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たましいの宝箱のひみつ

今受けている講義のためにあらためて「マディソン郡の橋」をみた。

この映画、実は10代の頃に書籍も読んでいて映画も見ていて、ちょっと思い入れのある作品だったことを思い出した。

当時のアルバイト先の先輩が「めっちゃいいから読んでみて」と言っていたので、借りてだったか買ったのだかで、読んで、内容にえらく感動。(今思うと…当時の私は物語の世界になんでも没入しまくりだったけど)

「映画化したらみにいきたいですね~」と先輩と話していて、映画化になってキャ~!となったのに、キャストが、クリント・イーストウッドとメリル・ストリープだと知った瞬間、めっちゃがっかりしたのでした。(←まったくの主観です)

というのも、原作を読んでいた私の感覚では、ロバート・キンケイドは、もっと若くてサスペンダーが似合うスナフキン的な感じだったし、(←ちょい悪的な感じあるけど少年のようで~みたいな)フランチェスカももっと清楚?というか品のあるイメージ(田舎にいるけど素朴だけど凛とした美しさあるような)だったから。

クリント・イーストウッドは好きだったけど、「えぇぇ~めっちゃおじいちゃんだよ~」と思ったし、メリル・ストリープも表現力の素晴らしい役者さんだと思っていたけど、「フランチェスカではないだろ~」と。
当時、彼女の出ていた作品のイメージもあって「強い?きつい?女感」があって。

でもね、メリル・ストリープの表現力はすばらしいからきっといい作品になるだろうよ~という上から目線。

実際、映画を観てとても感動して、先輩とも「思ったより良かったですね~」と話したりで、確かもう一回ぐらい観てたような。

当時、映画と芝居と小説とか大好きすぎて、ほぼその中に生きていたからあまり記憶があいまい。現実はしんどいので、物語のなかに没入することで生きていられたのかもと思いました。今思えば…。

で、改めて。

きっといまは、フランチェスカに近い年齢だし、状況も似てる。私。どう思うよ~と。

なんと、10代の頃の謎の感動が一切なく、淡々と見終わりました。(感情移入しなくなったからかな~)

10代の頃は「人妻との運命的な秘められた愛」とか「一生お互いが心で思い続けて、死んで魂が一緒になる」とかの世界観に引きずられのまれていたのだろうけど。

今見て思ったことは、フランチェスカは平凡に穏やかに暮らしている主婦で、困ったことはとくにはないけど、魂的には枯渇してて潤いが必要だったのかなぁと。

そういう魂的に潤いがあるかないかはとても大事だと思うから。(経験談)

人でなかったとしても、とても夢中になれる対象があったならば、それだけで充実してて幸せだと思えるけど、そうじゃなければ、心のどこかに常に枯渇感があるように思う。

もちろん人によってだとは思うけど、人間なので、誰かと魂的に通い合う経験をもつかどうかは生きるうえでとても大事だと思う。

個人的なことでいうならば、10代のそのころは、「夢中になれるなにか」もなかったし、瞬間を刹那的に生きていたと思う、真の意味での誰かと心の交流をもとうとかも考えたことがなく、「嫌われないように、なんとなく、周りに合わせて」生きていたと思う。

でも、40代までにいろいろ経て、どうにもこうにも避けれない魂のぶつかり合いも経て、たとえ、一瞬だったとしても、「魂から感動する体験」を持っていることは、生きていく支えになるのだと実感しているので、フランチェスカの想いが少しだけわかる気がします。

自分だけの「心のなかの支え」ような人だったり、出来事だったり。

人生で辛い時、そっと寄り添ってくれる思い出。きらきらのやつ。

ロバートに誘われて逃避行をしたとしても、ある時から夢は現実となり、その選択を後悔するかもしれない。そうしたらこの4日間の宝物が崩れてしまうかもしれない。

宝物はだからこそ尊いのだとも思ったかも。

ふと映画の内容とリンクする本を思い出した。

少し前に読んだ本で山本芳久先生の著書「世界は善に満ちている」の中に書いてあったこと。

私たちは心の中に「善」からの「刻印」を受けていること。

現実に一緒に居ることよりも心で一緒になっていることのほうが大事なこと。

「愛するとは、ある人のために善を望むこと」

「愛される対象」からの決定的な「刻印」がなされること。

望む善は欲望の愛で、願う善は友愛の愛であって、このふたつの「愛」があること。

善くあることは、幸福であることと深く繋がっている。こと。

心のなかにあるロバートとの「4日間」の大切さとそれを壊したくない心。(欲望にかまけてロバートについていきたいさ~でもさ~という葛藤)

ロバートをとても大切に思うからこそ、家族をとても大事に思うからこその判断だったんだろうなぁと。その辺の機微がやはりメリル・ストリープ様です!深いわ~としみじみ。

山本先生の本もとてもかみくだいて分かりやすく書いてあるので、読みやすいです。

マイバイブルで、付箋いっぱいで何度も読み返してます~。

映画のなかで、フランチェスカはご飯の前にお祈りしていたし、「キリスト教」的な「善」であることを選んだのかもね~とも思いました。山本先生も「キリスト教学」の研究者なので、共通してることもあるよね~。

映画のような出来事って、実際に起こると案外しんどいから、やはりフィクションで疑似体験くらいがいいのかも。でもそれだと魂が枯渇してきて潤いを求めるよね~という葛藤を抱えながらの今ですが。

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