無題

最近、私の知っている人が一人の女優さんにより告発されました。

私も過去に性的・精神的被害を受けたことがある人でした。

当時は私なりの考えのもと沈黙を選びましたが、彼女の記事を読み、何時間もの間涙と震えが止まりませんでした。

彼女への罪悪感と共に、その文章にとても救われた自分がいました。

当時の苦しんでいた自分が、「おかしいのは貴女じゃないよ」「苦しく感じてたのはおかしくな事じゃないよ」と肯定してもらえたような気がしました。

そして、その人の行いが表沙汰になる事で、当時沈黙を選んだ自分があれから感じ続けていた罪悪感から解放されたような気がしました。

彼女の記事に対する感謝のメッセージを送ると、沈黙により更に酷い被害を招いてしまった私に対して、とても優しく親身で丁寧なお言葉を返してくださりました。

彼女の為に何かできないかと私なりに考えまして、複数の人間からの証言があれば彼女の記事の信憑性が高まり、何かあった時に彼女を守る事に繋がるだろうと思い、この文章を書くことを決心しました。

この文章を本当に出す意味があるのか、出すことで傷つける人や悲しませる人もいる事や、大好きな演劇に悪いイメージを強めてしまう可能性があること、今後の自身のイメージにも悪い方向に働く可能性の高い事、その他にも色々な事を考え何日も悩みました。

その人の繰り返していたであろう行為が表沙汰になった以上、今後被害が拡大しないのであれば、私まで数年前の事を今更出す必要はないのではないかとも思いました。

しかし、5月13日に出された加害男性からの謝罪文のようなものからは反省の気持ちは読み取れず、団体を解散し新しく立ち上げる団体の主宰として上がっている名前も、当時からその人に対して誰よりも近く忠実でとても献身的にその人に尽くしていた方でした。

せめてほんの少しでも、自分の行為の何が相手を傷つけ追い詰めのか、加害した人が理解だけでもしてくれていればと願い、その人のFacebookを検索し、その人が謝罪文を出した以降のその人のその事に関する投稿を読みましたが、投稿の内容は謝罪文のようなもの以上にあまりにも酷いものでした。

自分の行動の何が相手にとっては脅迫に感じるのか、強要に感じるのか、恐怖に感じるのか、傷つけ苦しめ相手を望まない結果に追いやった事すらも何も理解する事ができないようでした。そんな人が作・演出をするのでは、新しい団体も、団体の名前を変えただけの結果となり、これからも被害が増え続ける事を避けることは出来ないだろうと感じました。

私自身、二度とその人と関わりたくはなかったのですが、文章を出した彼女の安全を願い、今後同じような被害にあう方が減ることを願い、この文章をここに出させていただきます。

どうかこの記事が、今後苦しむ人をほんの少しでも減らせる事を願っています。


これからお話するのは、あくまでも私の主観でのお話しです。当時私が感じた、私にとっての真実です。ですので、その人へのせめてもの配慮として、その人をご存じの方やこれからその団体に関わるかもしれない方、最近被害にあった彼女の記事を読まれた方にのみ分かるよう、その人の事はイニシャルとも全く関係無く「Aさん」と表記させていただきます。

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私も、Aさんが演出家を務める公演に参加した切っ掛けは、オーディションの募集掲示板でした。

世界で芝居を学んできたというその人の経歴と演技法に興味をもち、『何もない空間に命の風景を創る』という団体のテーマ、そして、鉄骨むき出しの廃工場を稽古場に作り替えている事にも面白味を感じ応募しました。

オーディション会場は廃工場に作られたその団体のアトリエで、初めは団体の方と1対1での面談でした。その後に団体の方に案内され、上の階にいたAさんに面談していただきました。

Aさんの言動は他人を見下した不快なものもありましたし、一度は断ろうかと考えたのですが、演技論などをとても熱く語ってくださり、渡された脚本の抜粋も面白く感じましたので、本場で学んできたこの人の下で共に芝居をしてみたいと思いました。

あと、団体専用の稽古場で好きなだけ稽古ができること、団体の方々の住居が隣接していて稽古場に泊まり込むこともできるという環境にもひかれました。そして、そこにはかわいい猫が沢山いたのですが、Aさんに懐いてるようだったので、「危ない人では無いのだろう」と安易に判断してしまったところもあります。


