはじめとするスタダグループ、モー娘。を筆頭にしたハロプログループなどなど日本全国地下地上問わずアイドルは数多く存在する。

しかしその一方、日本の男性アイドルグループはほぼジャニーズの一強である。

EXILEグループやK-POP、V系などなど男性グループが全く活躍していない訳ではない。
しかし、「日本の男性アイドルグループ」という位置づけで見ると、ジャニーズのそれと対抗できうる存在というのは全くと言っていいほど存在しない。もはや独占といってもいいだろう。
そう、日本の男性アイドル事情はこの事務所が国内シェアぶっちぎりでNo.1なのである。まじジャニーズすごすぎィ!

これは男性アイドルならではの特殊性かつジャニーズグループの幅広さがあるからこそできる業なのではないかと私は考察する。

女性アイドルの魅力はそのかわいらしさ・可憐さ・美しさなどなど挙げればキリがないが、いずれも「若さ」という大きな武器があるからこそより輝く。

勿論BBAを叩きたい訳ではなく(私も年齢的にBBAに差し掛かってきているのでまじ人の事言えない)、大体の女性アイドルは年をとるとアイドル→女優・タレントになるケースが多い。
つまり年齢を重ねると女性アイドルは自身をアイドルと名乗らなくなるのである。

しかし男性アイドルはどうだろうか。
彼等も勿論年をとる。しかしSMAPや嵐など15周年25周年を越えても尚、日本の国民的「アイドル」グループとして活躍を続けている。彼等はずっとアイドルなのである。それはなぜか。


英語のことわざでこのようなものがある。

Age is like fine wine….it gets better with time.

年齢は美味しいワインみたいなもの。時と共に美味しくなる。


そう、ワインは熟成すればするほど味に渋みや深みをだし味わい深くなる。
年を重ねるごとによってまた新しい味に気づきいつまでも楽しめる。よって鮮度も大切な要素であるがそれを越えた先でも継続して楽しめる魔法がかけられているのである。


また世の女性は年齢や若さにとても敏感である。
ある一定の年齢を通り過ぎると「もう若くないから…」「私ももうBBAになった…」と自分の年齢や衰えに悲嘆する日がくるだろう。

ジャニーズでは数多くのグループが存在しする。下はジャニーズJr.からデビュー組ではsexy zone〜上はSMAPまで幅広い年齢層のグループが在籍している。

勿論彼等も年をとるようにファンも年をとる。しかし、彼女たちが彼等を見るときには好きになった当時の「少女」に戻ったり、同じシンパシーを感じれば長い付き合いの「友達」のようだと思ったり、トキメキを感じれば「彼女」のように錯覚したり、若い子を見れば母性がくすぐられ「お姉さん」のように暖かく見守ったり。

つまり男性アイドルは私たち女性の永遠のテーマ「年齢」という枠組みを取り払い、実年齢に関係なく、また事務所に所属するアイドルグループの幅広さを持って私たち女性に女性だから感じられる様々な気持ちの変化をもたらしているのである。

彼等の前では私たちは「少女」であり「友達」であり「彼女」であり「お姉さん」にもなれるのである。

ゆえに私たちはいつだって彼等に魅せられ、連続性を持って彼等を追いかけることにより私たちは年齢を忘れ、
またそのような大きくなった少女たちによって彼等アイドルをいつまでもアイドルたらしめているのではないだろうか。

だからこそいつの時代もジャニーズはそのグループの幅広さ・多様さから日本の男性アイドルグループの頂点に君臨し続け、
またこれからも光り続ける限り、私たち沼の深みもまた増し続けていく事だろうと私は考察する。


と、思いのほか第1章の時点で考察が長くなってしまったため、ここで一旦終了とする。
このようにひとつアイドルの中のジャニーズととってもなかなか奥が深く、ひとつひとつ考察していくとこれがまたなかなか大変に興味深い。
と思っているのは私だけかもしれないが、これからも彼等の沼にはまりながら私なりの考察を続けていきたいと考える。


次回、第2章:いつの間に沼に?〜忍び寄る沼の恐怖と花畑の実態〜へ続く。