映画『スーパーの女』を学生に見せる(『流通情報』528号掲載)


流通経済研究所の機関誌『流通情報』528号(2017年9月)に寄稿したエッセイです。

 伊丹十三監督の『スーパーの女』という映画を、本誌の読者ならよくご存じだと思います。ぼくは毎年の授業で、この映画を学生に見せています。1996年公開のこの映画は、学部生からすると、生まれたか、生まれる前ぐらいの大昔の映画です。

 この映画では、スーパーマーケットのバックヤードで行われている店内加工など、普段、お客さんから見えない裏側を面白くかつリアリティ溢れるストーリーで描いています。職人が仕切る八百屋、肉屋、魚屋という業種店の寄せ集めから、近代的なオペレーションでパートでも「ピッカピカの鮮度」の生鮮食品や総菜などをタイミング良く提供できるようになるというスーパーの進化の歴史が分かるとても良い映画です。

 この映画の原作は安土敏氏の『小説スーパーマーケット』であることもご存じかと思います。映画では、宮本信子が演じる井上花子という元気の良い女性が主人公ですが、原作では、一流銀行のエリート行員から転出した香嶋という男が主人公です。同性愛者であることを知られて脅迫され不正に巻き込まれた男性社員が、絶望してパートナーと対向車に突っ込んで自殺をするといったショッキングなシーンも原作にはあります。

 挫折や絶望といったリアリティにも迫る原作と違って、映画は伊丹作品の常道として、徹頭徹尾エンタテイメントを貫いていて、とても面白いです。そのためか、学生はフィクションだと思うようです。そこで映画を見せた次回の授業で、この映画の背景を説明しています。

 安土敏は、あの「サミット」の社長(公開当時)の荒井伸也氏であること、伊丹監督がサミットや関西スーパーマーケットの店舗を視察したり安土氏の小説などを参考にしたりしてシナリオを書いたこと、荒井氏自身も住友商事から転出してサミットに参画したことなど説明します。

 安土名義で1987年に著した『日本スーパーマーケット原論』によると、この小説は、1980年1月から13ヶ月間、『販売革新』誌に連載した『他人の城』がもとになっているそうです。単行本になるとき、編集者から「もっと経済小説らしい題の方がいいのだが」と言われた時のやりとりを、以下のように回想しています。

「それなら、ずばり“スーパーマーケット”がいいのですが」と言いましたが、編集者は首をタテに振ってくれません。スーパーマーケットというといかにも薄っぺらな安売り屋のイメージで、あの小説に描かれた内容を連想しにくいと言うのです。結局、そのときは『小説流通産業』という題で出版され、のちに文庫本になるとき、『小説スーパーマーケット』に改題されました。

 学生からしたら、スーパーに「薄っぺらな安売り屋のイメージ」があったなんで、驚きです。そこで説明するのです。「戦後の日本で、スーパーが現れた当時、こんな商売はすぐに廃れるだろうって『スーって出てきてパーっと消える』って揶揄されていたんだよ」と。この締まりのないだじゃれとともに、学生は小売業態の発展について思いを寄せるようになるのです。というか、そうなって欲しいと思って説明しています。

 映画では、津川雅彦が演じる経営者・小林五郎や花子が進める改革に反旗を翻す職人の荒ぶる姿が描かれています。魚の職人が、血汁で汚れた冷塩水処理槽の水を飲んで見せたり、気に入らないことがあると鮮魚売場のいけすをぶち壊したりするなどといったシーンは実際にあった出来事だそうです。肉の職人が、肉の営業に意見を言う経営者に対して「素人が余計な口出しをするな」と、包丁を振りかざすのも、本当にあったことだそうです。これについて、2006年に安土氏は、『日本スーパーマーケット創論』で次のように言っています。

 「あの映画を見たとき私は泣きました。全く同じ経験をしたのです。映画館のなかで周りはゲラゲラ笑っている。でも私だけが泣いている。なんだか不思議な感じがしました」と私に語ったのは、ヤオコー社長の川野幸夫である。ほかにも似たような感想を複数の創業経営者から聞いた。もちろん、私にも同じ体験があった。
 その実例を伊丹監督にお話ししたのだ。

 いまでは当たり前に買い物の場として生活の一風景になっているスーパーという業態が、こういった苦労の上に成り立っていることを、学生は次第に理解するようになるのです。本当の顧客満足とは何か、というマーケティングで大事な問題を考えるきっかけとなりますし、組織マネジメントの難しさや醍醐味についても疑似体験できます。また食肉偽装など、今では当たり前になった企業倫理に関わる問題も先取りして取り上げているという点でも、教育効果の高い映画です。

 このように『スーパーの女』は学生にとって学びが多い映画なのですが、ひとつだけ問題があります。映画の中盤あたりに、反目し合うものの実は気が合う幼なじみの花子と五郎のベットシーンがあるのです。このシーン、中年のもの悲しさと滑稽さを描く良いシーンだと思います。この授業では、毎回、学生にコメントを提出してもらっています。すると毎年、1、2名の学生から「あのシーンは気持ち悪かったです」というコメントが返ってくるのです。まあ二十歳前後からする若者からすると、そう見えるのでしょう。

 調べて見たところ、なんと原作の小説は、2009年に英訳もされているようです。昔の日本での出来事についての小説なのに、Amazon.comでのレビューコメントでも英訳版の評価は高いです。もはや流通に関する古典のひとつと言っても差し支えないと思います。日本語版は、残念ながら紙の本はもう売っていませんが、Kindleで読めますので、映画とあわせて一度お読みになったらいかがでしょうか。

実はこのエッセイを読んだ荒井氏のご夫人からお手紙を頂きました。それはもう素敵素晴らし過ぎる内容なので、何が書いてあったかはもちろん秘密です。

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