帰りに団体の方にもう一度呼ばれ、オーディションの合格をその場で告げられました。
その上で、実は募集していた12月の公演は既にキャストが全員埋まってしまっているから、その次にやる公演に出てほしいということを告げられました。
その期間は既に他の舞台が決まっていた為お断りすると、12月公演はダブルキャストだけれど、劇団員の2人と共にトリプルキャストとして出るのはどうかと言われ承諾しました。


稽古が始まった当初、私はどちらかというと芝居が上手いほうに分類されていました。

稽古が始まってすぐに、団体に少し違和感を感じ始めていたので断りましたが、「お前ならいい役をやるよ」と、Aさんにもそれ以降の公演に何度も誘われていました。

座組の人達は気のいい人達ばかりで、稽古が終わればそのままアトリエで一緒に楽しくお酒を飲む事もありました。

劇団員の女の子とも普通に仲良くしていましたし、家が遠く、アトリエの猫たちが本当に可愛かったのでアトリエと隣接した当時の劇団員の女の子の部屋にそのまま泊めてもらうこともよくありました。


稽古場でのAさんは、熱く情熱的な時もあり、優しく親切に指導してくださる時もありましたが、同時に、とても横暴で全てを見下したような言動が目立つ人でした。

いくつかのボディワークをする事も多かったのですが、その際にはAさんが服の上から一人一人の局部に軽く触れることも多く、私には少し不快に感じるものでした。

それでも、作品の為にAさんが芝居で体現したいものを理解したいと思いましたし、Aさんもとても真剣だったので、ここで「嫌だ」と思うのは私にまだ雑念があるからなのだろうと考える事にしました。

独特なワークに真面目にとりくみ、時折混じるAさんの不快な言動にも愛想笑いをしていましたが、Aさんを崇めているような、マイナーな宗教のような空間に、ほんの少し気持ち悪さを感じていました。


そんな中、Aさんと特に仲の良い男性が私に好意を抱いてくれるようになりました。

そして、男性と私がAさんにカップルのようにはやし立てられるようになりました。

困りはしましたが、あくまでも冗談だと思いましたし、Aさん同様、親子ほどの年の差のその男性が勘違いして本気になることはないだろうと考えました。

劇中その男性と私は一切絡むことがなかったですし、誤解が生まれないように二人きりになるのは完全に避けていました。

すると稽古で、「もっとわかりやすい脚本からやろう」と全員本番のものとは違う二人芝居をやらされるようになり、私は殆どの脚本でその男性とばかりやらされるようになりました。

暫くして、今まで止められる事のなかった私の芝居は、何故か一言どころか一音目で延々と止められるようになりました。

思いつく限りの色々な方法を試したのですが、一時間以上かけても一音目もAさんのいう正解が出せない私に、しまいには稽古を中止にして解散されるような事などが起こりはじめました。

どうしても解らなくて、ダメな理由や改善点を聞いても一言も教えては貰えませんでした。

本番の稽古を全くしないまま、ただ日が過ぎていくことに焦り、全てが自分の責任のように感じ、全員に対して罪悪感を抱くようになりました。

そして、いつものように稽古を中断された後、Aさんにその男性と今からご飯に行き芝居のアドバイスを貰うように言われました。

自分が稽古を止めている罪悪感から断る事が出来ず二人でご飯に行くと、「発声が悪いから見てやる」と言われ、カラオケに行く事になりました。

道中、角が立たないように気を付けながらその男性に「異性として好きになる事はない」という事をはっきりと伝えると、その男性からも「そんなつもりはないから大丈夫」と笑って言って頂けました。

しかし、お酒の入ったその男性は少し勘違いをしたようで、カラオケの部屋で抵抗する私の腕を押さえつけて、私の胸に顔をうずめたり、私の額に自分の額を合わせたりと少し過度なスキンシップを強要しました。

その時私は壁の奥側に座らされていたので、下手に避けたり後ずさると壁で押さえつけやすくなってしまう事に恐怖を感じ、力を込めて押し返そうと努力しながらも必死で姿勢を崩しませんでした。

逆上される事を恐れ、やめてほしいと本気で抵抗しながらも顔には必死で笑顔を張り付けてしまっていたので、のちのち、もしかしたら私が本気では嫌がっていないと勘違いしたのかもしれないと思いました。

