【散文】今日もアボカドにカビが生えていた

僕はラジオディレクターを生業としています

考える仕事です
リスナーが今日求めてる番組は何か(夏になればアイスの売上ランキングやサザンが聴きたくなるし)

お昼であれば仕事中に聴いている人が多いので、ミドルテンポな心地よい邪魔しない選曲だったり、話の種になる話題を徹底的に検証したり

もちろん番組は商品なので、どんな番組にすれば売れるのか

とことん考えます

考えていると、発想があっちこっちいくものです
脳の塊を発散します

今日もアボカドにカビが生えていた。

3つ買って3つ生えていた。
最悪のハットトリック。

近所のスーパーくらい味方でいてくれよ。

でかいプレゼントはいらないから小さなプレゼントを自分に送りたいじゃない。それがなんでカビ生えてんだ。

理想はいともたやすく僕らを裏切ってくる。
次々に訪れる裏切りを受け入れて、仲良くしていくしかない。

でも、どうしても受け入れがたいものもある。

何かになろうとした時点で、その何かにはなれないらしい。
ふざけんなよ。じゃあどうしたいいんだよ。どこに向かえばいいんだよ。

人は何かに憧れて行動を起こすものだと思う。
モデルのような体型になりたいからダイエットをするし、
お店のご飯を家で食べたいから料理を頑張るし、
八村類がかっこいいからバスケを始める。

僕もそう。憧れた人がいた。いた、というか沢山いる。
音楽をやっているのは好きなミュージシャンに憧れたからだし
ネットラジオをやっているのはオールナイトニッポンに憧れたからだし
文章を書いているのも又吉さんに憧れたから。

でも、憧れに向かおうとすればするほど、自分の現在地とのギャップに絶望する。まあ、それはしょうがない。最初はそんなもんだ。経験値も努力量も違うのだから、当たり前だ。

経験と努力はなんとかなる。ただ、圧倒的になんともならないものがある。
そもそもの素養、キャラクター、生きてきた環境。
これはどうしようもない。基本的に人間はこれらのどうしようもなくその人にしかないものに、経験や努力が肉付けされて形成されるものだと思う。

つまり、根本的にその人にしかないものが核となっているのだから、いくらその人に憧れて、ああなりたいと思い、努力をしたところでその人にはなれない。たとえその人と同じスキルや思考を身につけ、その人と同じものを作れるようになったとしても、それはただのコピーにしかならない。

僕が作りたいのは果たして憧れに対するコピーなのだろうか。
コピーを作って世に出したところで、それは誰が喜び、何かを感じ取ってくれるのだろうか。

自分は喜べるのだろうか。

今日も同じような服装で同じような髪型をした人がスタバで同じフラペチーノを飲んでいるのを何人も見た。
きっとその人はその人の幸せを追いかけている。
きっとそれが幸せなんだと思う。

その人がなりたい誰かになっている。同じ服を着て、同じ髪型をして、同じものを飲む。それできっと十分なのだ。

考えれば考えるほど、自分はそうはなれないなと思う。
同じ服を着たくないし、同じ髪型はしたくないし、同じものも飲みたくない。この人のようになりたいけどなりたくない。どんどん選択肢が狭まっていく。いや、自ら狭めている。
自分に正直になればなるほど自分には生きづらい世の中だと思う。
天邪鬼が生きやすいように世界はできていない。

何かになろうとした時点で、その何かにはなれないらしい。
ふざけんなよ。じゃあどうしたいいんだよ。どこに向かえばいいんだよ。
アボカドにまたカビが生えている。ふざけんな。


さて、今日も番組の仕込みをしよう
一曲目はスピッツにしよう



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