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介護生活:団地の方々へのご挨拶

自宅で闘病中だった妻が、8月20日(土)に亡くなった。危篤状態については、「つぶやき」の機能を使って投稿した。

駆けつけてくれたお姉さん

息子が駆けつけてくれてからは、看取りは、彼にまかせて、掃除と片付けに精を出した。その合間に、noteの「つぶやき」で状況報告をした。

と同時に、息子が来て母親を見守ってくれたことで、極度の緊張から解放され、また、最後の数日間はまともに寝ていなかったこともあって、涙腺が崩壊していた。泣きながら作業をこなしていた。

危篤状態を伝えたら、すぐに彼女の10歳上のお姉さんが娘さんとともに名古屋から駆けつけてくれた。残念ながら死に目には間に合わなかった。

訪問看護師さんが、彼女をきれいにしてくださった。
お姉さん親子には、衣装替えの服を選んでもらい、顔をきれいにした後の薄化粧などをやってもらった。

3人も泊まれる部屋の余裕がなかったので、息子は、葬儀屋さんとの打ち合わせが終わった10時過ぎに、いったん自宅に引き上げた。

お姉さん親子とは、食事後、夜遅くまで彼女の思い出話に花が咲いた。話題によってはすぐに涙が出るのでやばかった。
寝たのは、午前1時過ぎである。

この日は、夜中の1時に起きて、2時から危篤状態の妻とつきあっていたので、実質2時間しか寝ていない。

だからすぐに眠れると思ったのに眠れない。
もう午前2時を廻っていた。やばいと思って睡眠導入剤を飲んで眠った。

いつものように、たった2時間しか寝ていないのに午前4時すぎには目が覚めた。まだ完全には夜が明けていなかったが、久しぶりの散歩に出た。1時間の散歩である。

帰宅後、お姉さん親子のために食事を準備をした。
お姉さん親子は、朝7時半には帰宅の途につかれた。

2日目の課題:挨拶文の作成

私は、この団地ではずっと異邦人だった。団地での共同生活、除草活動や植栽ボランティアなどまったくコミットしていない。個人的な知り合いもいない。

それに対して、彼女は、同じ棟の人たちとは、ここに移り住んできて30年、本当に親しくしてきた。その方たちに、妻の死をどう伝えるべきなのか。

まさか、一軒一軒ドアをノックして妻が死にましたというのも変だし、どうしたら良いのか分からなかった。

団地の自治会のボランティア活動でずっと親しくしていた人たちにもどう伝えたらいいのかも悩んだ。

ラインやメッセージにあったリストの人には、危篤状態の時に伝えた。

葬儀の問題もあった。
葬儀の手配については、全面的に息子に頼んだ。家族葬で定評があるところに依頼したらしい。

彼女は70歳だが、この団地で親しくしている人たちの中では、一番の年下である。全員年上で、80代の人が多い。それにコロナが再び蔓延している。

ということで、考えに考えた末、同じ階段の掲示板に挨拶文を掲示することと、植栽のボランティア活動の中心人物で、度々、お見舞いに来てくださっていた人に関係者に配布してもらうための挨拶文を書くことにした。

2日目の夜、つまり、日曜日の夜中、ようやくのことで書き上げた。
とにかく失礼がないように書かなきゃということで、緊張し、大変だった。

3日目、月曜日の午前中は買い物と挨拶文のコピーのために出かけた。
お花や芳名録などを購入し、挨拶文のコピーを30部ほど準備した。

準備が整ったところで掲示をし、いつも見舞いに来ていただいて方に連絡をとり挨拶文の配布などをお願いした。

以下の文は、配布した挨拶文である。


ご挨拶


いつもお世話になっております。

かねてから自宅で闘病中だった妻の〇〇が、8月20日の午前11時52分に息をひきとりました。母危篤の連絡をして来てもらった息子と二人で最後の見送りをすることができました。

ご存知だと思いますが、〇〇は5年前に甲状腺ガンが見つかり、その時はすでにステージ4でした。その上リンパ節と肺に転移していました。肺の5分の4はガン細胞に侵されていました。
昨年の3月には、脳に転移していることが分かり、〇〇脳外科病院でガンマーナイフの手術を受けました。

皆様方には、本当によくしていただき、また可愛がっていただいていたこと、〇〇から聞いておりました。ただただ感謝しております。

ありがとうございました。

8月27日(土)午後の出棺まで、〇〇は自宅に安置されています。私か息子のどちらかが在宅しています。
もしもご都合がつきましたならば、是非とも会いに来ていただければと思います。
みなさんのことが大好きだったので、最後のお別れができますならば、〇〇本人も喜ぶと思います。

〇〇の最後の処置の時、訪問看護師さんから、「口のなかに綿をつめたりしての処置は何もしませんが、それでよろしいですか」と尋ねられました。最後は苦しむこともなく、安らかに息を引き取ったので、大丈夫だと思って了解しました。

名古屋から駆けつけてくれた、彼女(末っ子)よりも10歳上のお姉さん(長女)が、口紅をひいたりなどの薄化粧をしてくれました。すぐにでも起き上がって、またお喋りができそうな感じです。

葬儀は、8月28日(日)に〇〇斎場で行う予定です。
コロナが再び蔓延している時節柄、ごく少人数の親族のみで執り行いたと思っています。


最後に

芳名録とお花などを購入し、準備を整えて掲示した。
また、彼女のために週に2回ぐらい食べ物を届けてくださっていた方に、お礼と報告のために挨拶文を持って訪ねた。
この方には、危篤状態の時にすでにメッセージを送っていた。

月曜日の午後と火曜日で、20人以上の団地の方が弔問に来てくださった。
彼女へのお手紙を書いて来てくださった方もいた。

植栽のボランティアグループでは、彼女が多分、一番年下だった。女性も男性も70代後半から80代である。だから可愛がられた。

女性の方々からは、大きな花束をいただいた。

本当に三々五々、三密にならない感じで来ていただき、どの方ともわりとゆっくりお話ができたので、良かったのではないかと思う。


本日も最後までおつきあいいただいたこと、本当に感謝いたします。

ありがとうございました。

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