ですので、その男性の行為は一切口外せず、Aさんと団体の方に「〇〇さんを先輩としては尊敬していますが、男性として好きになることはないので、くっつけようとする事を止めてほしい」という話を、角が立たないようにできうる限り柔らかく丁寧にお伝えしました。

すると、稽古の時にAさんが全員の前で、「こいつが〇〇からセクハラされたとヒステリーを起こしながら訴えてきた。」というような事を言いました。驚いて否定すると、Aさんに嘘つきのように扱われ、罵倒され、そしてそのまま稽古に入りました。


稽古では初め完全に存在を無視され何もさせて貰えずにいました。その後私以外のみんながレぺテーションというワークを始めました。

そこでも私一人呼ばれることはなく、まるで自分の存在がそこから消えたかのように感じていました。

暫くして、全員のワークを中断させた後、見本を見せると言いAさんが私を全員の前に立たせ、Aさんと二人で向き合う形になりました。

そうして、Aさんからは彼の思う私の醜悪な容姿を表現する言葉を中心に、私の人格を否定し、今までの人生も否定するような内容の暴言を延々とあびせられ、それらの言葉を自らの口でも復唱させられました。

私は、私のせいでまたまともに稽古をする事もなく解散にされてしまうのを恐れ、必死に笑顔を貼りてけて復唱していました。

しかし、笑顔で復唱しながらも涙が止まらなくなり、「セクハラされた」なんて一言も言っていないし言う気もなかったのですが、精神的に限界を超え、「〇〇さんに嫌なことは事実されました」と一言、認めてしまいました。

すると、その男性はみんなに対して「太りすぎだろって言って軽くお腹は触ったかな~」と気まずそうに誤魔化しました。私は呆れながらもその男性を追い詰めたい訳ではなかったので、わざわざその言葉を否定はしませんでした。


その後、みんなもその男性も、よそよそしくも極力普通には接してくれましたが、「セクハラ騒ぎをでっちあげた女」という事になってしまった以上、私自身、稽古場にいる事がとても気まずくなっていました。

そして、Aさんには何かにつけてヒステリーだとか自意識過剰だと言われ、反論しようとすると間髪入れず、Aさんと付き合いの長い女の子達から「自己憐憫はよくないよ」と諭されるようになりました。

Aさんの機嫌を損ねると稽古を中断され、またありもしない事を言われてしまうと思ったので、私は嫌なことも嫌とは言えなくなり、せめて最後まで稽古を続けて貰えるようにAさんの機嫌ばかり取るようになりました。


本番が近づいたある日、稽古もまだ開始して間もない時間に全員が自主練を言い渡されました。

そして、Aさんは全員の前で私を呼び、「俺らこれから愛し合わないといけないから」と、私を外に連れだしました。

私は、演出兼出演者であるAさんの演じる役の恋人の役で、まだあと数時間は稽古の時間だったので逃げる事が出来ず、付いて行くしかありませんでした。


ご飯を食べ、駅まで送ると言われついて行くと、人通りのない裏道に連れ込まれ突然抱きすくめられました。

女性で156㎝の平均的な体型の私が、男性で180㎝100㎏以上はあるであろう大男にかなうわけもなく、どれだけ抵抗してもビクとも動きませんでした。

それでも「嫌だ無理です」と必死に抵抗する私にAさんは呆れたように「そんなんやからお前はダメなんや、端から拒絶しないで一度受け入れて味わってみろ。それでも嫌なら嫌だと言えばいい。」と諭しました。

抵抗しても勝ち目がないので、このまま抵抗し続けたらより酷い事になるだろうと思い、逃げるために、被害を最小に抑えるために、私は抵抗をやめました。

局部を触られ、首筋を舐められ、吐き気がするのを必死にこらえ、数十秒ほど静かに耐えたのちに、「一度受け入れ味わったうえで嫌だと感じたのでやめてください」と冷静を装い静かにお願いすると、ようやく止めてもらう事ができました。


その後、Aさんに捕まらないよう極力避けていたのですが、稽古場の掃除をしていると、団体の方に、Aさんに飲み物を持っていくように言われる事がありました。

飲み物を持って行くと、Aさんは私を抱きしめたり、Aさんの膝の上に座るように命令しました。

服の中まで触られる事もあり、私が反射的に抵抗したり後ずさると、強い力で引き寄せられました。

時たまいかにも優し気に「嫌だったら言いや」と確認を取ってはくれましたが、Aさんに「嫌です」と伝えてやめてもらえるのは、1度その行為を受け入れ充分に体感した上での感想として伝えた時だけでした。

それに、Aさんのそれまでの行動を知っているので、全てを嫌だと言う事で機嫌を損ね、また私の我儘のせいで稽古を中止にされ公演に間に合わなくなるのではないかと思うと怖くて、自分の我儘で座組に迷惑をかけるのが申し訳なくて、それにもしかしたら、私が逃げれば座組のまだとても若い客演の女の子が私の代わりに被害にあってしまうのではないかという可能性も考えてしまい、全てに対して嫌だと言う事は出来ませんでした。

機嫌を損ねない逃げ方を考えても時間がかかり、冗談のように誤魔化して力で振りほどこうと試みたもののビクともせず、逃げたらその後どうなるのかも怖くて、その時の私にはAさんの言う事をきくしか出来なくなっていました。


これ以降の出来事は公演中のものとなってしまい、ご観劇くださったお客様に流石に不快過ぎる思いをさせてしまう可能性が高いので詳しく記載するのは控えさせていただきます。

この体験の中で私が何より辛かったのは、その空間において異常な人間であるのが「自分自身」だったことです。

Aさんには何も悪いことをしてる自覚なんて無いようにみえましたし、団体員や稽古場にお手伝いに来ていた女の方達に勇気を出して助けを求めようとした時も、みんな口を揃えてAさんの行為を「私の為だ」と言いました。

そして、私がそれでも辛いと言うと「自己憐憫は役者としてよくないよ、役者なら自意識をすてないと。」と、私を諭しました。

Aさんは本当に私の為にやっているのかもしれないと、間違っているのは全て自分なのかもしれないと、私が嫌だと感じること自体が間違っているのかもしれないと、何もかもがわからなくなった事もありました。

作品の為にもAさんの考えを理解しようと必死に努力し続けましたが、私には、どうしてもAさんが作品を大切にしているようには感じられませんでした。

どんなに頑張っても、Aさんの事を役者としても演出家としても尊敬も信頼もする事はできませんでした。

助けてはくれないだろうと分かっていながらも、団体の常連の男性役者の1人にAさんからの性的被害を打ち明けた時、「それでもユカちゃんが笑って我慢してくれてるから稽古が上手くまわってるんだよ」と、まるで何でもない事のように優しく諭されました。

ほんの短い時間とはいえ、全員からは見えないけれどその男性役者からはみえる場所で、Aさんに両手をつかまれて抱きしめられ抱きしめさせられ服の上からとはいえ局部を無理矢理触られ触らされるのを、声も出せず、物音も立てられずメイクと髪を乱されるわけにもいかない環境の中、毎回なんとか逃れようと抵抗する私に気が付かないふりをされ続けた事に、恐ろしさを感じました。

今思い返してみても、彼らも彼女たちも私が知る限り決して酷い人達ではありませんでした。
普段はとても面倒見もよく親切で真面目で優しい穏やかな人達でした。
稽古場でも和やかにみんなで楽しく笑いあっている時間も沢山ありました。

すぐに自意識過剰になり、自己憐憫に陥るどうしようもない俗世の人間である私を何とかしようと懸命にサポートしてくれていました。

それがAさんの恐ろしさなのだと思います。

側にいる人達の善意を操り無意識に加担させる。閉ざされた空間でできた歪な常識が支配する空間を作り上げるのがとても上手い人でした。

とても思いやりのある愛情深い人にも感じることもあり、そして、ご自身が行っている事の恐ろしさにも、相手が恐怖を感じている事にすらも、全く気が付かない人でした。


私は、私を大切に思ってくれる人達にここでの出来事が知られたくはありませんでした。その団体を好きだというお客さんも知っていたので、その人達が傷つくのも嫌でした。

途中で辞めて、「降板したことのある役者」になるのも怖かったですし、なにより、こんなごく一部の団体での出来事で舞台に悪いイメージを持って欲しくはありませんでした。

だから、最後まで芝居だけは自分に恥じないようにやり切れば後悔はしないと考えました。

幸運なことに、私は公演の休演日にたまたま外の友人と会うことになり、すべての話を聞いてもらう事ができました。

それで何かが変わるわけではないし、その後も被害はあり、公演後も暫くは私自身とても情緒不安定な日が続いてしまいましたが、ただ、「おかしいのは自分じゃない」と思わせてくれる存在が少しでもいるだけで、それ以降は何をされても最後まで自分を保ち、千秋楽終演後にスッパリと縁を切ることができました。

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ここでお話した出来事は、その公演に参加した人全員が必ずしも知っていた訳ではありません。同じ客演の人に迷惑をかけたくなかったので、全員に助けを求めた訳でもありません。

それでも、私を心配し、さり気なく気遣ってくれた人もいました。

ですので、その方達を調べ攻撃するのはどうかやめてください。

Aさん含め、誰かに謝罪を求める気持ちもなければ憎んでもいないし不幸になってほしいとも思っておりません。

Aさんとは今後の私の人生において二度と関わりたくはありませんが、これ以上人を傷つける事なく、ご自身も幸せでいられる生き方をみつけてほしいと願っています。


そして、当たり前の事ではありますが、当時のこの作品をご観劇くださった皆様には他の作品同様、感謝と愛の気持ちしかありません。

作品に関しては、私も、他の共演者も精一杯良いものにしようと励み、精一杯その作品を愛しました。そして、私自身も役者として決して手は抜かず、お客様に恥じない芝居をお届けしたと自負しております。

作品は作品で、楽しかった思い出のまま、これからもお持ちいただければ幸いです。


演劇の世界は今回お話した団体のようなところばかりではありません。

一般的な面白い演劇作品の稽古場は座組全員がお客様の反応を楽しみに切磋琢磨しあいながら笑いの絶えない稽古場である事がとても多いです。

今の時代の「演出」や「主宰」などをされる方も、ご自身の立場で誰かを傷つけてしまわないように普通以上に気を使ってくださり、演者間でトラブルが起きた場合は盾となり守ってくださる方も大勢います。

ここでお話したような出来事は演劇に限らず、閉鎖された人間関係が成り立つ空間ではどこにでも起こり得てしまう可能性のある事だと思います。

そして、目の前で起きているその事に全く気が付かない人もいるでしょう。

若い頃から弱者である自分を思い知り、嫌でも怖くても、身をまもるために笑顔でいる事しかできない人間もいます。

私からしたら、自分より体が大きく、その気になれば私を押さえつけて思い通りにする事が出来るであろう筋力を持っている人達は、絶対に奪うことのできないナイフとスタンガンを手に持っている様なものです。凶器を持った相手を前にただ「この人は私をその凶器で傷つけることはない」と、その人自身の人間性を信じているだけなのです。

信頼できる環境であれば平気な事も、信頼がなければ恐怖になります。

肉体だけでも圧倒的なハンデをもつ人達は、日常でも犯罪に狙われやすいなかで生きています。

そして、ごく少数の自分勝手な人間によって、普通の人は考えもしないような恐ろしい経験をした事がある人間は、想像よりもはるかに多いと理解していてほしいです。

誰もがそれぞれに全く違う経験をもって生きています。

1人集中攻撃を受けている人をみて、「笑っているから大丈夫」だなんて思わないでください。

簡単に「嫌なら嫌と言えばいい」だなんて言わないでください。

一度伝わらなかった言葉を、圧力を感じている相手に繰り返し言える人達ばかりではありません。

傷ついている人に無責任に責めるようなことを言わないでください。

人の辛さを自分の基準ではかろうとしないでください。

あなたの生きた常識のなかで、その人は生きてはいません。

そして、もしも願えるのであれば、その環境に苦しんでいる人に気付いてください。

加害者は巧みに誰かを出来損ないのお荷物のように仕立てあげることがあります。

そして自分の言いなりになるようにコントロールし、他の人が気がつかないところで目的を果たそうとする事があります。

被害にあっても、誰も信じないと思えば逃げ場はありません。

そうして、加害者一人ではなく全員に恐怖を感じ、自分一人が間違っているのだと自分に言い聞かせ壊れていきます。

加害者には悪意がないこともあります。

心が壊れるほどの恐怖を誰かに与えていることに気が付きすらしない人もいます。

どうか、ご自分の身の回りだけでもよく見てください。

普通だと思っているその日常でも、あなたも充分に被害者にも加害者にもなる可能性があるということを知っていてください。


この文章がAさんの元にも届き、ほんの少しでもご自身を省みるきっかけとなること、誰かの身勝手により一人苦痛に耐える人が少しでも減っていくことを願っています。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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